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最初で最後の恋(永遠の楽園、前編)

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-----------------------(p.22)-----------------------

半年前、美咲の乳癌の手術が終わった時、智子と二人で病室で美咲の手を握って泣いていた。旦那さんは大事なプロジェクトでどうしても立ち会えず。励ましの言葉をかけて、仕事場に行った。

私と智子はあの時 ただ手を握ってずっと泣いていることしかできなかった。
怖くて、つらくて、泣くしかできなかった。

寝袋の中では三人の心臓の鼓動が聞こえる。
美咲は震えながら言った。

「手術が終わった時、嬉しかったよ。
慰めや励ましじゃなくて 手を握って一緒に泣いてくれたこと、私と一緒に悲しんでくれたこと。おろおろしてくれたこと。それが一番嬉しかった。
けいちゃん、智ちゃん、怖いの、やっぱり、とっても 怖い、今度は、今度は。」

美咲の震えは嗚咽に変わった..

私と智子は 寝袋の中で 美咲の手を握った。しっかり握った。

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 私と弘さんは一緒に暮らし始めた。

私のアパートに弘さんが引っ越してきたのだ。
結婚式まで、待つ理由もなく、二人は片時も離れるのが苦痛になっていた。

 弘さんの持ち物は パソコンと数冊の本、衣装ケース三つ分の洋服だけだったので、弘さんの従兄弟がワゴン車で運んでくれた。
従兄弟は 目元が弘さんに似ており、それにどこかで見たような気がしていた。

透明には、見えないけれども、実直そうな顔で私の前に立ち、彼は言った。

「弘とは、ずっと兄弟としてくらしました。高倉美男といいます。
いや、それにしてもお綺麗だなあ。弘も突然、世の中に出たと思ったら、こんな綺麗な奥さん見つけてくるなんて すごいなあ、びっくりです。」

弘さんは、震災の後、叔父夫婦に引き取られて、養子になるよう説得されたのだが、弘さんは、断り続けたそうだ。

いつかどこかに 心の中にでもどこかに 家族が帰って来たときに申し訳が立たないので待ってほしいといったそうだ。

従兄弟の顔を見ているうちに思い出した。

「あの 失礼ですが、作家の東野流水さんではないですか。」

少し顔を暗くして彼は答えた。

「そうです。ペンネームでは、そう言われています。」

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やっぱりそうだった。私はあまり、本は読まないが、名前と顔くらい知っている。

一昨年、処女作で、A賞を取り、衝撃デビューをしたあの 東野流水。

 以前、美咲にすすめられたことがある。

「けい、これ 読んでみなよ、心が洗われるから、透き通った文章だから。」

そういって貸してもらったのだが、一ページも読んでいないうちに返してしまった。

でも、なんでだろう、弘さんはなぜ 話してくれなかったのだろう。

 弘さんの方に振り向くと、私たちの会話が聞こえなかったのか、顔を伏せ、もくもくと、荷物を運んでいた。

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 簡単な引越しが終わり、二人の婚約祝いに食事にと 東野さんに誘われた。

私の大森のアパートから、ワゴンに乗せてもらい 私たちは第一京浜から246に入った。
良く磨かれた、車のガラスごしに街路樹が秋本番の華やかさを映す。 
六本木ヒルズを左に曲がった所にある、レストランに入る。

店の前にワゴンを 止めて、中に入り、東野さんが三本の細い星のマークのワゴンの鍵を受付にあずけると、私達は席についた。

テイスティングが終わって、私たちに ワインを注ぎ東野さんは言った。

「この年のボルドーは 二人にぴったりです。
 婚約、おめでとう。乾杯。」

私と弘さんは 恐縮していた。
東野さんの仕立ての良さが一目でわかるシャツにパンツ、磨きあげられた靴、上品な立ち振る舞い。
それに比べて、私たちの格好は、まるで学生だった。

察したのか、東野さんは言った。 

「ここは、気兼ねなんかいらない店ですよ。
僕は今日、これから、出版社主催の新作発表会があるんで こんな格好してるけど、普段はひどいもんです。なあ 弘。
この店、肉はうまいですよ。さあ、ガッツリやりましょう。」

鉄の皿の上で 肉汁とソースがこれでもかと飛び跳ねている。
口に入れると すぐに溶け、ワインはその喜びを倍増させた。

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ひとしきり、至福の時を堪能したあと、少し赤くなった東野さんは言った。

「作家なんて、少し売れても、貧乏ですよ。僕はたまたま、映画化されたり、テレビに出たりして、運が良かったけどそうじゃなきゃ、まだ、家にいて、家の印刷屋、しながらじゃなきゃ、書けなかった。

あっごめんなさい。僕の話したってしょうがないですね。
二人の馴れ初めなんか 聞いちゃおうかなあ。
弘、どこで見つけたの、こんな美人。」

弘さんは下をむいて、黙ったままだった。

「全く、しょうがないなあ、照れる歳でもないでしょ。
じゃ、けいさん、最初、見たときどうでした、弘。」

私は下をむいて、言った。

「透明に見えました。澄んで見えたんです。」

言葉が帰って来ない。
私は顔を上げ、東野さんを見た。

東野さんは 青ざめ、グラスを持つ手が震えていた。

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東野さんは 震える手にもったグラスをテーブルに置いて、言った。

「けいさんは、僕の処女作、永遠の楽園を読んだことがありますか。」

東野さんの青ざめたこめかみから、一筋、汗が落ちた。

「いえ、申し訳ありません。まだ読んでおりません。」

レストランにかかっている ショパンが 急に歪んで聞こえた。

えっ、東野さんの一昨年前の作品て..美咲から借りた時、題名も良く見ないで返したけど、弘さんがいつか話してくれた、あの 永遠の楽園..

私は、弘さんを見た。弘さんも うつむいて 顔色が悪い。

私はおそるおそる、東野さんに尋ねた。

「そ、それで、すいません、どういう ストーリーなのですか。」

「え、ええ、運命的な出逢いをした二人は お互いが 泉のように透き通って見えた。熱情のまま、一緒になるが、永くは続かなかった。悲劇が襲うんです。」

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私は、呼吸が苦しくなり、頭の中の古時計がぐるぐる、廻った。

東野さんに聞く。

「ど、どんな、悲劇ですか。」

「先に男のほうが 泉に足を滑らせ、死んでしまう。
女は後を追って、その泉に身を投げるのだけれど、裏切りのため、恋人に辿りつけない。
ユダに..そう裏切り者に、抱かれてしまっていたんです。」

-----------------------(p.29)-----------------------