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激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに

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 時は1858年(安政5年)、井伊直弼・四十三歳。その四月二十三日、直弼は幕府権力者の大老に任じられた。
 大老は従来飾りものであったが、直弼は毎日まじめに登城した。そして、老中会議には必ず出席するはで、少しやり過ぎとの批判も出ていた。
 当時、抱える重要問題は二つ。
 一つは、将軍の後継問題。直弼は紀州の慶福(後の家茂)にすることを推していた。
 二つ目は、日米修好通商条約問題。これを締結して開国すること。しかし、水戸藩が朝廷と組んで、幕府に徹底的な反逆を開始させた。
 抵抗勢力は水戸藩主徳川斉昭(なりあき)の一橋派。直弼は、これに対抗するために長野主膳を側近に抜擢する。
 そして村山たか女・四十九歳。長野主膳の女となっていたたか女は、長野の意向に従い、
京都での反対勢力尊壌派の動向を、死にもの狂いでスパイ活動をし始める。そして集めた情報を長野主膳に渡し、井伊直弼に送った。 
 女スパイ‘村山たか女’はとにかく長野のために危険を冒し、精一杯活動した。

 1859年(安政6年)。大老・井伊直弼、その参謀・長野主膳、そして女スパイの村山たか女、直弼は三人の連携で尊壌派弾圧の行使を徹底的に開始する。
 これが世に言う安政の大獄。これを推し進めたのだ。
 九月七日、抵抗勢力の首謀者・越前小浜の梅田雲浜(うんぴん)を捕まえる。他に約二百人を検挙。その中には吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等が含まれていた。そして八名を死罪に処した。
 その結果、井伊直弼は強引にも家茂を将軍に据えることができた。また無勅許で、その通商条約の締結を成立させたのだ。
 直弼の仕事に油が乗ってきた。世の中ために身を挺して、大仕事を推し進める。まさに男冥利に尽きる。
 それはあの暗い埋木舎で、『世の中を よそに見つつ 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』と詠んだ日々。その鬱々と暮らした青年期への男の反動だったのかも知れない。

 高見沢は安政の大獄のことを思い、今度は「うっうー」と唸らざるを得なかった。
「安政の大獄か、不幸な出来事だったよなあ。しかし、直弼はそうせざるを得なかったのだろう。大きな幕末の渦の中で、男二人とたか女、女一人が揺れ動きながら突き進んだ」
 高見沢は「うんうん」と一人頷き、さらに思う。
「男は動乱が好き、直弼と長野、この男二人は多分心地良いエキサイティングを感じていたのかも知れないなあ。そしてたか女は、好きな男、長野のために、スパイとして身を張った。だけどその反面、たか女はもう来るところまで来てしまった、将来もっと大変なことがきっと起こるだろうと、女の勘で感じていたのではなかろうか?」