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〈生物学上は女〉
中学校に三つクラスがあれば、一人ぐらいはそうやって卒業文集のプロフィール欄に書く女がいる。マリアナ海溝のごとく深く精神に沈み込んだ女性嫌悪と、環太平洋の火山活動みたいに熱く強く吹き上がる自己顕示欲が絡みつき6月の薔薇のように開花した思春期の自意識の決定版。いわゆる一つの厨二病患者だ。
そんな、少女の一部は手首に聖痕を刻んだり、自室に王国を見いだしたり、樹海に異世界を探したりと、ひび割れたガラスの十代の一極の象徴のような人生を完遂するわけだが、もう一方の極のゴーホームじゃないヤンキー娘達のように、多くは適当に社会とか教室とかに適応して、飛び跳ねては軟着陸を繰り返して、最終的に適当な男の適当な隣に収まる未来に向けた、本人的にのみ波瀾万丈な今を適当に生きている。他に人がいない、がらんとした教室の一つ前の席に、微妙にだらしない形のお尻を据え付けている少女もその一人だった。
この手の少女の例に漏れず、黒いものと禍々しいもののを人工的な甘さで混ぜ合わせた、実のところ彼女らがバカにするスイーツと本質的には大して変わらないものが大好きな彼女が、後ろの席でポーの短編集なんぞをうかつにも開いていた、根暗な少年にちょっとした興味を引かれるのは当然の成り行きであり、ポーを愛好するような少年にふさわしい中学生時代を全うした僕にも女子からの関心を拒む理由などなにもなく、つまるところ語り手たる僕は彼女と、必然的な出会いを果たしたのであった。
実のところ僕も卒業文集に「生物学上は男」と消えぬ青春の聖痕を刻みこんで、向こう数十年間に渡って同窓会で笑いの種になるであろうのネタを作成してきた口だった。
過去を振り返るための、未来の出来事である同窓会なんてもの意味がおそらく無くなった「今」だけれども、彼女の精神状態に関しては、明日の天気ぐらいにはわかりたくないけどわかる。そんなわけで、だらだらとした自己肯定の相互交歓関係が生まれてしまっていた。
で、
「で、今私は生物学上は男なわけよ」
と、
人気のない夕方の教室で少女は僕に、新たなステージへの移行を高々と宣言する。
窓の外は雨。鈍重な鉛のような灰色の空。おそらく過去のある日からずっとこの街では雨が降り続いている。その日がいつだったのか僕は覚えていないし、だれもがそうだろう。水がどこから来て、どこに行くのかもわからないけれども、少なくともこの街で天気予報は意味を失い。傘の色がデートの勝敗を決める一要素と成った。
変わらない、雲のカーテンを見上げ、ため息を一つ。
こいつは、厨二病というより、妄想のたぐいだ。
厨二病と妄想は似ているようで、全く異質だ、前者はあくまでも、膨らまし続けた自意識を世界に対して振りかざし、絶対に勝てないとわかりながらも、信じずに挑み続ける闘争の一形態だ。だが、後者は膨らみ続けた自意識を世界に塗り込んでしまう、闘いを放棄する逃走の最終形態だ。前者が後者へ至る過程であることは否定しないが、その移行とは結局何かをあきらめて、世界に負けてしまうってことだ。その逆はあり得ない。逃げだしてしまえば闘いの場に戻ることはできないのだ。
それは決定的に違うのだ。
「えーと。君はどう見たって女の子なんだけど」
前の席に腰掛ける肉体を観察する。たゆんとしたお尻、むにゅんとした胸。全体的に少々だらしがないけれど、それがいいという男は多いだろうし、どちらかというと僕もその口で、どうやら遠くに行ってしまったらしい彼女の身体を一抹のもったいなさを感じつつ眺め回すのだった。
「はえたのよ」
と、そんな僕の視線を断ち切るように決然と彼女は言い放つ。
「はえたってなにが?」
正直この流れからいって、生え出るものなんて、予想するまでもないのだけれど、あえて僕は聞いてみる。それは、単なるスケベ心だったのかもしれないし、もはや手の届かないところにいってしまった、かつての戦友にとっておきの一言を発する機会を与えようとしたのかもしれんない。
「決まってるじゃない。おちんちんよ!」
微苦笑。予定調和のその一言。
「なに。その顔。アンドロギュノスよ。神秘主義的にも錬金術的にも完全生命体よ。貴方も私も素敵ドイツ語を辞書で見つけた中学生のごとく、深淵の畔より沸きだつ生命の泉にであった魔術師のように歓喜すべきところではないかしら」
この街の外というものが、いつの間にかだれ者の認識と記憶から消え去ってしまい、この街にドイツ人がいない限りだが、完全に観念上の言語と成ったであろう、ドイツ語は確かに厨二の心を熱くたぎらせる神秘の言語である。、ボールペンが「クーゲルシュライバー」であることに興奮していいのはやはり中学生までだろう。高校生たる者ギリシア語が「スティロ・ディアルキアス」であることにさらに密やかな陶酔を得るぐらいの工夫は欲しいと思う。
「ああ、信じられないのね。そうね。所詮貴方は覚醒を知らない凡俗ですものね。じゃあ、確かめてみるといいわ」
と、やおら立ち上がると、校則指定よりも長めのスカートをするするとめくりあげ、純白の下着をあらわにする。進級も卒業もなくなった、高校でも校則は生きていて、生徒指導も健在で、スカートの丈は今でも争点になる。長いたけは雨の中ぬれて気持ち悪いという実際的理由はありながらも改訂される気配はない。もしかしたら、なんどとなく改訂されているのだが、それがまた書き直され、やり直されているだけかもしれないけれども。
「いきなりですか!」
いろいろと、順序があるでしょ。こういうのには。思わず目をそらす。
背伸びもジャンプもとどかない棚の最高位置から垂れ下がる葡萄な、肉体的な快楽を観ないがために、そいつをあざ笑い。代償としての言葉と妄念の網に囚われた僕らなのだから、そこはもっと引用なりレトリックなりを駆使しての説得があってしかるべきではないのだろうか。これが、闘争を放棄し、偽りの安楽に逃げ去った者のやりくちなのか。いや、そもそも僕たちの背後にあるのは、せいぜいラノベとアニメと翻訳小説であり、そのバックボーンをバーモントカレー甘口ハチミツ増しのごとく、甘く柔らかくマイルドに解説してくれるその手の出版社の神話解説本で、舌と脳を突き刺し破壊するスパイスのごとき、ハードでホットな古典的レトリックの駆使なんて僕にも彼女にもできるわけがないのだ。だから、だから、彼女がこうして言語を放棄する自棄的行為に及ぶのも理解できなくはなく、ならば仮にも友人としてその覚悟につきあうのはやぶさかではない。そもそも……
「ぶつぶつ言ってないで!見なさい!」
あと二歩半で完成しかかっていた自己肯定弁論を無理矢理に、中断する彼女の右手、必死に抵抗しようとする僕を押さえつける彼女の左手。そして、首から上を完全固定されて凝視する白い処女布にまもられた彼女の股間には、確かに、この灰色の空のように見慣れた膨らみが鎮座していた。
「どう、間違いなく、ついてるでしょ」
これ以上は恋人だけよ。と今までに見たことのない、いい笑顔で宣言して彼女はスカートを直す。
中学校に三つクラスがあれば、一人ぐらいはそうやって卒業文集のプロフィール欄に書く女がいる。マリアナ海溝のごとく深く精神に沈み込んだ女性嫌悪と、環太平洋の火山活動みたいに熱く強く吹き上がる自己顕示欲が絡みつき6月の薔薇のように開花した思春期の自意識の決定版。いわゆる一つの厨二病患者だ。
そんな、少女の一部は手首に聖痕を刻んだり、自室に王国を見いだしたり、樹海に異世界を探したりと、ひび割れたガラスの十代の一極の象徴のような人生を完遂するわけだが、もう一方の極のゴーホームじゃないヤンキー娘達のように、多くは適当に社会とか教室とかに適応して、飛び跳ねては軟着陸を繰り返して、最終的に適当な男の適当な隣に収まる未来に向けた、本人的にのみ波瀾万丈な今を適当に生きている。他に人がいない、がらんとした教室の一つ前の席に、微妙にだらしない形のお尻を据え付けている少女もその一人だった。
この手の少女の例に漏れず、黒いものと禍々しいもののを人工的な甘さで混ぜ合わせた、実のところ彼女らがバカにするスイーツと本質的には大して変わらないものが大好きな彼女が、後ろの席でポーの短編集なんぞをうかつにも開いていた、根暗な少年にちょっとした興味を引かれるのは当然の成り行きであり、ポーを愛好するような少年にふさわしい中学生時代を全うした僕にも女子からの関心を拒む理由などなにもなく、つまるところ語り手たる僕は彼女と、必然的な出会いを果たしたのであった。
実のところ僕も卒業文集に「生物学上は男」と消えぬ青春の聖痕を刻みこんで、向こう数十年間に渡って同窓会で笑いの種になるであろうのネタを作成してきた口だった。
過去を振り返るための、未来の出来事である同窓会なんてもの意味がおそらく無くなった「今」だけれども、彼女の精神状態に関しては、明日の天気ぐらいにはわかりたくないけどわかる。そんなわけで、だらだらとした自己肯定の相互交歓関係が生まれてしまっていた。
で、
「で、今私は生物学上は男なわけよ」
と、
人気のない夕方の教室で少女は僕に、新たなステージへの移行を高々と宣言する。
窓の外は雨。鈍重な鉛のような灰色の空。おそらく過去のある日からずっとこの街では雨が降り続いている。その日がいつだったのか僕は覚えていないし、だれもがそうだろう。水がどこから来て、どこに行くのかもわからないけれども、少なくともこの街で天気予報は意味を失い。傘の色がデートの勝敗を決める一要素と成った。
変わらない、雲のカーテンを見上げ、ため息を一つ。
こいつは、厨二病というより、妄想のたぐいだ。
厨二病と妄想は似ているようで、全く異質だ、前者はあくまでも、膨らまし続けた自意識を世界に対して振りかざし、絶対に勝てないとわかりながらも、信じずに挑み続ける闘争の一形態だ。だが、後者は膨らみ続けた自意識を世界に塗り込んでしまう、闘いを放棄する逃走の最終形態だ。前者が後者へ至る過程であることは否定しないが、その移行とは結局何かをあきらめて、世界に負けてしまうってことだ。その逆はあり得ない。逃げだしてしまえば闘いの場に戻ることはできないのだ。
それは決定的に違うのだ。
「えーと。君はどう見たって女の子なんだけど」
前の席に腰掛ける肉体を観察する。たゆんとしたお尻、むにゅんとした胸。全体的に少々だらしがないけれど、それがいいという男は多いだろうし、どちらかというと僕もその口で、どうやら遠くに行ってしまったらしい彼女の身体を一抹のもったいなさを感じつつ眺め回すのだった。
「はえたのよ」
と、そんな僕の視線を断ち切るように決然と彼女は言い放つ。
「はえたってなにが?」
正直この流れからいって、生え出るものなんて、予想するまでもないのだけれど、あえて僕は聞いてみる。それは、単なるスケベ心だったのかもしれないし、もはや手の届かないところにいってしまった、かつての戦友にとっておきの一言を発する機会を与えようとしたのかもしれんない。
「決まってるじゃない。おちんちんよ!」
微苦笑。予定調和のその一言。
「なに。その顔。アンドロギュノスよ。神秘主義的にも錬金術的にも完全生命体よ。貴方も私も素敵ドイツ語を辞書で見つけた中学生のごとく、深淵の畔より沸きだつ生命の泉にであった魔術師のように歓喜すべきところではないかしら」
この街の外というものが、いつの間にかだれ者の認識と記憶から消え去ってしまい、この街にドイツ人がいない限りだが、完全に観念上の言語と成ったであろう、ドイツ語は確かに厨二の心を熱くたぎらせる神秘の言語である。、ボールペンが「クーゲルシュライバー」であることに興奮していいのはやはり中学生までだろう。高校生たる者ギリシア語が「スティロ・ディアルキアス」であることにさらに密やかな陶酔を得るぐらいの工夫は欲しいと思う。
「ああ、信じられないのね。そうね。所詮貴方は覚醒を知らない凡俗ですものね。じゃあ、確かめてみるといいわ」
と、やおら立ち上がると、校則指定よりも長めのスカートをするするとめくりあげ、純白の下着をあらわにする。進級も卒業もなくなった、高校でも校則は生きていて、生徒指導も健在で、スカートの丈は今でも争点になる。長いたけは雨の中ぬれて気持ち悪いという実際的理由はありながらも改訂される気配はない。もしかしたら、なんどとなく改訂されているのだが、それがまた書き直され、やり直されているだけかもしれないけれども。
「いきなりですか!」
いろいろと、順序があるでしょ。こういうのには。思わず目をそらす。
背伸びもジャンプもとどかない棚の最高位置から垂れ下がる葡萄な、肉体的な快楽を観ないがために、そいつをあざ笑い。代償としての言葉と妄念の網に囚われた僕らなのだから、そこはもっと引用なりレトリックなりを駆使しての説得があってしかるべきではないのだろうか。これが、闘争を放棄し、偽りの安楽に逃げ去った者のやりくちなのか。いや、そもそも僕たちの背後にあるのは、せいぜいラノベとアニメと翻訳小説であり、そのバックボーンをバーモントカレー甘口ハチミツ増しのごとく、甘く柔らかくマイルドに解説してくれるその手の出版社の神話解説本で、舌と脳を突き刺し破壊するスパイスのごとき、ハードでホットな古典的レトリックの駆使なんて僕にも彼女にもできるわけがないのだ。だから、だから、彼女がこうして言語を放棄する自棄的行為に及ぶのも理解できなくはなく、ならば仮にも友人としてその覚悟につきあうのはやぶさかではない。そもそも……
「ぶつぶつ言ってないで!見なさい!」
あと二歩半で完成しかかっていた自己肯定弁論を無理矢理に、中断する彼女の右手、必死に抵抗しようとする僕を押さえつける彼女の左手。そして、首から上を完全固定されて凝視する白い処女布にまもられた彼女の股間には、確かに、この灰色の空のように見慣れた膨らみが鎮座していた。
「どう、間違いなく、ついてるでしょ」
これ以上は恋人だけよ。と今までに見たことのない、いい笑顔で宣言して彼女はスカートを直す。