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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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ユイの白い指先がカップの縁に添えられて円を描くように動いている。何か思案しているように見えた。しばらくカップに注がれていた面を不意にあげたが、その視線は辰馬を避けた。避けたままの視線でユイは言った。
「一つ、高沢さんに聞いてもいいだろうか」その質問は何か人目を憚ることであるかのように、小さかった。
「はあ、」
何を聞かれるのか。辰馬は吐き出した息にかろうじて乗ったという声で返事を返した。その声を諾と受け取ったのだろう、ユイの視線が辰馬に戻った。
「人を愛するということは、どういうことだと思う?」
面食らった。
辰馬はどういう顔をしていいのか迷った。
真剣に聞けばいいのか冗談に笑えばいいのか、中途半端な顔を隠すように紅茶のカップを口元に近づけた。初対面の男に持ち出す話題とは、およそかけ離れているように思う。職業は何かとか、趣味は何だとか、何が好きだとか、聞いてくれるなら簡単に答えようもあるが、この質問はないだろう。
もしかすると、自分のことに興味があるのか、と邪推してみる。一目惚れされた経験はない。辰馬はどぎまぎしながらも答えようとした。 
「愛、です、か。そうですね、はは、なんというか。愛するというのは、……相手のことを慈しむ気持ちですよね、あの、その、相手のことを一番大事に思うということではないですか」こんな答えでいいのか。辰馬。 
「いや、そうじゃなかった。聞き方が悪かったな。愛の証(あかし)について知りたかったんだ、私は。男女間での愛の証とは、なんだろう」
いったん軽く頭を振ると、ユイは言いなおした。そうしてソファから幾分腰を前に出して辰馬の答えを待っている。その答えが何か重要な意味を持っているのだと、暗に示しているような気もした。
「証、はあ、愛している証拠ですか。それは、なんといったらいいのか。難しい質問ですね、そう、……人によって違うんじゃないでしょうか」
辰馬の答えに、失望を隠せないような息をひとつ吐いて、ユイはまた問いかけた。
「人によって違うものなのか。そうか。そうなのか。だから……。愛の証が金銭ということもありえるのだろうか。私には金が証になるとは思えないのだが。……なら、高沢さんなら、何を証として求める?」
「俺、俺ですか?」
辰馬は口をつぐんだ。今まで好きになった子はいたが、証を立てろと迫られた覚えはない。好きだという言葉を軽々しく使った覚えもないし、嘘をうまく使った覚えもないから、証と言われても何を答えればいいのかわからないのだ。もちろん、自分が証をたてろと女に言った覚えもなかった。好きという感情に証を立てるというのは、どういう状況だろうか。
昔観た古い映画を思い出した。
あれは、一人の男をいつまでも愛し続けて、男が塀の中に去ってさえその人を待ち続ける話だったように思う。古ぼけたセピアの写真のように、記憶の中で風化したおぼろげな記憶。あれは、なんだったろう。何が証だったろう。待つこと、そのこと自体が証だったか。
結婚も一つの証だろうか。自分の気持ちを神の前に誓う。人の前に誓う。それも証だろうか。婚約、結納、婚姻届、……指輪。指輪くらいだろうか。欲しいと言った女はいたように思うと辰馬は思い出した。
「指輪を贈ったことがありますが、それくらいかなあ」自然と視線が指に落ちた。
「指輪か、金銭じゃなかったのか」  
のけぞるようにソファの背もたれに体を預けてユイはまた溜息を吐いた。ユイの睫が重たく落ちた。
「ユイさんは、その、愛の証ってなんだと思っているんですか、あ、いや、参考までにお聞きしたいなと思って。俺は愛の証を求められたことなんてないような気がするからで……」
ユイの意に沿わぬ答えを出したのだろう自分の言葉を取り繕うために、そんなことを言いながら、辰馬はユイの顔を見つめた。
ユイのまぶたが上がる。瞳が一瞬きらりとした。
「私か。私は、愛は死だと思っている。死ぬことが証で、殺すことが愛だ」
ユイの声に躊躇いがなかった。一気に言い切る。
「え?」
聞き違いだと思った。
愛は死というのはなんとなくわかる。
死がお互いを分かつまで愛するというのは誓いの言葉にあったような気がする。
だが、死ぬことで愛を確かめるのか? そして、殺すことは愛だろうか。
妙な感じが辰馬のうなじをぬるりと這った。

どこが齟齬(そご)なのだろう。
聞き取った言葉にどこか見えぬ落とし穴があったのだろうか。辰馬は狼狽し、傍目にもわかるようにくりくりと眼(まなこ)を動かした。その表情に憤るようにユイの声が大きくなった。
「殺して、そして永遠に一緒にいることが愛なんだろう? そういう愛があるだろう?」

「ユイ!」
鋭い声が階段の上から落ちてきた。
神津が胸を押さえながら二人を見下ろしていた。  
「な、何を、言っている。ユイ、バカなこと……、言うな!」顔が蒼白だった。
「お父さん、どうして、バカなんだ。私は呆けたことを言った覚えはない。私は愛していたからあの人を殺したんだ。空也を愛していたんだ。ちっともバカなことは言ってはいない!」
殺した? 辰馬はピクンとその言葉の針に突かれた。
聞き違いじゃなかったのか、と一瞬思い、そして、凍ったような形相を向ける神津の顔に、それが真実だと悟った。だが真実だとしたら、この目の前の凛とした女性は汚濁に塗れた殺人鬼に墜ちてしまう。
まさか、という思いが辰馬の頬を引きつらせた。そんなはずがあるものか、だが。
「ユイさん、……殺したんですか、……誰かを……」
「違う、違うんだ、高沢さん。……ユイは、その、じ……冗談を、言っている、だけだ」
 神津は激しくなってきた息の下から、言葉をねじりだしている。「違う、違う」と繰り返し呟き、右肘で階段手すりに凭れながら階下へ身を運ぼうとしていた。一足ごとに息が荒い。その神津の姿から辰馬はユイに視線を戻した。
ユイの顔には一片の悔恨もなかった。
それどころか、どこか誇らしげでさえあった。言うなれば愛を成就した者の持つ輝きがあった。
「ああ、一昨日の夜だ。ここで、この居間で、ナイフで刺して殺した。私を愛していると言ったあの人を殺した。空也が愛の証を欲しがったからだ。どうして私に拒める? 私も彼を愛していた。彼の望みを叶えたのだ。愛する者は殺さなくてはならない。私はそう知っている」
「ユイ、違う、違うんだ! ……愛している人を……殺すことは愛の……証じゃ、ない……」 

神津が苦しい息で階段を降りながら、声を絞り出した。額に脂汗が滲み、顔は色を失っていた。その悲痛な声にユイの表情はみるみる嫌悪にまみれた。当然の倫理を捻じ曲げて法を犯す者を見下げるような目をして父親を振り仰ぐ。
「なぜだ、お父さんは、どうしてそんなことを言う。だって、お父さんはお母さんを殺したじゃないか。お母さんは地下室で死んでいたじゃないか。お母さんを愛していたから殺したんだろう? お父さんの愛は成就したじゃないか。きちんと証を立てたじゃないか」
「違う、ユイ、私は、私は殺しては、いな……い」神津の声は、途切れ途切れに響いた。
「え、え?」
輝いていた一瞬前の光がすいと消えてユイの瞳が陰った。身をよじり神津のよろける体をねめ上げる。