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最初で最後の恋(永遠の楽園、前編)

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ユダとは おそらくあの最後の審判のユダ、キリストを裏切り、死に追いやったあのユダだろう。なにを比喩しているのだろう。

一番、わからないのは 弘さんだ。

東野さんの小説の通りに 私達の運命が進んでいるのをなぜ、私に教えてくれなかったのか。

弘さんは、東野さんの小説を読んで知っているはずだ。なぜ、疑問に思わないのか。

なぜ、なぜ..

弘さんを見ると、まだ、黙って,下をむいたままだ。

弘さんの深い透明な泉に 一滴の黒いしずくが落ちた。
しずくはまっすぐに底に向かって落ちていく。

私たちの様子をみて 顔の前で手を振りながら、東野さんは言った。

「偶然ですよ。そうでなければ、僕の小説を読んだ弘が、印象が強くて、その通りに行動してしまったということなのかもしれない。
心理学の本で読んだことがあります。
だから あまり考え過ぎないほうがいいですよ。」

私は東野さんに一番、訪ねたいことを言った。

「あの、永遠の楽園の昔話を知っていますか。」


-----------------------(p.30)-----------------------

東野さんは 弘さんに目をやり、言った。

「永遠の楽園の話は 前に弘から聞いた事があったんです。
確か、母親が話してくれたとかで スサノオオとヤマタノオロチの話ですよね。
結構、聞いた時の印象が強烈で 小説のモチーフにもなりました。」

という事は 弘さんが半年前、金縛りになった時に母親が現れた時より、前に小説は読んでいるはずだから、やはり小説の印象が強く、母親の言葉を聞いたのか。

それからは 気まずい空気が席を支配して、東野さんは六本木ヒルズでやる発表会に行き、私たちは電車を乗り継いで、アパートに向かった。

私は弘さんの言葉を待った。

だけど、弘さんは何も言ってくれず、駅から、アパートに向かった。
いつも 通っている道なのに、今日は二人の影がさびしく、切なくみえる。
アパートの前の駐車場に残った名もない草が風で揺れている。

「信じて欲しいです。」

つないでいる手のひらがぎゅっとなる。

弘さんはもう一度、言った。

「ごめんなさい。今は何も言えないけど、信じていて、ずっと、ずっと。」

私はぎゅっと手を 握り返し うなずく。

-----------------------(p.31)-----------------------

アパートの部屋に戻った私は 買い物に行くと言って、外に出た。

少し、一人になって考えたかった。

身体は自分のものではないように重く、見慣れた景色はいくつもフィルターを通しているように ぼやけて遠くに見える。

弘さんは 私に秘密がある。

美咲の 容体が急変したと連絡があったのはその夜だった。


-----------------------(p.32)-----------------------

「けい、美咲が、美咲が..」

智子から電話が入ったのは 夜中の一時を少しすぎたところだった。
私は弘さんの事を考えていて 眠れずにいた。

「分かった すぐ行く。」

私は智子の続きの言葉を聞かずに携帯を切る。
続きの言葉がこわかった。

すぐに 近くにあるものを着て、外に飛び出る。
弘さんもついてきて、駆けて大通り迄出て、道に飛び出し、手を振ってタクシーを拾った。

病院迄の道は、深い迷路の様に遠く長い時間に感じる。

タクシーの中、心臓をどこかに置き忘れた様な、私に弘さんは言った。

「美咲さんは 先に 永遠の楽園にいったんですね。」

私はたまっていた気持ちが、口からはみ出してしまった。

「美咲はそんな所にはいかない。私もいかない。私が弘さんのことが分からないように、弘さんも 私達の事はわかるはずがないよ。」

街灯の明かりがまばらに入る、車の中で、また、弘さんはうつむいて黙っている。

タクシーを降りて、救急車の赤いサイレンがゆっくり廻っている、緊急用の入口から私は階段を駆け上がって、美咲の病室の前に立った。

中から 嗚咽が聞こえる..

聞こえる..

-----------------------(p.33)-----------------------

美咲のお通夜の晩、美咲の母親に呼ばれた。
美咲から自分が死んだら、智子と私に渡して欲しいと頼まれた手紙を渡される。

私と智子は憔悴していた。
肉親が亡くなっても、こんなには出ないだろうという涙をこの二日で流していた。

美咲が再入院した日から、私達は毎日仕事が終わると、美咲の病室に行き、時には看護士さんの目を盗んで、美咲のベッドに潜りこんで話をした。

それは 前からまったく変わらない事であり、これからも永久に続くようにおもわれた。
美咲は日に日に やせ細ってきたが、私たちはベッドの中で三人で時には笑いながら、話をした。

ある日、美咲は潜りこんだ、ベッドの中で私達に言った。
私と智子は とっくに気づいていたことだった。
暗いあたたかい 布団の中、三人は一緒だった。

「私、今、離婚の調停中なんだ。死んでもきっと あそこにはいけないな。」

美咲の旦那さんの姿は一回もみていない。
そういうことなのだろうとわかっていた。

私と智子は 美咲の手を握った。
美咲はふるえている。

通夜の晩の美咲のお母さんは 一気に歳を取った顔で 私達に言った。

「ありがとうね。本当にありがとう。
けいさん、智子さん、ありがとう。」

そういって泣きながら、美咲からの手紙をくれた。

美咲らしい、達筆な手書きで私の名が書いてある手紙を 開け読みすすめる。

手紙が 私のふるえる手から落ちた。
-----------------------(p.34)-----------------------

 けい、今迄、どうもありがとう。

短い間に いろいろ詰まった人生でした。
結婚生活はうまくいかなかったけど、けいと、智ちゃんに出会えた事を神様に感謝します。

 心残りはけいの 結婚式にいけない事です。
行きたかったなあ。どうしても行きたかった。
弘さんはけいの言うように透明な人ですね。
以前、けいに貸した、永遠の楽園、そのままの彼ですね。

あの小説では 最後は悲劇で終わるけど、二人は幸せな人生を送ります。
美咲の保証付きです。

この間、私の夢の中に、弘さんが出てきました。

 美咲さん、先に楽園に行っていてください。僕達も行きます。
素敵な彼に言われて くらくらきちゃった。けい ごめんね。

何十年か先、二人が楽園に来るのを待ちます。
そうしたら、もう一回、結婚式をしてね。
私と智ちゃんで、花びら ぶつけてやる。

今迄 ほんとにありがとう。
けいは私の宝物です。

                         美咲

私は落とした 手紙を拾った。

美咲はいる。 永遠の楽園に..

-----------------------(p.35)-----------------------

美咲の葬儀が終わり、普段の生活の流れは私と智子の中に ぽっかり穴が開いた空虚感をもたらした。