最初で最後の恋(永遠の楽園、前編)
となりの智子は東野さんの左腕によりそっている。
「本当ですか、私はもう少し、こう、ほんとはロマンティックにやりたかったです。」
東野さんは グラスの氷を カランと揺らせて答えた。
「こんなに、けいさん達を本気で祝ってくれる人達だけの結婚式、最高です。」
その通りだった。これ以上の式はない。
智子が私のところにきた。
虫の音が聞こえる。二人で満天の星をみる。
..美咲、田中さん、私達、結婚しました。
智子が私の肩を抱いた。
明日はここで一日、休んで、明後日、谷川岳山頂に四人で向かう。
天気がよければいいが。
ロッジの中は、まだお祭り騒ぎが頂点のようだ。
弘さんはまだ、ソファーにうつぶせたままだ。
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谷川岳が、魔の山の顔をのぞかせ始めた。
頂上のトマの耳登頂めざし、夜明けに出発した、4人は、最大の難所、一の倉沢の急激な天候の変化に緊張した。
世界の山の中でも、群を抜いて遭難事故の多い、谷川岳。その大きな、理由の一つに、天気の急激な変化がある。
先程まで、日が出ていたのに にわかに曇り、谷からの突風と霧はまるで、演劇の舞台のようだ。
すぐに、小石のような、雨が降り出した。
一の倉沢の岩場を、斜面の鎖をたよりに私たちは 斜面にはって、かにの横歩きで足元をしっかり確認しながら、ゆっくり進む。
視界はない。
私が先頭で安全なルートを探し、次に東野さんと智子が、初心者の弘さんをはさんで進んだ。
私は叫ぶ。
「ここは、巻き上げる風が来るから、重心低くして、必ず、四点ついてて、
あぶなかったら、止まるからね。」
そのとき、後ろから、突風の隙間に、弘さんの声が聞こえた。
「..ここだ。」
私は飛ばされそうになる身体を 鎖にひきよせ、後ろを振り向く。
乳白色の霧の世界は、自分の手すら、見えない。
ざっと 岩が落ちる音がした。
「弘、弘、ひろしい。」
「弘さん、ひろしさあん。」
東野さんと智子の叫び声が 風雨の音を切り裂いて、響いた。
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魂を、谷底に落としたまま、三人に近づく。
足元から、石が落ちる白い闇の中を、もどかしく手探りで急ぐ。
手がなにかにふれた。しっかり握り返してくれる。
「弘さん、良かった、びっくりしたよ。」
身体中から、水分が全部出たとおもう程、冷汗が出た。
「け、けいさん、僕です、僕の手です。
弘が、弘が。」
東野さんの声が遠くにきこえる。
弘さんの手をさがす、さがす。
東野さんにしっかり握られた、震える智子の手が、手にふれる。
さがす、さがす、弘さんの手をさがす。
まぶたの裏に、白いぷつぷつが浮かびはじめ、蛍のように、霧の世界を漂いはじめた。
..東野さんと智子の間に、弘さんはいない
意識が遠くなる中、私を抱きしめ、じっと谷を見ている、東野さんの蒼い、ろうのような顔が、霧の中に浮かぶ。
..遠くに東野さんの声が聞こえる。
「弘が..谷に飛んだ..」
まぶたの中も霧でおおわれ、意識が谷の闇に、落ちていった。
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うなされて 目が覚めた。
見慣れない、白い天井がだんだんはっきり見えてくる、呼吸が苦しく、汗の粒が目に入る。
ここは、どこだろう、病院か。
それにしてもひどい夢を見た、弘さんが 死んでしまう夢..
息を整えながら、横をみると、智子が私の布団におおいかぶさっていて、軽い寝息が聞こえる。
気配に気ずいたのか、智子が目をさまし、腫れぼったい目をして、私を見た。
「良かった、けい、気がついたのね。
一の倉沢で、けいが気を失って、身動きが取れなくなって、救助されたのよ、私達..」
私達..私達..えっ..
白い天井がゆがむ。
「弘さんは、弘さんはどこに、どこにいるの。」
私は、起き上がろうとしたが、頭が割れるように痛くなり、顔をしかめて頭を手で押さえた、包帯が巻いてある。
「けいは 気を失う時に、岩の壁に頭を打ってるの、動いちゃだめ。」
智子があわてて、起き上がるのを、止める。
ドアを開ける音がして、腕に包帯をした東野さんが入ってきた、私が気がついたことを知ると、頭を下げ、何か思案している顔をして、私に近づく。
心臓が縮んで、なくなってしまうんじゃないかという思いで、もう一度、東野さんに聞いた。
「弘さんは..」
私から、目をそむけ、肩を震わせながら、東野さんはしぼりだすだすように言った。
「けいさん、弘は、自殺した。
止められなかった、急で、急なことで。
申し訳ない。止められなかった。」
東野さんは、智子の上から、二人を抱きしめ、嗚咽した。
智子の震えも大きくなる。
私はぼうっと天井を見上げていた、身体の中はすべて抜けて、どこかにいっていた。
つんと現実が、目と、鼻の間に戻ってきた。
目から、涙がとめどなくあふれ、やがて、慟哭に変わった。
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(三)
弘さんの遺体は、ついに 見つからなかった。
谷川岳で遭難して、最近、発見された遺体の中には、明治時代の装備をまとった者もいた。
この、厳しい岩の谷は、時間まで、閉じ込めてしまう。
半年がまたたく間にすぎた。
それでも、あきらめきれずに、私は毎週、ここ、一の倉沢に来て、ロッククライミングの装備を身につけ、弘さんを探した。
..なぜ、弘さんは私を残して、自殺したのか。
弘さんがいなくなった時からの、深く、果てしなく続いた悲しみは、半年たった今、その苦しみに変わっていた。
なぜ、なぜ、なぜ、自殺をしたのか。
結婚したばかりの、私の目の前でなぜ。
空を見上げ、答えを聞くが、答えはなかった。
どこが、なにが、なぜ、なんで。
とにかく、弘さんを探そう。すがるのはそれしかなかった。
顔をみて、答えを聞かなければ、これから生きていく自信がなかった。
そんな、狂気じみた私を、智子と東野さんは、最大限の気遣いの距離をとって、見守ってくれている。
やさしさが身にしみるが、自分のことで、いっぱいだった。
今日も、弘さんを見つけられなかった。
週末、駅からの帰り道の公園は、散り始めた桜が、街灯に照らされて、ひかえめに舞っていた。
足を速める。
最近、情緒不安定になっていた私は、夜の桜をみて、急に不安が黒い渦となって、頭を支配し始めた。
黒い渦は大きくなって、頭の中から、身体中に、めぐり始めた。
自分の足かどうかの区別も、定かでないほどの、心細さで、音が聞こえなくなる。
アパートの前に白いシャツがぼやけてみえる。
弘さん..
弘さんの目だ。
やさしく、包まれ、キスをされた。
その晩、わたしは、東野さんに抱かれた。
作品名:最初で最後の恋(永遠の楽園、前編) 作家名:ここも