激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに
1834年(天保5年)、たか女・二十五歳。多田一郎への失望と、そしてそれから解放されることへの期待。そんな胸中で離縁をした。そして一人息子・帯刀(たくわき)を連れ、彦根へと舞い戻ってきた。
女房に逃げられてしまった多田一郎。よほどたか女が良い女だったのだろう。その後幕末ストーカーとなり、その生涯、たか女を追い掛けつきまとう。
しかし、村山たか女は新たな世界を求めて踏み出してしまった。二度と多田一郎には振り返りもしなかった。
直弼は、その頃一体どうしてたのだろうか?
たか女が金閣寺の僧に京都の北野で囲われていた頃、直弼は十六歳になっていた。
十四男の直弼は、十二代藩主になることはない。たった三百俵の捨扶持をもらって、埋木舎(うもれぎや)で暮らし始めていた。
『世の中を よそに見つつ埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』
直弼は己のことをこう詠んだ。
夢も希望もない。鬱々とした日々がなんの輝きもなく過ぎ去って行く。そして二十歳の時の書がある。
『これ世を厭(いと)ふにあらず。はた世をむさぼるごときか。弱き心しおかざれば、望み願うこともあらず。ただ埋もれ木の籠もり居て、なすべき業をなさまし』
今風に解釈すれば、世の中が嫌になったのとは違う。また出世したくてたまらないのとも違う。したがって望み願うことは何にもない。
ただ土に埋もれた埋もれ木のように、自分のやるべきことをやるだけだ。
これは──まさに陽の当たる場所に出られない男の心の叫びか? それとも大いなる僻(ひが)みか? なんと暗い思考なのだろうか。
落ち込んだ直弼の日々。そのような頃に、忽然と村山たか女が直弼の目の前に現れた。都の風に乗せられて、一人の女が舞い戻ってきたのだ。
少年時代、直弼が御殿で垣間見て、その小さな胸を熱くした‘たか女’が……。
あの頃確か直弼は十一歳。たか女は十七歳だった。当時のたか女にはまだ初々しい乙女の輝きがあった。
しかし、今は違う。たか女には男を弄(もてあそ)ぶような危険な美しさがある。そんな妖しげな妖艶さがたまらない。
1839年(天保10年)、直弼・二十四歳、そしてたか女・三十歳。この頃からたか女は直弼の恋人となる。
埋木舎の暗闇の一室。きっとたか女は白蛇のように、直弼に巻き付いたのだろう。そして直弼は、その冷えた肌の感触から逃げられなくなったのかも知れない。
作品名:激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに 作家名:鮎風 遊