激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに
一方長野主膳は、その頃何をしていたのだろうか?
直弼と同い年の長野は伊勢国飯高郡滝野村に姿を現した。そして、その二年後の1841年(天保12年)。長野・二十六歳は、滝野村の次郎左右衛門の娘、四つ年上の女・多岐(三十歳)と夫婦となる。
直弼も長野も、二人とも年上の女が好みのようだ。ここにも二人を結びつける運命的なものがある。
そして長野と多岐の夫婦は旅に出る。
1842年(天保13年)、長野主膳・二十七歳。その旅路の果てに、近江国坂田郡志賀谷で国学塾‘高尚館’を開く。
その噂を聞き付けて、初夏のある日、たか女・三十三歳が勉学のためにふらりと高尚館を訪ねてきた。村山たか女と長野主膳、ここに二人は運命の出逢いをする。
長野主膳は二十七歳の時にたか女に出逢う。その時の長野の感動が歌に残っている。
『思うその ゆかりと聞けば 青柳の 知らぬ蔭にも 立ちまとひつつ』
長野は濃艶に美しい‘村山たか女’に、よほど衝撃を受けたのだろう。そしてたか女も、長野の男の色気にビビッとくるものがあった。
だが用心深い。たか女は長野と意気投合したものの、自分の心を打ち消したいところもある。そのためか、直弼に長野を紹介する。
直弼はそんな女のずるさがわかるほど、未だ成長をしていなかった。
長野に埋木舎を訪ねてくるように手紙を出した。長野主膳がそれに応え、直弼の住む埋木舎を訪ねる。
その夜、国学和歌で二人は盛り上がり、生涯の友となる。
直弼と長野は共に二十七歳。村山たか女が三十三歳の時のことだった。
人の出逢いとはまことに不思議なものだ。今までまったく異なった人生を歩んできた三人。しかし、いろいろな出来事を経て、それぞれの三つ線がここに……一点に交わり収斂した。
その運命の日は1842年11月20日。村山たか女、長野主膳、井伊直弼の三つ星が流れ、そしてこの宇宙の一点に集結した。
そしてここを起点として、その後のそれぞれの生き様は互いに連動しながら、より複雑な姿へと変化して行くのだった。
作品名:激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに 作家名:鮎風 遊