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てっしゅう
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「不思議な夏」 第四章~第六章

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「たった一人の身内だから、話しておかないといけないからね。法律家だから色々と相談に乗ってもらえる、頼りになる人だよ」
「お父上と母上さまはどうなされているのですか?」
「言わなかったかい?・・・どちらも亡くなってしまったよ」
「・・・お聞きしておりませんでした、それは志野と同じでございます・・・」

悲しい身の上も貴雄と志野はお互いに持ち合わせていた。これ以上語る事もなく、静かに夜は更けていった。

貴雄の寝室には小さい仏壇が置かれていた。両親の位牌と写真が飾られている。寝る前に必ず手を合わせて寝る習慣をつけていた。鐘を鳴らし、手を合わせた。志野は後ろに座り同じように手をあわせながら、般若心経を読経し始めた。

「志野・・・ありがとう」
慣れている志野の経読みに改めて当時の教育を感じさせられた。正しくは躾かも知れない。

読み終えて、何度も何度も、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」を繰り返し、頭を大きく下げた。
「貴雄さん、これでよろしかったですか?」
「素晴らしいよ、若い志野が般若心経を空読みできるなんて」
「小さい頃から母に教わりましたので・・・周りのものはみんな当たり前にやっていたことですから。貴雄さんも読まれていたじゃないですか、当たり前だと思っています」
「ボクは歴史の研究を大学時代にやっていたから、経には関心があった。特別だよ、今の時代では。お経なんて空で読める人ほとんどいないから」
「そうなんですね・・・寂しいですね。でも、お経を読んで心が落ち着きました。お父上様とお母上様の御加護が私を救ったのでしょうか、このようなご縁で貴雄さんの傍に置いて頂けることが・・・合掌・・・」
「きっとそうかも知れない。ボクとキミはこうして巡り合うことが運命付けられていたのかな。ボクの祖先はね、尾張中村の庄出身の木下藤吉郎、後の太閤秀吉に当たるんだよ」
「なんということ!そのようなご縁があったとは!それで氏が木下と仰るのですね。太閤様のご子孫・・・言葉が出ませぬ・・・」

不思議な縁だ。やはり運命だったのだろうか・・・貴雄と志野はもう、ただの兄弟なんて言ってられない感情に苦しめられることになる。

寝室にはベッドは一つしか無かった。貴雄は志野にそこで寝るように言った。貴雄が隣の部屋に行こうとした時に、
「私だけがお布団で寝る事は出来ません。私も下で寝かせて頂きます」そう言った。

「志野、気持は嬉しいよ。でも今は女性だからといって遠慮するようなことはしないでいいんだよ。布団で眠りなさい。ボクは明日ちゃんとした布団を買ってくるから、今日だけ隣で寝るよ」
「志野は・・・嫌でございます。そのように厚かましいおなごではございません」
「お願いだから、そこで寝て・・・ボクが心配するから」
「では・・・ご一緒に寝て下さいまし・・・それなら、ご不自由かけませぬゆえ」
「そのような事をすれば、我慢が出来なくなってしまうから、ダメだよ。兄って言ったけど、そこら辺にいる当たり前の男なんだから・・・軽率は事を言ってはいけないよ、志野」
「志野は軽率ではございません。貴雄さんをお慕い申し上げております。後悔など致しませぬ、どのような事がありましても」
「ボクだって・・・同じ気持だよ。でも今はまだ早い。責任が取れる自分じゃないし」
「では、下で寝まする。貴雄さんが布団で寝て下さいませ」

強い意志に貴雄も困り果てた。何もしないからと言い聞かせて、二人でベッドに入って寝た。志野の身体に触れることなく背を向けて貴雄は眠りに就いた。しばらく眠れなかったが、志野の寝息が聞こえるようになって、安心して眠れた。

貴雄が目覚めたときは志野はすでに起きて、傍で座っていた。貴雄を見て、「おはようございます。朝の支度をと思いましたが、勝手がわからずこうして座らせて頂いています」そう言うなり、貴雄の傍に来て「昨日はわがままを申し上げてしまいました。志野は貴雄さんに嫌われないか心配です」と悲しげな表情をした。

「ボクは志野の事が好きだから、大切にしたいんだよ。それだけ・・・起きるから」笑顔が志野に戻った。

貴雄は朝食の準備を志野に教えた。オーブンを温め食パンを入れる、湯を沸かしてコーヒーを入れる、卵を焼いてスクランブルエッグを作る、ハムを切って卵に添える、焼けたパンにマーガリンを塗る。初めて食べるパンとコーヒーには慣れないといけなかった。決して志野には美味しいと感じられなかったからである。

「パンは何から出来ているのですか?それにこの黒い飲み物は、どうも私には苦いだけで飲みにくいですが・・・何ですか?」
「パンはね、小麦粉から、うどんと一緒だよ。発酵させて膨らませてある。黒いのはコーヒーといって、外国では数千年も前から飲まれているんだよ。苦いけど砂糖とミルクを入れれば・・・ほら飲んでごらん?」
「甘い、先程とは違います!これなら頂けそう」
「それは良かった。殆どの日本人は朝はパン食にしているから慣れないとね。食べたらボクは仕事に出かけるから、帰ってくるまで待っていて。夕方には戻るから。お昼はすまないけど、昨日の残っているカレーをご飯にかけて食べて。お米はあるから、この釜に研いて二人分だから・・・2合でいいかな、水を張って蓋をして、赤いスイッチを押すだけで炊き上がるから、解るかな?」
「はい、お米は、炊けそうです。炊き上がったご飯を移すお櫃はどちらですか?」
「いらないよ。そのまま置いておけば、ずっと温かいままだから・・・スイッチを切らなければね」
「では、炊いてそのままでいいということですか?」
「ああ、そうだよ」
「早く帰ってきて下さいね。テレビを見て待っていますから」
「うん、そうして。外へは出ちゃダメだよ、まだ」
「はい」

貴雄は心配だったが、どうしても行かないといけなかったので出かけた。会社に事情を話し、明日からしばらく休むと伝えた。渋々承知した上司だったが、落ち着いたら紹介しろと言われた。

一人暮らしになって3年が経っていた。家に帰るのは寝るためだけにしていたから、貴雄は今初めて早く帰りたいと仕事中に思い続けていた。志野と居たいと素直に思っていた。心配であることは事実だが、それより傍に居たいと思う気持の方が強かった。

志野もテレビを見ながら貴雄が帰ってくることを今か今かと待ち焦がれていた。不安な気持ちより貴雄と同じく傍に居たい気持ちのほうが強かった。生まれて初めて男の人に優しくされたような気がしていた。両親が健在の頃は何かと優しくしてくれていたが、それは子供の頃だけだった。大きくなって、村が二つに割れて進む方向を決めたとき、幸村に着いて大阪へ行ってからは、戦の準備と毎日張り詰めた空気の中で暮らしていた。殿方と恋をしているような雰囲気ではなかったのだ。