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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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「神津」の看板を見かけてから、枯れ寂びた道が数キロも細く細く続いていくが、いっこうに家らしき姿は見えなかった。もし、道に迷ってこんな所を通るはめになったら、どんなに心細かろう。きっと、もうずいぶん手前の道で諦めて引き返しているはずだと、辰馬は思う。 
「すごいですね、ここ、みんな神津さんの地所なんですかぁ」
「いや、まあ、ああ……」
「大地主だなあ」間の抜けた辰馬の声に答えたかのようにぬっと、その切妻屋根の洋館は姿を現した。後ろに小高い丘が見えた。小暗かった道が開けて屋敷の上のぽっかり浮かんだ空色が明るい。
オールドファッションな洋館。こんな山の中に、まるで、神戸かどこかの山の手に見られるような洋館があることに驚く。建築様式には疎いが、何がしかの名のある外交官が建てさせたかのような意趣を纏った異人館のような装いで、思わず眼を奪われた。

今は色を失ってはいるが、前庭はよく手入れされていた花の園だろう。咲き乱れる花が妄想の中に沸き返る。中央に小さな東屋が見える。ロータリーを巡るように生垣が組まれている。生垣は一位(イチイ)か、満天星(ドウダンツヅジ)か。刈り込まれた枝に葉がないところを見ると、後者か。
東屋前のアーチ状の鉄柵に残された蔓。点在する鈍色のオブジェ。タイルが敷き詰められている小道。その小道と庭を分ける赤錆色のレンガ。それらが、辰馬の頭の中に一瞬、百花繚乱を呼び込んだのだ。
館の前のロータリーに車をつけると、その音が屋敷内まで聞こえたのだろうか、観音開きの暗緑色の大きな扉の片側から、するりと滑るように、一枚の白い布が流れ出たように見えた。
白いレース襟のふわりとしたドレスをまとっている女性だった。
辰馬の目はその姿に吸い寄せられた。
ほっそりと華奢な印象ではあるが、動きは機敏だった。
幾分青ざめたような顔をしているが、遠目にも整った顔立ちをしているのがわかった。その後ろから背の低い老人も慌てるように続いている。
車から降りて助手席の神津を降ろすと、その女性は長い素直な髪を背中に流して駆け寄った。
「お父さん、心配していた」
「毅様、ご連絡もいただけなかったので、本当に、本当に、心配しておりました」老人も駆け寄る。
「ああ、ユイ。菊治さん、帰っていたのか。すまない。連絡できなかったのだ。発作がおきてしまって、この人に助けてもらったが、もう大丈夫だ、心配ない」
「発作があったのか、本当にもう大丈夫なのか?」
神津の右腕の下に自分の体を入れて支えるとユイと呼ばれた女性は辰馬を振り返った。
「ありがとう。すまなかった。ちゃんとお礼がしたい。君の名はなんという?」
瑞々しい白い頬がほんのりと赤らんできて、奇麗だった。瞳の大きな眼、優しい口元をしている。だが、その唇から繰り出すユイの言葉は若い女性の言葉遣いとは思えない。
まるでぶっきらぼうなのだ。というより、男言葉のような簡潔さがあると、辰馬は思う。
だが、そこに心がないというわけではない。十分に感謝の気持ちを汲み取ることができた。眼だろうか。言葉よりも、彼女の眼が感情を見せるのか。
妙だ。父親の神津の頑なさとは微妙に違う。が、どこか不思議な感覚に辰馬はすぐに返事ができなかった。
「あ、ああ、……俺、……俺は、あの、……高沢辰馬と言います」
「私は、神津ユイと言う。よろしく。さ、家に入って」
 ユイの歓迎の趣のある言葉とは違って、神津の顔はひどく渋かった。本当はこの家に他人は入れたくないという思いがありありと表れていたのだ。辰馬はユイの誘いを断るだけの意志の力は持ち合わせていなかった。「よろしく」と言った声に乗せられたユイの微笑みが辰馬を引きつけた。

 屋敷のリビングは豪勢な造りだった。毛足の長い真新しい絨毯が敷かれた窓際に席を勧められて、辰馬はおずおずと座した。神津はひどくゆがんだ顔で苦しそうにしていたが、なんとかその場に留まっていようと努力しているように見えた。だが、ユイと老人が強く勧めるので寝室に引き下がるしかなかった。胸を抑える仕草が軽い発作を予感させたからだ。
茶器を携えてユイがリビングに現れた。すいと優雅な手つきで香りたつ琥珀を注ぎ込む。
「銘はしらないが、よいものだ。飲んでくれ。父を送ってくれて有難う、高沢さん。父は時々無理をする。口で言ってもなかなか引き下がらない人だからな。頑固と言ってもいい。でも、いい人間なんだ」
 ユイは俯いて流れた髪を右手で掬い上げて肩の後ろに流した。
「いや、気にしてないですよ。確かに、状態は良くないのに病院にもいきたがらなかったんで困りましたが。あの、……ユイさんはずっとこちらにお住まいですか、いいお屋敷ですね」 
辰馬は高い天井から視線を動かして、贅沢な家具が並ぶリビングを見回した。サイドボートも書棚も重々しいアンティークな造りだ。アカンサスか、葉飾り彫刻を施した手すりを持つ階段が二階へ伸びていた。まるで欧米の映画に出てきそうな大仰な階段は、個人宅では珍しい。
目の前のテーブルサイドの照明の長い軸も、艶かしい女性の肢体を模した造形で、アールヌーボォー風のような気がした。
「ああ、ずっと、小さい頃からここにいる。私は子供の頃に体が弱くて学校に行くこともなかった。この屋敷と裏の山が私の世界だ。とても奇麗でいいところだと思っている」
「ずっと?」まさか一人きりで、同じ世代の友達がいない生活を送っていたのだろうか。それなら、判る気もする。この口調。とはいえ、年頃の女性がこの小さな世界で満足していられるものだろうか。
「でも、まあ、車でなら街までそれほどの時間も必要ないし、都会に住んでいるよりいいですよね」
「私は、この屋敷からはめったにでない。都会は知らない」
ユイのパッチリと開いた目が、どうして街に出る必要がある、と訴える。
「あの、遊びには出かけないんですか?」
「遊びに? いや、この神津の地所から出たことはない」
どういう生活をユイは送っているのだろう。
自分より幾分年下だろうとは思われたが、こんなに魅力的な女性がこの辺鄙な田舎から一歩も外へでたことが本当にないというのだろうか、辰馬は冗談を言われているのかとユイの表情を窺った。ユイの眼差しはまっすぐに辰馬をとらえ、微笑を含んではいても、嘘や冗談を隠しているとは思えない。

さて、何を話しかければいいのか。
若い女性が好きそうな話題に知見が深いわけじゃない。どうも、ユイ相手ではそういう話題に花が咲くとも思えない。かといって、仕事の話をしても座が和むとも思えない。
もう、さっさと引き上げてしまおうか。  
当初の目的は果たしたのだ。神津を無事に家族の元に送り届けるという、お節介は完了した。そのことで何か見返りを欲していたわけではないし、それで褒められたいわけでもない。なのに、ちょっと若い娘がいたことで、気持ちがほわりと緩んでしまった。
ユイの招きにほいほいと乗って、足を踏み入れてしまったことを、辰馬は悔やみ始めていた。

「あの、お茶、ご馳走様でした……、あの……そろそろ」と辞去を言いかけて辰馬は黙った。