紫陽花
雨が降り出した。「僕のこの悲しい思いを全部洗い流してくれないものか?」そんなことをふと藤塚は思った。するとなぜか涙が出てきて止まらなくなった。「こんな惨めな思いを続ける位ならいっそ……」と藤塚があらぬ考えをめぐらしたその瞬間だった。バラバラと雨が大粒になって激しく降り始めた。「早く帰らなきゃ」本格的に降り出した雨に打たれながら、彼は涙を拭うと、急ぎ足で駅へと向かった。
第三章
梅雨に入った。今まで梅雨の季節がうっとうしいと感じたことの無かった藤塚だったが、さすがにこの年の梅雨はこたえた。彼の心の憂鬱さを増幅させるように長雨が続いた。藤塚を取り巻く状況はこの長雨と同じく一向に晴れ間が覗く気配が無かった。
そんな雨の中、藤塚の登下校は高田馬場駅から学校へと、いつもの路地を通って繰り返されていた。そんな平凡な通学路であるが毎日歩いていると、それなりに新しい発見に気がつき興味を引くこともあった。
例えば、高田馬場の駅である。駅の周辺にはいくつかラブホテルがあって、その前を通っても学校へ抜けられる道があった。興味本位からわざわざここを通る学友も多かった。藤塚は最初、このきらきらとした変に飾りつけの多いホテルが何の目的のためのものなのか実は分からなかった。
そのうち友人達が「そういう」ホテルだと会話を交わしているのを聞いて、「なるほど」と妙に感心したりしたものだった。田んぼに囲まれた大阪の下町で生まれ、中学一年からは新宿の神楽坂に近い閑静な住宅街の中のアパートに住んでいた。そんな藤塚にとって、そういう?怪しげな?世界と言うのはある意味新鮮であった。
また、時に高田馬場から新宿へと足を伸ばしたりしたことがあった。するとどうだろう。彼の今まで知らなかった東京の姿がそこには広がっていた。中学時代の彼の生活圏は、神楽坂から牛込、あるいは飯田橋、神田と続く方面で、整然とした都会の顔を見せる、そんな町並みであった。ところが、雑居ビルの立ち並ぶ新大久保から新宿の歌舞伎町への町並みは、彼にとっての未知の風景であった。くすんだビルディングを横目に街の路地を歩くと、そこには今までに彼があまり接したことの無いような、「学生でもなさそうだし、サラリーマンでもなさそうだし……」といった感じの、だらしない服装に身を包んだ人が、昼間から、それも特に働くでは無しに街の路地をうろうろしているのを目にする。「こんなところで寝泊りしているのだろうか?」と素朴な疑問すら覚えるような古く汚れたビルの窓に洗濯物がぶら下がっている。歌舞伎町に近くなってくると、夕暮れともなると、派手な服装の若い女性が信じられないような露出度の高い服を着て、新大久保から新宿のほうへ流れていくのを目にする。「夜の仕事の人か……」そこにやはり派手な服装の若者も加わる。「定職がなくてぶらぶらしているのだろうか?」
今まで知らなかった東京の姿がそこには広がっていた。今までは接触が無かった階層の人々の生活の場がそこには広がっていた。「歌舞伎町方面へは足を踏み入れないように」と中学時代に先生から良く指導を受けた意味が今になって漸くわかったという感じだった。
ところが皮肉なことに、放課後のこの探検散策は、孤独感に苛まれていた藤塚の今や唯一の気晴らしとも言えるように次第になっていった。多感な思春期の青年は「大人の世界」や「性」についても感受性豊かであった。歌舞伎町の猥雑な雰囲気は怖くもあったが、スリルもあって、いつしか、彼は学校が終わると何の目的もなく高田馬場から新宿歌舞伎町へとぶらぶら歩いて、その後、東口へ、そのようにして時間をつぶしてそれから帰宅するという毎日を過ごしていた。
藤塚には興味のつきない散歩コースでもあった。いろんな裏道を通るのだ。高田馬場は「鈍い」色の中にも整然としたさっぱり感が漂う街であったが、新大久保からの風景は違った。「鈍い」だけでなく、雑然として、明らかに汚れた、手入れのされていない街が広がっていた。清掃が行き届いたとはとても言えない様な有様であった。一種独特の臭いさえ感じられるところもあった。「東京に夢を求めて地方から働きに来た人たちなのかな?」藤塚は勝手にそんな推測をしていた。安保闘争が終わり万国博覧会を成功させた日本は高度経済成長の道をひた走っていた。東京は立春出世を望む人、一攫千金を望む人を地方からどんどんと吸い上げていた。そんな想像はあながち間違ってはいなかったであろう。「俺の親父もそうだったんだから」彼はそこに住む人たちの身の上、生活ぶりなどに思いを馳せてぶらぶら歩くことで、自分の憂鬱な気持ちが若干ではあれ和らぐのが何か不思議であった。「東京に来て生活が豊かになったと思ったが、何か俺は勘違いをしていたのかもしれない」藤塚は自分のアパートを思い起こした。確かに大阪での生活に比べれば暮らし向きはかなり豊かになった。しかし東京での豊かな生活の平均からはまだ下であったろう。「自分も似た者どうしなのかもしれない」だから違和感無くこの雰囲気を楽しめるのか?
藤塚はまたこうも思った。「みんな頑張っているんだ」そう新大久保あたりは汚れた街ではあったが不思議と活気があった。新宿に着くとその活気は頂点に達した。藤塚は自分が大人の世界に少しずつ足を踏み入れていっていることに、何かしら怖いような、それでいてわくわくするような期待感を感じていた。「なら俺も頑張らなくっちゃな」などと思えるようにもなった。
新宿の街にひしめく人ごみは、結局彼の屈折した気持ちを受け止めるクッションとして機能したと言える。この中にいれば安心だった。彼の心の揺れをこの巨大な人、人、人の緩やかなつながりが形成する網の目が吸収してくれたわけである。
相変わらず友人が出来ず孤独な学校生活であったが、この放課後の探検散策のおかげで少し藤塚の心に余裕が生まれてきていた。
「さて、本屋に行くか」新宿の某有名書店に立ち寄りそれから帰宅する。この地域で最大の本屋として有名なその書店は、藤塚の興味、探究心を満たすのに十分な蔵書量を誇っていた。今ではその本屋で時間をつぶすのも楽しみにもなっていた。藤塚はこうして自らの心の正と負の部分を巧みに中和させながら、傷心の青春生活を一日一日必死にもがきながら過ごしていった。
第四章
高校生活初めての中間試験も終わり学校の生活はそれなりにリズムがつかめてきたが、藤塚は相変わらず孤独な学校生活を送っていた。実は六月から新聞部に入部したのだが、このクラブはまことに変わり者の集まりで、彼を含め三人の新入生がいたが友人として付き合えるような雰囲気の者はいなかった。二人とも真面目一徹のお坊ちゃんという感じで、「これならサッカー部に入っていれば良かった」と後悔しても後の祭りであった。部活動以外で友人になろうというような雰囲気はまったくなかった。確かにサッカー部に入部していればまた藤塚を取り巻く状況は違っていたかもしれない。しかしこの頃の彼はある意味孤独に慣れてしまっていて、放課後のクラブ活動は友人としての付き合いは出来なくとも、彼の孤独感を和らげるにはまた、別の観点からは助けとなっていた。