妖怪たちの八百万
環の手に僕の手が触れた。僕は声を絞り出す。
「環。」
「ああ。」
僕の呼びかけに環はしっかりと言葉を返す。その声は僕に届いた。
「姉ちゃんを、僕の家族を助けてくれ!!」
言葉に意味が戻り、願いが口をつく。
「ふん、今度こそ助けてやる。」
環が僕に笑顔を向けた。これが敵なのか。こいつが僕を苦しめる悪夢の根源なのか。
違う。そうじゃない。こいつは僕の味方なんだ。
環がそっと僕の手を離した。
「十分だ。ちょっと後ろで見てな。」
環はそう言って、僕と女性の間に立ち塞がった。その後姿に違和感を覚える。先ほどまでの環は子供のような小柄な体躯をしていたはずだ。今、僕の眼前にはまるで子供から大人に成長したかのように急激な変化を遂げた環の姿があった。環が少しだけこちらを振り返る。僕の不安を取り除くかのような自信に満ちた表情だった。
「すぐに済む。」
しばらく言葉を失っていた女性も環の変貌を前にして思い出したかのように体勢を整えた。先ほどまでの余裕すら感じる雰囲気を失い、環に怯えているようにすら見えた。
「う、来ないでよ。」
「さっきまでと態度が違わねぇか、おい。」
環の背後から灼熱が吹き荒れる。女性は為す術もなく炎から遠ざかるように退いた。炎の体積は瞬く間に増加し、女性の逃げ道を消していく。
圧倒的だ。猛る炎は家族の幻影を器用に避けて女性を執拗に追い詰める。女性の長い黒髪が熱に煽られ激しくはためいた。焦燥の面持ちで逃げ惑う女性の姿に、先程まで炎に怯えていた僕の姿が重なった。
僕は、腕を組みながらその光景を眺める環に声を掛ける。
「あの人を殺すのか?」
環は答える。
「殺しはしねぇよ。ただちょっと懲らしめるだけだ。」
眼前には環の後姿。炎を生み出す環の背。周りを見回すと炎に飲まれていない空間の方が少ないくらいになっていた。その限られた空間にふらつきながらも女性は立つ。
「これに懲りたら二度と繰り返さんことだ。まぁ、できんだろうがな。」
環が言い終わるのとほぼ同時に炎の束が女性を覆った。