榊原屋敷の怪
紀江はそっと刀を握り締めた。
鐔鬼が押し入れを開けたらこれを突きさしてやろう。
倒すことは出来くても怯ませて隙を作らせる程度のダメージなら与えられるかも……。
その直後紀江は何かが開く音を聞いた。
*
私はもう一度部屋の扉を開けて周りの廊下を見回した。
良かった、何度見なおしてももうあの女はいない……。
私はホッと胸を撫で下ろしながら部屋の中に戻った。
布団の上では先ほどのワンちゃんが座りじっと私をつめている。
そんな視線を受け止めながら私は机に向かった。
今日はもう眠れる気がしない。
だったら夜が明けるまで本を読んでいよう。
私が机の前の椅子に座るとワンちゃんもついてきて私の足元に腰を下ろした。
この子なんだか私を守ってくれているみたい―なんだかそんな気がした。
*
「……」
紀江はじっと息を殺して鐔鬼の気配を探った。
あの禍々しい怨念の気配がゆっくりと押し入れから離れて行く。
私は助かったのか……?
なぜ自分が助かったのか分からないが、とにかくこの幸運を活かして行動しなければ。
紀江はじっと耳を澄まして周囲に鐔鬼の気配がないのを確認してから押し入れを出た。
手でライトを覆いながら懐中電灯を点け、部屋を見回した。
どこにも鐔鬼の姿はない。
それを確認すると紀江はそっと歩いて和室を出た。
全神経を研ぎ澄まして廊下を移動する。
鐔鬼が近くにいないためか先ほど感じた冷気はなくなっていた。
ギシギシと、相変わらず足音が廊下に響く。
しかし今度の足音は彼女の物だけ。
それがせめてもの救いだった。
紀江は襖を開けて裏庭へと出る。
そして懐中電灯で辺りの闇を照らし紀江は驚愕した。
裏庭に植えられていた木々が皆枯れてしまっている……。
これも鐔鬼の影響か……。
紀江はそのまま懐中電灯の光を裏庭の奥にある蔵へと向けた。
扉が完全に開け放たれ蔵の中が露わになっている。
……やはり封印が解けているのか……。
ゴクリと唾を呑みこんでから紀江は蔵の方に近づく。
蔵に近づくにつれあの冷気が再び襲って来た。
蔵の入り口に到達した彼女はライトの明かりを扉の取っ手に向ける。
そこには破れた札があった……。
「やはり札が破かれている……誰かが意図的にやったのか……?」
その時紀江は背後に殺気を感じた。
体が凍りつくほどの冷気。
間違いない……今鐔鬼は私の背後にいる……。
紀江は覚悟を決めると刀を掴んで振り向いた。
*
本を読んでいたら突如凄まじい叫び声が屋敷中に響き渡った。
「……何……今の声……」
自分でも声が震えているのがハッキリと分かる。
あの叫び声はおばあちゃんの物だ。
私は扉を開けて廊下を見回した。
もしかしておばあちゃんはさっきの女に……?
その直後私の脇を何かが走りぬけて行った。
あのワンちゃんだ。
ワンちゃんはおばあちゃんの悲鳴が聞こえた方向に走っていく。
「待って……!」
私も反射的にその後を追った。
真っ暗な屋敷の中をワンちゃんの足音を頼りに駆け抜ける。
そうして私がたどり着いたのは裏庭。
そのまま耳を澄ませているとワンちゃんが蔵の方向に駆けて行くのが聞こえた。
もう二度とあの蔵には近づきたくなかったけど足が勝手に動いてしまう。
蔵に近づくにつれ懐中電灯の様な物が地面に落ちて、何かを照らしているのが分かった。
その何かの近くでワンちゃんが悲しげに泣いている。
蔵の前にたどり着き懐中電灯が照らし出している物を見て私は絶叫した。
おばあちゃんが倒れている……。
しかもおばあちゃんの着物は血だらけだ……。
一体何が……。
私はもっとよく見ようとおばあちゃん方に近づいた。
そして“それ”を見た瞬間あまりの恐ろしさに私はその場に尻もちを着いた。
おばあちゃんの首がないのだ……。
首から上がすっぽりとなくなってしまっている……。
今まで首があった場所からはドクドクと血が流れ出ていた。
一体……一体おばあちゃんに何が……?
私の体はガタガタと震えてしまって動くが出来なかった。
きっとあの女の仕業だ……あの女がおばあちゃんを殺したんだ……もしかして次は私が……?
嫌だ……そんなの絶対に嫌だ……。
なんであの蔵に近づいてしまったのだろう……。
私があの蔵の扉を開けなければ端からこんなことは起こらなかったはずだ。
おばあちゃんが死ぬこともなかったはずなんだ……。
そんなことを考えている間にワンちゃんは走ってどこかへ行ってしまった……。
あぁ、私はまた独りだ……。
その直後誰かの足音がこちらに近づいてきた。
おばあちゃんの死体の近くに落ちている物とは別の懐中電灯が私の姿を照らし出す。
私はゆっくりと明かりの方へと顔を向けた。
……叔母さんだった。
「母さん!」
叔母さんは驚愕の表情でおばあちゃんの亡骸へと駆け寄る。
そして叔母さんもおばあちゃんの首がないことに気付いた。
「……なんてこと……。なんてひどい……誰がこんなことを……」
怒りに声を震えさせながら叔母さんは周囲をライトの明かりで照らした。
そして叔母さんは気付く。
蔵の入り口が開かれていることに……。
「蔵の封印が解かれている……!?一体どうして……」
半ばパニックに陥った様子で叔母さんは叫ぶように言った。
そんな叔母さんの様子を見て私は決心を固める。
やはり正直に言わないとだめだ。
「叔母さん……」
私は取り乱す叔母さんにおそるおそる声を掛ける。
「何……?」
叔母さんが言いながら私を振り返った。
努めて冷静になろうとしているのが声の調子から分かる。
「あの……ごめんなさい……」
私の言葉に叔母さんは「まさか……」という表情を浮かべる。
真実を告げるのが怖い……それでも言わなければならない。
「叔母さん……私、蔵の扉……開けちゃったの……」
その瞬間叔母さんが近づいてきて物凄い勢いで私の頬を叩いた。
凄まじい痛みと衝撃で私の体は地面にドサリと倒れる。
「あれほど近付くなと言ったでしょ……!約束だってしたのに、どうしてそれが守れなかったの……!?」
叔母さんが激怒の表情を浮かべながら私の胸ぐらを掴む。
私はただ謝り続けることしか出来ない。
普段ならこうして怒られる時、目から涙が出てくるのだが今回はその涙すら出て来なかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝って済むことじゃ―」
その時とても強い風が吹いた。
それは凄まじい冷気の風。
これもあの女の仕業なのだろうか……。
叔母さんは言いかけていた言葉を切り私に手を差し出した。
「蔵の件は後。今はとにかく逃げるのよ」
私は恐る恐る叔母さんの手を掴み立ちあがった。
その声はかなり焦っている様に聞こえる。
「雨刈鐔鬼の封印が解かれた今、私たちが生き残るにはこの屋敷から離れるしかないわ」
ウゲツバキというのはあの女の名前だろうか。
叔母さんが私の手を引いて門に向かって駆け出した。
問に近づくにつれあの冷気が濃くなる。
なんだか嫌な予感がした。
私と叔母さんは勢いよく問を潜り抜ける。
……が、直後私たちは凄まじい冷気に襲われる。
それを合図にしたかのように目の前の闇の中から女の姿が現れた。
叔母さんの持つ懐中電灯がその姿を照らし出す。
女の着物は紅い血に塗れていて右手には鋭い日本刀が握られていた。