小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

紫陽花

INDEX|6ページ/10ページ|

次のページ前のページ
 

 日曜日、作戦決行の日が来た。「出会えるとしたら六時以後か?」漠然とそんなことを考えながら、早めに家を出た。日中も良太は一人である。誰も彼の行動を監視する者はいない。
 実は藤塚には兄が一人いたが、大阪の親戚の家に世話になっていて、良太とは別に離れて高校生活を送っていた。大阪の有名進学校に通学していたため、転校するのは将来の大学進学に不利と周囲から意見をされ、最終的に親子で話し合った結果、高校卒業まで大阪に留まることにしたのである。
 良太には、その結果一人っ子として、家で一人の時間を過ごさねばならぬはめになったわけだが、時に寂しいと思う反面、それが自立心を大いに育てたことも事実であった。さらに言うと、一人が気楽のことも多かった。実際、今日の日曜日の自分の行動を「どこへ行くの?」と干渉する人間は誰もいないのだ。
 浮き足立ってしまい、いても立ってもいられず、彼はわざと早めに出たのであった。どこかで時間は潰せばいいと思った。「家の周りでも久しぶりにぶらぶらしてみよう」彼のアパートは神楽坂の近くにあった。中学は神楽坂とは反対方向の、牛込という閑静な住宅街にあったために、神楽坂の方は中学生心に飲食店が多い所ぐらいにしか思っていなくて、考えてみるとゆっくり歩いてみたことは無かった。「一度ゆっくり歩いてみるか」彼はいつもの地下鉄の駅を通り過ぎると、そのまま神楽坂の繁華街の方へ足を運んだ。
「なるほど」
 高校生の目から見るとまた、そこは違った雰囲気を持って見えた。「意外と歴史がありそうだな」路地に入っていくと由緒ありそうな料理屋さんらしき建物が目に付いた。そこには彼が普通に利用するようなレストランや食堂にあるような値段表やメニューなるものは掲げられていない。「きっと高いんだろうな」夜、たまたまではあるがこの界隈で芸者さんの姿を見たことを彼は思い起こした。「お金持持ちの人たちが夜遊びに来るんだろうな」ここはここで歓楽街なのだ。藤塚は新宿の歌舞伎町を思い起こした。「歌舞伎町方面へは足を踏み入れないように」と言われた一方の歓楽街は中学生には危険な場所と注意をされていた。しかし、「神楽坂には行かないように」とは言われなかった。新宿歌舞伎町がどんな所なんだろうという疑問は今や解けていた。無論全容を知ったわけではない。そして対極にここがあった。
 大人の遊興にも対極があるのだ、藤塚はそんな当たり前のことを、目の前のいかにも老舗ですと言わんばかりの立派な門構えをしている大きい料理屋の前を通りながら、あらためて認識した。すると次には「彼女はどんな仕事をしているのだろう?」と、彼女のことが気になり始めた。そこで時計を見た。まだ四時であった。
「まだ時間が早いな」
 かなり歩いたせいか少し疲れた。「少し休もう」神楽坂の赤城神社の境内に入ってベンチに腰掛けた。家族連れやアベックで境内は結構賑わっていた。ここでも紫陽花はそこかしこに散見されたが、藤塚の目から見て、神社の朱塗りの建物にもそぐわなく、美しいと思えるほどの価値は無かった。彼の心はするとすぐにあのアパートの紫陽花の元に飛んでいた。次に自然と彼女の姿が思い出された。「会いたい」と思ったその瞬間、心地よい風が境内を吹き抜けていった。藤塚はふっと我に返った。「早く行こう」早く着きすぎてもいい、いやむしろ早めに着かないといけないんじゃないか?そう思うとぐずぐずしていられなかった。藤塚はベンチを離れた。今年の梅雨は長雨が続いていた。湿度も高く、今日も今にも雨が降るかもしれないといった空模様であった。傘も持って出ていた。準備は万端であったが、「雨の降らないうちに」という思いもあった。
 彼は地下鉄の駅方向へ足を向けると神社を後にした。日曜日であったが、この赤城神社界隈は多くの人で賑わっていた。商店街もあり出店も出ていたりで家族連れで買い物に来る人も多かったからである。
 多くの人を眺めながらの街歩きに藤塚はこの頃ではある種の快感を覚えるようになっていた。表情を読んだり、その人の人生に思いを馳せたりと、彼の想像力は無限に膨らませることが出来た。瞬間移動してその人の体の中に入っていくという感覚である。そうすると周囲の景色が全く違った見え方で彼の視界に入ってくる。浮遊感というのだろうか夢見心地というのだろうか、そんな現実離れしたような心持になれる雑踏は彼を飽きさせることはなかった。時には空中を漂うことすら出来た。一時間でも二時間でも彷徨いながら歩き続けることが出来た。
「でも、今日は急ごう」
 彼は神楽坂の駅を目指して行った。気持ちを切り替えた瞬間、彼の心はもうすでにあのアパートの庭に舞い降りていた。

第十章

 高田馬場駅から地上に出ると雨が降っていた。藤塚は傘をさすとアパートへと一目散に歩いていった。
 アパートへはすぐにたどり着いた。「さあ、いよいよだ」ただ、意気込んで、そうしてたどり着きはしたものの、庭へ降りる階段の手前で彼は歩みを止めてしまった。「さてどうしよう」逸る心でここまで来たものの、さてこの後どうしたいいのか途方にくれてしまったのである。「どうすれば実際会えるというんだ?」まったく見当がつかなかった。
「えーい、ままよ」
作品名:紫陽花 作家名:ニンニン