「不思議な夏」 第十章~第十二章
「・・・はい」そう言うしかなかった。たくさんの武将の背中を流していた、とは決して言えなかったから。
「私は誰にもそういう経験をしたことがないの。父は子供の頃に亡くなったし、兄弟もいないから・・・志野は兄弟は?」
「はい、おりました・・・いえ、おりません。父も母も小さい頃に亡くしましたから」また、嘘を言った。
「そうだったの・・・嫌なことを聞いたわね、ゴメンね。私は自分が不幸だとずっと思っていたけど、そうでもないのね。こんな歳になっているのに、あなたに教えられたわ」
「美香さん、私は嘘を言いました。すみません・・・言うなと貴雄さんに言われていましたので、仕方なく嘘を言ってしまいました」
「ええ?どういうこと?話せないことだったら構わないのよ。気にしないから、志野は妹みたいに感じているから気まずくなりたくは無いの」
「美香さん、ありがとうございます。いつか本当のことを話します。もう少し時間を下さい・・・」
「いいのよ、それより、お礼に私も流してあげる」
「はい、お願いします・・・気持ちいいです・・・」
美香はいたずらをした。
「・・・あっ、そんな・・・」
「ゴメンね、手が滑ったのよ・・・可愛いわね」
「わざとでしょう?もう・・・辞めてくださいね」
「怒った顔がとても凛々しくて素敵よ」
「じゃあ、ずっと怖い顔をしていますから・・・」
美香は笑いながら志野の手を引いて再び湯船に誘った。
入浴を終えて貴雄と志野は、一度部屋に戻り支度をしなおして食事場所に出向いた。千葉夫婦と美香はすでに座っていた。掘りごたつになっている座敷のテーブルに5人は座って、女将の挨拶を受けた。今夜は大晦日だ。恒例の挨拶から始まり、料理の説明をして、最後でここに志野と千葉を迎える縁を語った。
「千葉先生には毎年お越し頂き本当に感謝いたしておりますのよ。奥様にもお気遣い頂き嬉しく思っております。木下様とのご縁は今年の夏でしたが、志野さんとは不思議な結びつきを感じており、私は娘を得たような気持ちで居ります。その志野さんと先生が剣道でお知り合いになっておられたとは、これも不思議な縁だと感じております。佐久間家のなにやら先祖が導いてくれたのかと・・・実は先祖をたどりますと、千葉先生ともあながち無関係ではなかったと解りました」
「ほう、それはどういうことですかな?」千葉は口を挟んだ。
「はい、先々代の創業者である祖父は東京よりこの地へ参ったようです。その兄弟に嫁いでいた一人が千葉道場の血縁のものだと解りました。今日こうして皆さんがお集まりだと解っておりましたので、調べさせて頂きました」
「なるほど・・・先祖では佐久間さんと無縁ではなかったと言うわけじゃな・・・で、志野さんとはどうなのかな?」
「これをご覧下さい・・・祖母の写真です」
夏に見せてくれた同じ写真を小百合はみんなに見せた。
「おお!志野さんじゃ!なんということ・・・」千葉は絶句した。食事を前にしてまた志野と小百合は強い結びつきを感じさせられた。
「これからは、小百合さんではなく、母様と呼ばせて下さい」
「志野さん・・・本当に?・・・実の母じゃないのよ」
「解っています。血縁と知った以上、母様で構わぬと思いました。ご迷惑ですか?」
「そんなことがあるわけないじゃないの!志野さん・・・志野・・・」
手を握り合うその姿に、千葉は震えるような感情を抱いた。貴雄から聞いていた話を思い出して震えたのである。時が時なら志野は小百合の母か祖母であったろう。この時代に来たことがこの縁で繋がったのだ。美香はよく理解できなかったが、二人の姿に涙がこぼれた。母に会いたい・・・美香も思い出した。
「貴雄さん、あなたはものすごい運命の人だ。志野さんとの出会いもそうじゃったが、ここの女将との縁も運命じゃったんだろう・・・DNAの鑑定をしたら、他人じゃないと解るような気がするのう。しかし、二人はもう親子のように感じおうて居るのだろうから、無意味じゃけどな」
「先生、仰るとおりです。私たちが見ても志野と小百合さんは親子に見えます。鼻筋とか、体型など良く見たら似ているように感じられますから」
これを聞いていた美香は、頷きながら、
「志野、私にもそう見えるわ。詳しい話はわからないけど、お母様が出来て良かったね。離れているけど、心はこれからずっと一緒よ・・・私も母に会いたくなってきた。しばらく帰っていない実家に寄ろうかな」
「美香さん、それがいいですわ。お母様に会うだけで親孝行ですもの」
「志野さんは、考え方がしっかりとされているのう・・・うむ、美香も良い友達を見つけたものじゃ。あとは、亭主だけじゃのう、ハハハ・・・」
「先生!こんな時に茶化さないで下さい!しんみりしていたのに・・・笑えてしまうじゃないですか」
暗いムードを千葉の一言で吹き飛ばした。
「今の時代、結婚は男にとって大変な事なんですよ、先生。昔のように女性が従順じゃないですからね、ハハハ・・・」
「あら!貴雄さん、それって私の事を皮肉ってらっしゃるの?」
「いいえ、そんなこと無いですよ。一般論です」
「貴雄さん、遠慮は要らぬよ、美香の事じゃと言ってくれ給え」
「先生まで、貴雄さんの味方して・・・志野、どう思う?」
「美香さんは素敵な女性ですよ。貴雄さんの言った人とは違うと思います。きっと良い方が現れると信じます」
「あなたは、惚れているから味方よね・・・まあ、いいけど、先生とご一緒じゃ、見つかる相手も見つからないような気がします」
「おいおい、それはいい過ぎだぞ!美香」
「お返しですよ、ハハハ・・・」ハハハ・・・みんな同じように笑っていた。
「小百合さん、良かったら大晦日だし、あんたも一緒に私たちとご飯を食べなされ。仕事は女中さんに任せておけばよいし」
「先生、ありがとうございます。今は旅館で一番忙しい時間です。お言葉には甘えられません。折を見て来させて頂きますので、お蕎麦でも差し上げましょう。紅白でも見て楽しんでらして下さい」
「そうか、紅白か・・・食事が済んだら見させてもらおうかの」
「年越しそばか・・・今日は本当に年越ししながら戴けそうだなあ」
「貴雄さん、私も懐かしゅうございます。父と母、兄弟でよく頂きましたから・・・この辺りは本場ですからね。収穫した蕎麦の実を臼でひいて・・・よい香りがしましたから」
「志野、そんなことしてたの?」美香は驚いて聞いた。
「美香さん、そうなんです。どこの家にも臼はあったんですよ」
「へえ~そうなの。今は餅つきもしないよ。ねえ、先生?」
「そうじゃのう、スーパーで買ってきて食べるからのう。子供の頃はよく近所で集まって餅つきを子供達が手伝ってしたからのう。大人と子供の触れ合いが本当に少なくなった。淋しい事じゃ・・・」
「そうなんですか、子供は大人の背中を見て育つと教えられました。父母の背中を見て、兄姉の背中を見て育ったように感じています。これからは自分の背中が見られるのですね、小さい子や生まれてくる子供に。そう考えると、しっかりと生きてゆかねばならないと責任を感じます」
千葉は大きく手を叩いた。
作品名:「不思議な夏」 第十章~第十二章 作家名:てっしゅう