妖怪たちの八百万
「全てにおいて邪魔でしかないあいつはここにはいない。もういい加減食べてもいいわよね、坊や。」
僕は。
「ふざけたことぬかしてんじゃねーぞ!!」
轟音。それが声であることに気付くのが遅れるほどの大音響。
背後からの突然の怒声に僕は思わず振り返る。そこにいたのは、白髪に背後に炎を背負う小柄な少女だった。見たことがあると思った。うまく働かなくなった僕の頭ではそれを思い出すことはできなかった。
少女はこちらを射殺さんばかりに睨みつける。睨んでいるのは僕の背後に立つ黒髪の女性のようだった。
「また来たの。しつこいわねぇ、本当に。あからさまに直情型のくせして粘着質なんて最悪じゃないの。」
女性はため息混じりに吐き捨てた。僕はぼんやりとした意識で彼女たちのやりとりを漫然と聞き流す。
「下手な芝居だったな。あたしの幻影なんぞで人が操れるか。」
「そんなこと分かってるわよ。だから何日もかけて準備したんじゃない。もう坊やには私しか届かない。」
そう言って女性は僕に身を寄せた。
「ねぇ。」
耳元で囁く。
「貴様、そいつから離れろ!!」
白髪の少女が吼えた。声帯から発せられているのか疑わしいほどの声量で周囲が震える。
「……うるさーい。何で来たの。何しに来たの。あなたが私に敵うと思っているの。」
「黙れ、今まであたしから逃げ回っていた貴様がよく言う。だがそれも今日で終わりだ。今すぐここから去れば焼けなくてすむぞ。」
「あなた、分かってないわね。逃げてたんじゃなくて相手をする必要もなかったのよ。」
少女が返したのは言葉ではなく炎の奔流だった。僕は眼前に迫る熱から逃げることができず、身体を硬直させた。
「もう。」
女性は火炎を片手でなぎ払った。動いたのかも判別がつかないほどの微かな動作だった。それだけで熱から逃れた。
「あなたねぇ、この坊やがどうなってもいいの。あの軌道じゃ私よりも先にこの坊やに当たっちゃうでしょうが。」
「あたしの火なんか効かねぇんだろうが。細けぇことは気にすんなよ、挨拶代わりだ。」
少女は自嘲気味に笑った。
「おい、そこの貴様。」
少女の視線が僕に注がれる。これは僕に対して言ったのだろうか。
「いい加減にしろよ。そんな奴の言うことになんぞ、耳を貸すな。そいつはお前の夢を喰う。夢を喰われるってことは記憶を喰われるってことだ。」
僕は少女の言っていることが理解できない。頭が働かない。この女性は僕の味方だと言っていた。この女性は僕の味方なんだ。
「もう何を言っても無駄よ。伊達に時間かけてないわ。この坊やに届くのは今や私の声だけ。あなたの言葉は流れて消える。」
「貴様……。」
「あなた、もう帰ったら。もう何もできることはないの。私はおなかが空いてるの。ペコペコなの。早く食べたくて仕方がないのよ。分かる?」
女性が畳み掛ける。僕には最早言葉の意味を理解することができなかった。少女と女性の間で交わされる会話の流れを掴むことができずにいた。女性は味方で、少女は敵なんだ、それだけが頭にあった。黒い髪の女性と白い髪の少女が言い争う声が聞こえる。
「もういいわ、出て行かなくても。だけどここには入って来ないこと。入ろうとしても無駄でしょうけれど。」
女性がそう言うと一度は消えたはずの炎の壁が再び食卓を囲んだ。相変わらず僕の家族は周囲の変化に対して反応を示すことがない。彼らが僕の記憶でしかないからだ。ただの記憶の再生でしかないからだ。炎の輪の内側には食卓に着く四人と女性だけ。白い少女は壁で隔たれてその姿を消した。
「おい貴様!!そいつの記憶を喰うことは許さんぞ!!」
姿の見えない少女の叫びが炎の向こうから届いた。叫びに応えるわけでもなく、女性は呟いた。
「この坊やは私に夢の中から精神を掌握されている状態。最早私の言うことが全ての生き人形。どう足掻いたってあなたがこの坊やを助けることはできない。」
堪えきれなくなったように少女が吼えた。鼓膜は震えても炎の隔たりが揺らぐことはない。