change
確かについていた。禍々しくもユーモラスな造形、大脳も胃袋も超越して男を支配する第三の魂の在処。おそらく創造と破壊の六割を司り、新たななにものかを生み出す肉の耕作機。
「男になっちゃったのよね」
しかし、例の肉の器官だけで、「男性」であると規定するのはいかがなものではなかろうか。男性性、女性性とは社会的文脈、政治的文脈によっても大いに左右される概念であり、というかそもそもふたなりは女子についているから価値があるのであり、男子が膨らんでるなんてそれはただのニューハーフじゃね、ていうか萌えないんだよ等々、わき上がる各種疑問。
「私が男だっていってるからそれでいいのよ。ついてること、ついてないことは確かに君が言うとおり、男の本質とはズレてるのかも。でも、結局ついてなければ男って名乗ることは絶対できない。そうじゃない?」
つまるところ、決定論的な要因としてではなく、根源的な要因としての肉棒ってことだろうか。社会的文脈と肉体的文脈の齟齬が彼女の内面を規定しつつあるのかもしれないと、わかったようで全然わかっていないことをつぶやくのも厨二の特権だと改めて思う。
言葉と戯れ、言葉に戯れられる。人類が営々と積み上げてきた知識と伝統と思想を表層的に剽窃して、有意味に見えるなにかを練り上げる。結局、無意味だと知りながらも、平板な世界に向かって、己の尖りを肉棒を突き上げようとする。
「また、どうでもいいことをぶつぶつと、大事なのは"今ここ"の事よ。私に、はえて、きた。それだけじゃない?」
と、言い切る彼女の瞳はまっすぐで強い。
同じだ。
彼ら彼女らと。
かつて、この教室につどい厨二的反攻とは無縁に、平板な世界を、あるがままの世界を、素直に受け入れてその上で、笑ったり、怒ったり、泣いたり、恋したり、愛し愛され青い春を萌やしていたクラスメイト達と。
「これが、本当の私。今なら、私、世界を受け入れられる気がするわ」
彼女は同じ眼をしている。去ってしまった彼らと同じ。
世界の横糸が音もなく千切れたいつかの一瞬。まっすぐで一つだった、世界の形は無限に分裂した。
「ようやく自分自身を受け入れられる、そう感じるのよ」
と、キラキラしたまなざしで僕を貫く彼女。
その自信がどこから来ているのか、今の僕には理解できない。世界になにが起きたのか理解できないくらいに。結局のところ原因とか理由とか因果とか法則とか、そんなものはどうやら、とっとと早めの引退を決め込んで、彼岸の浜辺で永遠のバカンスを決め込んでしまい、70億ちょっとの人間の意識の流れだけが残された。
「それは、君も同じじゃないかな?」
まっすぐな視線に加えて放たれる、まっすぐな言葉。
「僕が、生物学上の定義にこだわったみたいに、君も囚われてるんじゃないのか?」
迷いなく、彼女は僕に問う。
まっすぐな|世界を書換える力《意志》がそこにある。
「生物学上は男。君の卒業文集。苦手なんだろう?男という性の暴力性が、さりとて収まらない性欲が、男としての自分が」
時間の流れとか、因果の流れとか、そんな物を確固として締めていたなにががどこかへ行ってしまって、残されたのは、何でもありの可能性と、原動力としての人間。
思いが全てを変えていくよ。きっと驚くくらい。
とある妖精が、いつかどこかで歌った歌のように、不定形と成った世界。
完全な三人称だった世界の語りの上で、地の文とのなかに織り込まれていた人間達の意識が、一つ一つが世界を独自に語り出す冗長系ラノベの一人称語りへと。
「君も認めてしまえばいいんだ。君の望みを」
結果世界がどうなったのか。
繰り返すけど、今の僕には理解できない。世界の仕組みの長口舌も、天才的学者と世界一のスパコンの苦心と天恵の研究成果でもなんでもなく、隣に住んでる姉が今朝僕に語って聞かせたもので、ついでに昨日までの僕に姉の記憶はなかった。はずだ。
「付いているとか、付いていないとか、馬鹿馬鹿しい、よくそう言ってたよね。かっこつけて、中性を気取って、自由なふりをしていたよね」
降り止まない雨が、外がない街が、終わらない高校生活が僕の望みなのかも、わからない。どうやら世界は、70億の一人称が、可能性という資源を喰らい合いながら、常に書換え合いと更新を繰り返しているようだと、昨日までいなかったと思われる姉は語った。
「でも、わかっていたんだろう。自分の中にある男の欲望は捨てられない。女子の、胸を尻を脚をついつい目で追ってしまう。記憶に焼き付けたそいつで、毎日毎夜オナニーに励んでいた。生物学上の男の欲望に身を任せていたんだろう」
だから、世界は不定形。昨日の結果が、昨日の設定が、昨日の記憶が、そもそも"昨日と今日と明日"という時間の流れが、どこかで、終わってしまったのだから。だから、僕が僕であることも、目の前の君が君であることもすべてが、どこかの誰かの、そして僕自身の欲望によって書換えられうる可能性があるのだろう。ひとえに世界が終わっていないのは、まだ、終わらせたくないという欲望の総量が、終わりの欲望より多いからだと、姉は言う。この雨降る街も、曖昧な時間も、誰かの欲望と僕の欲望が紡ぎ出したその結果なのだと。言葉と物は等質で同一なんだと。
僕が僕であること。それが僕の欲望だ。なにもかもが、不定のこの世界で僕で在りつつづけたい。
「君も心のままに生きればいいんじゃないかな。僕のように。"生物学上"なんて括弧付きの言葉遊びは終わらせればいい。ねがえ、そして希望せよ。一心不乱に欲望を解きはなてばいい。かなえられない欲望を、言葉に押し込め、屈折させる無為な行為は卒業しようじゃないか」
伸びやかなアルトボイス。きっと彼女が夢見ていたのであろう。中性的な美少年の声が僕の耳を犯す。脂肪という枷から解き放たれた(と彼女なら言っただろう)若木のような肉体が僕の視野を浸食する。
厨二病は闘争だとさっき僕は言った。それは、この言葉と物が等価となった世界において、文字通りの意味で真実だ。
単純に欲望に己を準拠させ、世界ともろとも転換の時を迎える。それが一番簡単だ、目の前の元少女の少年。どこからか現れた姉。どこかへと消えてしまったクラスメイト。きっとみんな欲望と世界と仲良く寝たのだろう。
だが、厨二はそれとは真逆。決して、あるがままの世界など受け入れない。こんな世界は間違っていると、あらん限りの言葉と概念で、闘いを仕掛け続ける。たとえそれが浅薄で貧弱で脆弱であったとしても。
「だから、素直になれよ。可愛くて、柔らかくて、汚れをしらない、どこにでもいそうで、実はどこにもいない女の子。それが君の欲望なんだろう。だから……」
教室に残っていたのは二人だった。降り止まない雨の中で、ただ一心に己を振りかざし、世界と闘ってきたはずなのに。彼女は去ってしまった。
僕を置いて。
「ありのままの君が、僕は好きだよ」
――いったいなにを言っているんだ。ふざけているとしか言いようがない。
「ふわふわの女の子、それが君なんだ。素直で、素敵な、女の子」