機械修理人 壱と半分-親月-
参
ひかり。
あたたかいひかり。
しろいやね。
どうしてまっくらじゃないの?
ここはどこ?
ひかり。
つめたいひかり。
どうして、ぼくは…。
[ 参 ]
流れていた。あの時と同じ音が聞こえていた。あの時と同じ。だから、間違えないと思った。二度目なのだから今度こそ、道を間違えないのだと。
うっすらと光が見えた。ぼんやりと見慣れた天井が視界に飛び込んでくる。
(…また…か)
首を右に倒す。まだくっきりした輪郭は見えてない。近くに座っているのは、この部屋の持ち主ではなかった。
「おお、気が付いたか」
老人の声だった。
「…ヨーナムおじさん…」
はっきりしない意識で修理人は、老人の名を口にした。
「急には起きん事だ。一寸待ってろ、あの子に言われて用意しておいたものがあるからな」
どっこいしょと口にしてゆっくり立ち上がり、ゆらりと部屋を出て行った。その後姿をじっと見つめ見送る。視線を天井に戻して、修理人は深く溜息を付いた。
「また、間違えたんだな…」
聞こえない音量で、呟く。静かに体を起こし、体をひねて窓を見る。星空はぼんやりと輝きながらも、星座を広げていた。
「大丈夫か?」
木製の盆の上に白いポットと、ティーカップを乗せヨーナム老人が帰ってきた。
「ええ、大丈夫です。処で、それは?」
「あぁ、これか?これは、坊主が寝る前に準備したものだよ。起きたらきっと飲みたがるから、と言ってね」
にこにこしながら準備をするが、ポットの蓋を開け直ぐに手が止ってしまう。何があったのかと覗き込んでみると、申し訳なさそうにヨーナム老人が言葉を紡いだ。
「申し訳ないが、作り方を知らんのでな。坊主が寝る前に、お前に聞け!、と言ってな」
そうですか、と修理人は頷いて、茶葉の量とお湯の温度、量、時間を告げる。面倒臭い、と苦笑しながらも指示通りに紅茶を作り上げた。
「ほれ」
「ありがとう…」
ふと、自分の手に目が行った。普段は見ない、白い包帯がぐるりぐるりと巻かれていて、動かしづらい。視線に気が付いたヨーナム老人がゆったりとした口調で言葉を掛ける。
「数日痛みは残るだろうが、ま、大丈夫じゃよ」
「お手数をおかけしました、有難うございます…」
「礼なら、同居人の坊主に言うんだな」
「あの子が貴方の所へ行ったんですね」
修理人の言葉尻の憂いさを感じ取った老人は、紅茶カップを見つめ、一口口に含む。そして、静かに言った。
「あぁ、来たよ。もう今迄見た事がないくらい取り乱してな」
真っ直ぐで真剣な眼差しは、修理人に向けられていた。まるで全てを見抜き、理解し、受け止めているような印象を、修理人は感じていた。
一瞬怖くなって、視線を逸らし少しずつ温度が空気に溶けてて冷えて行く液体を喉に流し込んで、呼吸を整える。かちゃり、とカップとソーサーのあたる音が響く。無言の時間が過ぎていく。飲み終わったヨーナム老人がどっこらしょ、と腰を上げ、帰る準備を仕出すと、何故か胸の奥で安堵感が広がるのを修理人は感じていた。それを見抜いたのか、ドア付近でわざと思い出したかのように切り出してくた。
「そうそう。その程度の傷ならば、死ねんからな、安心して生きろ。 あの子は自分の中に応急処置の知識がない事を怖がっておったよ。どんな理由があるか知らんが、あんな良い子に余計な心配かけちゃいかん。抱えるつもりならば、とことん抱えて、決して見えないように化粧するんだな」
背を向けて部屋を出ようとする老人に、
「…僕は、寝言で何を言っていましたか?」
思い切って修理人は聴いてみた。搾り出すような声だったと修理人自身認識している。答えは分かっていたが、その声で確認したかった。必死な姿を見て、老人は無視する事が出来なくなり、軽く溜息を付いて答える。
「間違えちゃいけない、と何度も呻いていたな…他は良く聞き取れんかったよ、すまんな」
期待していた答えと方向がずれていた為か、修理人は肩透かしを食らった気分に埋め尽くされ、体中の力が抜けて行く。そして逆に良かった、と胸を撫で下ろしていた。俯き加減の若者を前に、今一度ベットに歩み寄って肩に手を置いて老人は嗜めた。
「いいかね、全てを忘れる事は出来ない。何があってもだ。だが、今がある。もしも今が大切ならば、明日に繋げる為の努力を今日しなさい」
怒鳴る訳でも、強制する訳でもない。ただ、それは真実を伝えるもの以外の何者でもない。扉が静かに閉まる音が、修理人の音に低く響き渡った。
鐘が遠くで響く。
夜の鐘は昼間と違い自己主張を小さくしている。騒音対策の為だ。老人が去って、修理人は部屋に独りきりになっていた。飲み終わったティーカップは、枕元近くで山積みになっている本の上にそっと避難させた。
ゆっくり倒れ枕に頭を付ける。天井が酷く高く感じて、落ち着かない。ごろり左に体を倒し横向きになり、数十秒後には今度は反対に体を倒し横向きになる。
目を閉じると、老人の部屋を去る直前に発した言葉が木霊して仕方がない。怪我をした、包帯ぐるぐる巻きの手をじっと見つめる。
「分かってるよ…そんな事位」
呟いて、ぎゅっと自分自身を抱きしめてみる。体温を感じて、生きていると言う事を信じる事が出来る。ここに自分がいるという事実と、聴こえた過去の音の海に未だに囚われている現実を受け入れざるを得ないのだ。入れていた体の力を緩め、修理人は静かにベッドから降り、紅茶カップ等を盆に乗せ台所へ向かった。
ぼんやりした月明かりが台所を照らす。包帯が巻かれている手は使えない為、取り合えず盥に水を張りそこに液体洗剤を数的たらして
使った食器等をつけた。
やるべき事をやった後、ぐるり台所を見渡す。誰もいない部屋は、月だけが雄弁に今日一日を語っている。多分明日も暑いままで、そろそろ連続真夏日記録、熱帯夜記録を更新するとかしないとかニュースキャスターが騒ぐのだろうな、と修理人は思う。
確かに近年は、この国だけではなく異常気象が続いている。北の氷の大地は、姿を失いつつあるらしい。それにより海面上昇が発生し、既に三つの島が海に沈んだ。そんな事を考えながら窓へ近付き、自分が「怪我をした」とされる場所に到達する。
「…っ」
包帯の下が疼いた気がした。あの瞬間は咄嗟の事で、修理人もはっきりとは覚えていなかった。倒れかけた少年を支える為に飛び出して、彼の持っていた包丁が力の抜けた手から滑り落ちて…運とタイミング全てが悪かったのだと思う。
(だから、怪我をした)
心の呟きを吐き捨てるかのように、軽く溜息を付き、台所戸締りを確認しその場を離れた。
修理人は真っ直ぐ自分の部屋へは向かわず、少年の部屋を目指す。
静かにドアを開けて、部屋に入る。修理人が少年の部屋に入るのは、半月ぶりだった。自分以外が入ることを好まない訳ではないが、修理人は手にしたものを元に戻さない為
「そんな事も出来ない人は入らない事!」
と丁度半月前に怒られたばかりなのだ。少年の部屋は整理整頓が確りとなされている。
作品名:機械修理人 壱と半分-親月- 作家名:くぼくろ