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激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに

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 時は1809年(文化7年)。村山たか女は近江国犬上郡多賀町に生まれる。
 父は多賀社尊勝院主の尊賀少僧都。母は多賀社般若院住職の妹の藤山くに。
 たか女は、母くにが上人のお世話に通っている内に生まれた。世間体もあり、同社寺侍の村山氏に預けられ、村山可寿江(かずえ)の名で育てられた。
 たか女は巳年生まれ。色白で、どことなく白蛇のような怪しさを持つ美しい娘だった。
 一方、長野主膳と井伊直弼は1815年(文化12年)の生まれ。この二人は同い年。そして、たか女からは六つ年下だった。
 長野主膳の出生は詳しくは分からないが、伊勢国出身とも言われている。この主膳の名は彦根藩士になってからの名。それまでは義言(よしとき)と名乗っていた。
 井伊直弼は1815年10月29日生まれ。第十一代彦根藩主の直中(五十歳)と母お富の方・彦根御前(三十一歳)の間に、十四男として欅(けやき)御殿で誕生した。

 歳月は流れ、時は1826年(文政9年)。
 巳年生まれのたか女は十七歳となった。活発で、怜悧な頭脳を持った娘に育っていた。そしてその肌は抜けるように白く、切れ長な目は鋭い。それはまるで白蛇のように、男までも凄ませてしまう怪しい美を持ち合わせ、美麗であった。
 そんな娘盛りのたか女・十七歳は、直弼の兄・直亮(1831年父直中死去の後の十二代藩主)の侍女となった。
 当時、直弼はまだ十一歳の少年。御殿で垣間見る侍女・たか女は目映いくらいに美しい。直弼はその子供心にも、たか女に心ときめかせた。

 たか女が侍女として勤め始め、四年が経った。その1830年(天保元年)、たか女は二十一歳。その姿態全体から醸し出される妖しい美はますます増し、艶麗な女性となった。
 こうなれば世間が放っておかない。母親の藤本くには京の都の花柳界に顔が利く。その紹介で祇園の芸者となり、華やかにデビューを果たす。
 1831年(天保2年)、たか女は二十二歳。ますます妖艶な女に変身して行く。そして都一の人気芸者となり、すぐに身請けの声が掛かる。
 それは金閣寺の僧から。是非にと。
 たか女はそれに応じ、京の北野で囲われの身となる。
 しかし、たか女はそんな籠の鳥のような生活に満足できなかった。もっと青い大空へと自由に羽ばたいてみたい。こんな閉じ込められた世界から飛び出したい。
 たか女はそんなことを強く思った。そしてたか女は、溺れる者は藁をも掴む気持ちで、身近にいた寺侍・多田一郎を誘惑する。
 たか女はまずは女として平和で平凡な生活を夢見て、多田一郎の妻となる。そして男の子・多田帯刀(たくわき)を産む。
 されど、もっと自由に羽ばたきたいという一念だけで、とりあえず一緒になってしまった‘たか女’。そんな見せ掛けの幸せはすぐに泡のように消えて行った。
 多田一郎がもっと強い男であったならば、また違った人生がそこからあったのかも知れない。
 だが、たか女は決断し、離縁する。そしてこれにより、たか女の新たな運命が開かれて行くこととなったのだ。