「不思議な夏」 第四章~第六章
志野は与えられた防具を身につけて竹刀を持った。久しぶりの感触であった。あの大阪城で薙刀を振るって以来・・・しかし、今は真剣勝負ではないので緊張感はなかった。真田村にいるときに皆防戦術として竹刀で剣術と薙刀などの使い方を教えてもらっていた。戦が近いことを村人は心得ていたのである。
「では、皆さん新しい方を交えて練習を始めましょう。礼!」
向かい合って十数人が相手に向かって礼をした。
「では、準備運動から、始めてください」
場内にメーン!と言う声がこだまする。志野はしばらく見ていたが、講師に誘われて、中学生の上段者と手合わせを始めた。
「よろしくお願いします」相手はそういうと少し後ろに下がり、すり足で竹刀の先を細かく振りながら、志野との距離を詰めてきた。「メーン」とすばやく切り込んできた相手の竹刀を右に払って、そのまま志野の竹刀は胴を叩いていた。それは目に見えないほどの一瞬の動きだった。相手が呆然としているところに、「一本!」と講師の声がした。
「志野さん、素晴らしいです!見事としか言い様がありません。是非私とお手合わせしてください」
「はい、よろしくお願いします」
練習生たちは動きを止めて先生と志野の対戦を見るようになった。緊張が走る・・・志野は先ほどの相手とは違う目の鋭さを感じていた。少し気合を入れて、間合いをゆっくりと詰めていった。籠手に来たところを払い、面を打ったのを避けられ、一進一退が続いた。ゆっくりと右に回りながら、間合いを計りすばやく突きに入って相手が払った瞬間剣先を返して籠手を打った。「一本!」声が聞こえた。
先生が負けたことでざわついていた。
「皆さん、お静かに!志野さんは私より強いことが解りました。私自身驚いています。これからも志野さんにここに来ていただけるように、皆さんでお願いをしましょう」
声をそろえて「お願いします」と志野は言われた。会場内で大きくこだまするその声に嬉しさがこみ上げてきた。
「私でよろしければ、通わせて頂きます。先生よろしいのですか?」
「ありがとう。あなたに来ていただければ皆刺激になるわ。よろしくお願いしますね。それと私の師匠にも近いうちに会って下さいね」
「はい、ありがとうざまいます」
志野の初めての触れ合いのときが意外な形になった。
志野が散歩に出かけたのは、貴雄が急に仕事先からヘルプの電話が掛かってきて、午後の時間暇になったからであった。携帯を開くと時間がわかるから志野は帰り道にそろそろ貴雄が帰ってくるだろう事を覚えた。踏切を渡り、アパートの入り口まで来たときに、下の階に住む若い奥様と出合った。
「これは、木下さんの奥様、初めまして、101号室の佐伯と言います。よろしく。奥様お若いですわね!お幾つですか?」
「あ、はい・・・まだ結婚いたしておりませんが・・・十六です。よろしくお願いします」
「ええ?十六?高校生なの?」
「いいえ、家に居ります」
「そうなの・・・二十歳ぐらいに見えたけど、そうでしたの」
佐伯の3つになる娘が中から呼ぶ声がした。「ママ~ママ~」
「すみません、娘が呼んでいますので・・・そうだ、よろしかったらお暇なときに遊びに来て下さい。遠慮は要りません。昼間は暇にしていますので、ね?お話したいわ・・・」
「ありがとうございます。木下に話してみます。では、失礼します」
「きっとよ!待っているから」
佐伯と言う歳が30前の母親に志野は気に入られたのであろうか、本当に話したそうに志野には感じられた。部屋に戻って今日の剣道での試合を振り返っていた。講師の山田は隙の無い戦い振りであったが、自分と違う点は動きの早さだろう。子供の頃からの訓練が筋肉を鍛えていたようだ。そういえば、街で見かける同じぐらいの歳の女性と比べて、自分は筋肉質の身体をしていると感じ始めた。戦国の世では必要とされる体付きも、この世界では、女らしさに欠けると見られそうだ。
貴雄もそう見ているのだろうか・・・だから何もしないのだろうか。帰ってきたら聞いてみようと思い始めた。
車の着いた音が聞こえた。玄関で座って待っていた。
「ただいま~」
「お帰りなさい」
今では失われた当たり前の光景がそこにはあった。
「貴雄さんお風呂入れましょうか?それともコーヒー飲まれますか?」
「そうだね、ゆっくりしたいからコーヒーにしようか」
「はい、待ってて」
志野は貴雄がコーヒー好きなのを覚えた。ドリップ式のコーヒーも上手く出来るようになっていた。
「貴雄さん、今日ね駅の向こう側にある建物で剣道をやっていましたの。興味があってのぞいたら是非にって勧められて、試合をしましたのよ」
「へえ~出かけたんだね。いい経験が出来たね」
「はい、先生と手合わせも出来ましたの」
「ほう、すごいなあ・・・まあ、志野は当たり前に経験していたことなんだろうけどね。どうなった?試合は」
「籠手一本決めました」
「籠手・・・そんなことも習ったのかい?」
「はい、相手の持っている剣を払い落とす術です」
「なるほど、それで勝負あったになる訳だ」
「はい、手から刀を落としたらそこまでですから」
志野は決められた日に練習に来てほしいと頼まれたことも話した。貴雄は快く「引き受けなさい」と言ってくれた。これから土曜日の午後は公民館へ通うことになる。そしてその帰り道に一階の佐伯の家に立寄ることになるのであろうか・・・そんな予感もしていた。
「下の階の佐伯様から、遊びに来てほしいと誘われましたのよ。貴雄さんに相談してから伺います、と返事しました」
「角の部屋の人だね・・・小さな女の子がいる家だ」
「はい、そうです」
「あがらせて貰うのはいいけど、くれぐれも本当のことを話しちゃだめだよ。都合悪くなったら、記憶が無くてと誤魔かすんだよ」
「ええ、そうですね、そうします。娘さんは可愛いですね」
「ああ、いい子だよ。仲良くできるといいね」
「はい、子供は好きですから・・・それとお聞きしたいことが」
「なんだい?」
「志野は体付きが女っぽくないですか?」
「ん?何でそう思うの?」
「同じぐらいの年代の女の人はみんな、なんていうか丸っこい体付きのように見えますので、なんだか筋肉質の志野は男っぽいなあと思えたんです」
「確かにそう見えるかも知れないけど、今の女性は男も含めて肥満体質なんだよ」
「肥満?太っているという意味ですか?」
「そう、食べすぎと運動不足で身体がぶよぶよしているんだ」
「貴雄さんはぜんぜんそういう体付きじゃないですよ」
「ボクはずっと水泳をしていたからね。それに太りたくないから食べ過ぎないようにしているし。志野に嫌われたくないしね」
「本当のことですか?志野がこんな体付きでも構わないのですか?」
「むしろ今のほうが精悍で素敵だよ。太ってほしくないね」
「それを聞いて安心しました。ここのところ運動不足を感じておりましたから、剣道の練習はちょうど良い機会になりました」
「良かったね。見せてもらいに行くよ。構わないかい?」
「はい、是非見に来てください。頑張りますから」
「無理しなくていいよ、相手がひどい目にあうと可哀想だからね」
「そこまではいたしません!真剣勝負じゃないですから」
作品名:「不思議な夏」 第四章~第六章 作家名:てっしゅう