「不思議な夏」 第四章~第六章
「それは安心した、ハハハ・・・」
公民館から貰ってきた申し込み用紙に、志野は書き込んでいた。書きなれないボールペンではあったが、楷書体の達筆で書かれていた。
「志野は上手に字を書くね。びっくりしたよ」
「このボールペンというのでしたね、少し書きにくいです。筆で書いてはいけないのですか?」
「今は書けないね、筆では。冠婚葬祭のとき以外には使わないからね」
「そうですか・・・慣れるしかないのですね。伯父様が話しておられた着付けのお仕事はどうなりましたか?」
貴雄は忘れてたことに気付いた。直ぐに伯父に電話をかけた。まだ相手から返事が来ないと話していた。
「しばらく待たないといけないね。焦らなくてもいいよ」
「はい、そうします。聞いてくださってありがとうございました」
志野はなれなれしくなることもせず、他人行儀でもない良い雰囲気を貴雄に与えていた。
次の土曜日がやってきた。休みをまだ取っていた貴雄は志野と一緒に公民館へ出かけた。書類を受付に出して、正式にメンバーとなり、みんなに紹介された。しばらくは使っていない防具が在るからと貸してもらえた。講師の山田は生徒としてではなく、自分のアシスタントのような立場で指導に係わって欲しいと志野に頼んだ。
志野はみんなの前で少しだけ話をした。山田から心得のようなものと、自分がしてきた練習の仕方などを聞かせてやって欲しいと言われたからだ。貴雄が聞いている傍で話し始めた。
「みなさん、こんにちわ。今日から一緒に練習させて頂く木下志野といいます。直ぐ近くで駅の向こう側に住んでいます。歳は十六歳です」少しざわついた。以外だったのだろう。
「皆さん、静かに聴きましょう」山田が口を挟んだ。
「ありがとうございます。私は物心ついた時から一通りの武道を親から習うように勧められました。剣道や居合いなどです。真剣も握りました。詳しくは話せませんが、皆さんが上達される一番の稽古は、何度も何度も繰り返すことと、身体を鍛える事の二つです。足腰の強さが大切ですから、山歩きをしたり、飛んだり跳ねたりして練習することも良いと思います」
貴雄は、なるほどと思った。こうして話を聞いていると随分今の話し方になっているように感じられた。
「最後になりましたが、勝負は真剣です。相手との試合には決して負けないという気迫が勝敗を決めます。私はそういつも臨んで戦います」
拍手が鳴った。照れくさそうに志野は貴雄の傍にきて、「どうだった?」と聞いた。「良かったよ」と貴雄は肩に手を置いた。ピューピューと誰かが口笛を吹いた。講師は、その少年の方を見て、「いけませんよ、はしたない・・・志野さんはあなた達の指導者になる人ですよ。心得なさいね」そう忠告したが、二人を見て山田はとてもすがすがしい男女の関係を感じ取った。志野が強さといじらしさを持ち合わせてかつ端整で美人であることが羨ましく思えた。
練習が始まった。貴雄は志野の強さに改めて驚かされていた。
練習の帰りに近くのスーパーで買い物に立ち寄った。志野が食料品を選んでいると声をかけられた。
「あら、木下さん、今日はご一緒なのね」101号室の佐伯だった。
「佐伯さん、こんばんわ。今練習の帰りに来たんです」
「そうでしたの・・・いつもご一緒なのね、羨ましいですわ」
「佐伯さんはご主人様とご一緒されたりなさらないのですか?」
「主人は・・・いないんです」
「ええ?失礼ですがどうなされたのですか?」
「ここではなんだから、後で家に来て。夕飯までの時間でいいから少しお話しましょう。ご主人・・・じゃなかったわよね、木下さんにお断りしてあなただけ寄って下さらない?」
「はい・・・そう話してみますけど、では後で」
佐伯が娘と二人暮しをしていると聞き、どうしたんだろうと心配をした。貴雄に許しをもらって、帰りに立ち寄った。呼び鈴を押して扉が開く。
「志野ちゃん、待ってたわよ。どうぞ中に入って」
ママ~と娘の声も聞こえた。
「お邪魔します」
綺麗に片付けられた部屋には娘が一人、人形で遊んでいた。とても可愛らしい人形だったので、志野は見惚れた。
「可愛いお人形さんね!」そう声かけた。にこっと笑って、「うん、お姉ちゃんみたい!」そう答えた。
「まあ、この子は・・・いつも言っているんですよ、あなたの事をお人形さんのように可愛いって。そうそう、名前は瑠璃っていいます。そう呼んでください。お姉ちゃんは、志野さんって言うのよ、瑠璃」
「志野お姉ちゃん・・・瑠璃と仲良しになれる?」
「ええ、仲良くしましょう。瑠璃ちゃんって言うのね。志野です」
母親は佐伯亜矢と自己紹介した。亜矢と瑠璃。志野に初めて出来たお友達であった。
作品名:「不思議な夏」 第四章~第六章 作家名:てっしゅう