最初で最後の恋(永遠の楽園、前編)
それはきっと、三つ子の一人がいなくなったらこうであろうという気持ちだった。
弘さんとも、あの秘密の一件以来、二人の透明な泉になにかが混じった。
弘さんとは 溶け合い、一つになったと信じていた私は、愛すれば、愛するほど、そのしみがひろがる。
夕暮れ、日が短くなり、会社の前から、見える空も、茜色から星座が支配する黒に変わるころ、会社の前にワゴンが止まり、東野さんと弘さんが降りて来た。
私と智子はドアを開けてもらい、乗り込んだ。
「ありがとうございます。助かります。
まだ 時間があるから、軽く、なにかお腹に詰めましょう。」
白い歯を見せて 東野さんは言った。助手席の智子は 緊張しているのか、うつむいている。
私達は ピアノの演奏会に 誘われていた。
世界的なコンクールで銀賞を取った、笹川裕子の凱旋帰国演奏会はマスコミが注目していた。
恋人とうわさされる、東野流水が現れるだろうからだ。
「いや、裕子さんとは、別になんでもないんですけどね。
ただの友達だなんて、学生みたいな言い訳したくないし、まあ、勝手にしてくれって感じですよ。
皆さんと一緒に、行けば、面倒なことにならなくて すみそうです。
本当に助かります。」
デビューしてから あまり月日がたたないのに、東野さんはいくつもの浮名を流していた。
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演奏会が終わり、ホールにあるレストランで私達は食事をしていた。
丸テーブルで スタッフといた笹川裕子がこちらに来て、東野さんの耳に手をあてなにか言い、東野さんは恥ずかしそうな顔をしてうなずく。
一斉に客にまぎれていた、シャッターが光る。
私達はまぶしくて、手で顔をおおった。
あわてて、笹川裕子のスタッフが 記者を止めに入る。
そのとき、東野さんのとなりにいた、智子は微妙な顔をしていた。
あとから思えば、あれは、嫉妬の目だった。
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(3)
智子はみるみる 綺麗になった。
それは、硬かった花のつぼみが 一気に花開くようだ。
肌のつやも 女のうるおいが満ち、表情も華やかな女のそれになった。
恋をしているのは 一目瞭然だった。
そして、透明だった智子に華やかな色をつけた相手もわかっている。
東野さんであろうことは、この間の演奏会の智子の様子で明らかだ。
いつもと違うことがあった。私に相談がないことだ。
私の方から、智子に聞いても、なんでもないというばかりだった。
それは、智子が綺麗になればなるほど、つらい恋を私に連想させ、心は痛んだ。
東野さんに尋ねてみようかとも思ったが、恋の話..よけいなことは話せなかった。
弘さんと私の間には相変わらず、一枚の薄い膜がはっていて、それは、秘密を話してくれなければ、到底、取り除けるものではなかった。
結婚式まで、後、十日となった秋空が雲に隠れた日、私達のアパートに東野さんが尋ねてきた。
代官山で有名だというモンブランをテーブルにおき、私はお礼を言って、お茶を入れに立ち上がった。
ケーキを食べながら、東野さんは言った。
「実はたのみがあるんです。
新婚旅行の谷川岳登山、お邪魔でしょうけど、僕と智子さんも参加したいんです。
お願いします。」
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私は アッサムの入ったティーカップをテーブルに置くと、弘さんの目をしっかり見て言った。
「東野さんと智子は真剣なお付き合いをしているんですか。」
東野さんはその弘さんに似た目で私を見つめ返す。
「もちろんです。結婚しようと考えています。」
智子には失礼だが以外だった。今が盛りのプレイボーイの東野さんから、結婚の言葉..それに 笹川裕子とはどうなっているのか。
なにより、智子はなぜ私にそんな大事な事を話してくれないのか。
なにかが 心にひっかかったまま、東野さんに言った。
「あの、失礼ですが、いつから、智子と。」
「笹川さんの演奏会の夜です。
人目ぼれです。お互いに、透明には見えませんでしたけどね。」
智子が急に綺麗になった時と時期は合う。
しかしあの夜、耳打ちされた東野さんはその後、笹川裕子とホテルで密会しているのが週刊誌に載っていた。写真つきで確か、深夜のことだったと思う。
「あの夜、食事の後、僕は智子さんを送って行った。
車の中で告白したんです。一瞬で好きになったと 恋をした と。
智子さんも同じでした。運命だったんです。」
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そして その後、笹川裕子と逢った..
「ああ、週刊誌のことを気にしてるんですか。親しい友人ですから、部屋に呼ばれて、演奏会の成功を乾杯したんです。
でも 週刊誌の写真の撮り方はやっぱりプロですね。
あの部屋には 笹川さんのスタッフもいたのに、まるで二人だけのように撮ってるんですからね。」
そう、密会場所には笹川裕子のスタッフもいたとの証言がその後、入った。だけど..
「もちろん、車の中で告白した後、智子さんには、これから、笹川さんと会う約束があるからと、翌日、改めて逢う約束をしました。
スタッフも一緒だから、なんにもないし お祝いだからと。智子さんも快く、承諾してくれましたよ。」
話のつじつまは合う。だけど、なにかが心にからみつく..
「そういうわけで、弘とけいさんにはお邪魔だろうけど、僕たち共通の一番の家族と..そうもう家族同然ですよね、僕たち四人は。
だからどうしても、智子さんとの婚約旅行は四人で行きたいと。」
私は曖昧にうなずく。弘さんも同様だった。
「良かった。楽しくなります。僕も大学時代は山岳部でしたけど、鍛えなおさないと、けいさんと智子さんにおいてかれちゃいますね。
弘、必死についてこうな。」
弘さんは 恥ずかしそうにうなずく。
弘さんは私と一緒に住んでから、毎朝、一緒に走り、夜の筋力トレーニングもかかさなかった。
すべては谷川岳に登頂して,二人のことを楽園にいる 家族に報告するために。
次の日のニュースはいきなり 入ってきた。
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テレビには 雪焼けした 田中良助の姿が アップで映っている。
渋谷にある、登山専門店、クライマーの店主の息子、良助はチョモランマの頂上から 誇らしげに日の丸を振っている。
私と弘さんと智子は クライマーに集まり 息を呑んでテレビに見入った。
他にも、世界で有名なクライマーであった店主の田中さんの友人や ひいきの客で狭い店は足の踏み場もなく、店の外
にも、あふれかえった人たちが 一斉に手をあげた。
「ばんざーい。ばんざーい。良助 ばんざーい。」
作品名:最初で最後の恋(永遠の楽園、前編) 作家名:ここも