「不思議な夏」 第十章~第十二章
12月に入って志野が担当する日がやってきた。いつもより少し早い時間に志野は出かけた。開宴の3時間前に来ていた新婦は、衣装合わせを始めて、志野に着替えをしてもらった。新婦は30歳を少し切るぐらいの女性で細身で着付けがし易かった。名札を見て新婦は尋ねた。
「木下さんはお若いようですが、お幾つなの?」
「はい、16歳でございます」
「ええ?本当?若いのに着付けが出来るなんて素敵ね。じゃあ、アルバイトさんなの?」
「アルバイト?いえ、こちらに勤めさせていただいておりますが・・・」
「そうですか・・・それは失礼しました」
志野の手際のよさと、きゅっと締め付ける帯紐の強さが手馴れている感じを与えていた。
「ご自分で着れるなんて素敵よね。お着物は好きなの?」
「はい、大好きでございます。女性として一番美しく見えると思いますので。さあ、出来上がりました。お綺麗ですよ、ご覧になってください」
鏡のあるところへ案内した。
「ほんと!素敵。たいしたものだわ・・・木下さんは」
「ありがとうございます。では、髪飾りをお付けいたしますので、こちらへお越し下さい」
志野はあらかじめ用意したいくつかの飾りを見せて、選んでもらった。新婦の出来上がりである。
披露宴が終わって、帰る時に、両親と新郎新婦から着付けの礼が志野に言われた。深く頭を下げて、感謝の意を表し、「お幸せに」と付け加えた。
志野は自分のしたことで喜んでもらえることがとても嬉しかった。支配人や周りの誰もが完璧な出来栄えと感じていたから、志野を見る目が優しくなった。お色直しのときに着替えたウェディングドレスは志野には着付けが出来なかったが、洋服の素敵な面も理解できるようになり始めていた。
「貴雄さん、今日式があって初めて着物を着せるお仕事をしました。皆様に褒めて頂きとても嬉しかったです」
「そうか、仕事って言うのは認められてこそやりがいがあるってものなんだよ。このまま続いてゆくといいね」
「はい、そう思います。私は天から与えられた命を何かに役立てたいとずっと考えておりました。自分に何ができるのかその一つを見つけたと喜んでいます」
「そうか、また一つ大人になって行くな。志野は真っ直ぐな気持だから人に好かれるんだろうね。現代人は顔色を伺いながら自分を騙している事が多いから、志野はうらやましく感じてもらえるんだろう。そこが気持の繋がってゆく部分になって好かれるのかも知れないよ」
「そうでしょうか・・・深く考えた事はありませんが、自分は曲がった事が嫌いです。人の道に外れる事をするぐらいなら死を選びます。そう教えられましたから。先日の事も私の中では許せないことでした。あのまま見逃したり、我慢していたりしたらきっと続けていたことでしょう。私が最後の被害者になってくれると良いのですが」
「人は正しいと思って行動しても相手がそれを快く思わない事が多いんだよ。現代社会は昔より複雑に絡み合っているからね。暴力だけじゃなく、仕事も付き合いというのがあって無視出来ないし、嫌な上司でも断れないこともあるから、我慢する事を覚えないとね」
「自分を殺せと言うことですか?」
「そうとも言うね。仕事は生きてゆくための収入源だから、無くなると人は精神的に不安定に陥る。そうすると暴力や犯罪行為に繋がってしまうんだよ」
「そうですね、確かに・・・満たされない部分を暴力とか武力とかで解消しようと男の人は考えますから・・・弱い女性は仕方なくいいなりになるしかなく、悲しい思いをします。それではいけないと考える事は間違っていますか?」
「志野、間違いは正すべきだよ。それを誰がやるのかと言うだけ。個人でやりすぎると、逆怨みされたりする。そういうことだよ」
志野には納得できなかった。貴雄がなんだか自分を非難しているようにも感じ取れた。
「人はそれぞれ能力が違う。出来る人もいれば出来ない人も居る。やろうとする人もいれば、やらない人もいる。なんでもそうだけど、自分が出来るからといってやろうとしない人を非難しちゃいけないんだよ。判るかい?」
「たとえば、目の前の災難を見て見ぬ振りをすることも、仕方がないと言うのですね?」
「そうだね。仕方が無いよ。注意しようとする相手が自分より明らかに強そうな場合は、何もできないだろう?」
「そうでしょうか・・・何人かで助け合えば叶うと思いますが」
「なるほど、そう考えるのか。それは可能な事なんだろうか?」
「と、言いますと?」
「助け合えるだろうか、と言うことだよ」
「助け合わないのですか?困っている人を見て?」
「たぶん・・・ね。志野は特別だよ」
「志津枝さんは私を助けようとなさいました。違いますか?」
「違わないよ。でも、もし志野がか弱い女で相手の男が志津枝さんに暴力を振るい怪我をさせたとしたら、どう償うんだい?」
「それは・・・」
「だろう?何もしなければ少なくとも怪我はしない。その代わり志野は不快な思いを我慢しなければいけなくなるけどね」
「では、どうすれば良いのですか?」
「助けは助けられる人を呼ぶ、と言うことだよ。警察があるからね。簡単な事は大声を出して周りに気付かせることだね。大抵ひるむから」
「貴雄さん、言われることは良くわかりました。自分ひとりだけの場合を除いて、そういう見方が出来るように心がけます」
「そうかい、ありがとう。くれぐれも無茶をするなよ。自分より強い相手だっているんだから。心配なんだよ」
志野は始めて貴雄の真意を聞けた。やはり、大好きな人に相応しかった。
仕事も順調にこなし、志津枝とも仲良く毎週のように会って話をしていた。休みの日は下の階の亜矢と瑠璃に誘われて、近所へ出かけて晩ご飯は貴雄も一緒に亜矢の家で食べていた。志野と亜矢はまるで親子のように仲良く食事の支度をして、貴雄も待っている間瑠璃と遊ぶようになっていた。
「貴雄さんたちはお正月はどうされるの?」
「うん、小百合さんに会いに二人で泊まりに行く予定なんです」
「真田村に立ち寄った時の温泉ね。そう、志野さんの希望なのね?」
志野は、自分が電話をしたことを伝えた。
「何か不思議なご縁が感じられるの・・・逢いたいと仰って頂いたし。貴雄さんに無理を聞いていただきました」
「素敵ね、そうして逢いたい方が居られるなんて。大切になさいね」
「はい、ありがとうございます。亜矢さんはどうなされるの?」
「私は実家に帰るだけよ。近くだけど母が楽しみにしているようだから」
「そうですか、お母様も嬉しいことでしょうね。瑠璃ちゃんと一緒で」
「そうかも知れないね。でもね、実家に帰ると将来のことを言われるのよ。このままで良いのかって」
「どういう事なんですか?」
「落ち着いたら、気持ちがね、再婚を考えろって。瑠璃のためにも一人暮らしは良くないって」
「そうでしたか・・・再稼は女にとって非情ですね、時に」
「そうね、そうなのよ。寂しくないかって言われれば否定はしないけど、心から好きになれる人でないと、自分が惨めになる、そう思うの」
「はい、私もそう思います。貴雄さんじゃなかったら、嫁げないと思いますから・・・あっ、まだ嫁いでいませんでした。すみません」
作品名:「不思議な夏」 第十章~第十二章 作家名:てっしゅう