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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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ひどい仕事だったからだ。と、ユイは思う。やったことそのものが難儀だったし、父の、あの理解できない態度もこの重さの原因のような気がする。両肩も頭の中も、ひどくごわごわとしていた。
父の、あのうろたえようはなんだったのだろう。
ユイは微かな不安が胸の奥から這い上がってくるのを感じていた。薄い紙をゆっくりと裂くように、ぺりぺりと不快な音が聞こえる気がする。
不快だ。
何が、どう不快なのだろうと自問するが、いっかな明確な答えは訪れない。
ユイの口元から、迷いに塗れた吐息が漏れる。
「私は、間違ってない。間違ってなどいないはずだ。あれが真実だ。私の真実を、証を立てたのだから、間違いなどではありはしない……決して。だけど……でも………」
視線が自ずと下へと向かって落ちた。先ほど父と敷き変えたリビングのカーペットは、真新しい白い毛足のものだ。ついさっきまでそこに横たわっていた愛しい男の姿を思い浮かべてみる。
ひどい姿だった。
ひどく醜かった。
だらしなく開いた口、澱んだ瞳、吐き出された黒々とした血の色。
どうしてだろう。
最後の姿はちっとも奇麗ではなかった。美しくなかった。枯れ果てていたけれど、凛として美しかった母の姿とはまるで違っていた。やり方が父と違っていたのだろうか。もっと違う方法があったのかもしれないと思い至って、ユイの身はぶるりと震えた。
もっと奇麗に殺してあげるべきだったのだ。
もっと、上品に優雅に殺してあげるべきだったのだ。密やかな悔いが立ち上ってきた。方法を聞いてからやり遂げる必要があったのかも知れない。やり方を聞かずに私は、行動してしまったから。
また、一つ重たい吐息が漏れた。
愛を形にすることは、こんなにも重々しい気持ちになるものだったのか、初めからこんな気持ちになることがわかっていたら、本当に自分は実行に移しただろうかと、虚ろにユイは思う。
「仕方がない。あの人の望みを叶えるためには、こうするしかなかった。証が欲しいと、せいて、望んだのは、あの人だ。急いでいたのは私ではなくて、あの人の方だったのだから」
 昨晩の終始いらいらとした男の物言いをユイは思い出していた。


「神津さんは、お出かけですか、ユイさん」
ふと本から目を上げると江藤空也が薄い微笑を口元に浮かべて、ユイを見下ろしていた。ボタンを幾つも外した白いシャツの前がはだけて、よく焼けた胸の肌が見えている。上背があった。二の腕まで捲り上げたシャツの袖から、しまった腕が伸びてユイの座るソファに着地した。
彼は東京で音楽関係の仕事に就いているというが、父が言うにはそれほど音楽に造詣が深いようではないらしい。だが、そんなことはユイにはどうでも良いことだった。ユイの関心をこの男に向けさせたのは音楽の知識ではなかった。
 流れる長い髪をオフタートルのセーターの肩に上げて、ユイは微笑んだ。
「空也。ちっとも気がつかなかった。いつからここにいたんだ。すまない。そう、父は街へ出かける用事ができたといって、さっき外出したんだ」
 すいとユイの頬に手を添えて、屈みこんだ拍子に思わず触れてしまった、というそぶりで空也の唇がユイの頬をついばんだ。
「どうして?」
 ユイは軽く触れた柔らかな感触に戸惑った。
「ごめん、嫌だった?」
「いや、そんなことはないが……ただ、私は、こんなふうにされたことがないんだ、どういう意味があるんだ」
その答えに、空也は破顔した。ゆっくりユイの隣に腰を落としてユイの体を抱き寄せた。
「好きだから、……前にも俺、言ったよね、君のことが好きなんだ」

ほとんど唇がふれそうな距離に空也の顔があった。幾分長髪気味にした茶髪の髪が柔らかく頬にかかっている。頬骨がいくぶん高く目じりが上がっているが、三白眼というほどきつい瞳ではなく、眉は細く女性的でもある。空也よりも、ユイの眉のほうが黒々して雄雄しい。ちらりとピアスの黒い石が見えた。
ユイよりも五つ年上の二十七歳ということだったが、ユイには男の年齢の推測などできない。言われた年になんの感慨もなかった。ただ、ユイの知る男は、父である神津か、重松菊治という奥向きの仕事をしている使用人である老齢の男しかいなかったのだ。
空也は彼らとは明らかに違っていた。張りのある声と、柔軟で若々しい肉体を持っている別の生きものという感じだった。肉体もそうだが、もっと違っていたものがある。
彼のユイに対する接し方だった。ユイにとって、彼のあしらいは、今まで経験したことのないものだった。

「ああ、それは前にも聞いた。好きだと、その、肌を触れるものなのか」
あまりに近い距離にある空也の顔を避けるように、ユイの声が斜に抜ける。
「そうだよ、いや、誰もがそうというわけではないだろうな。だけど、俺は、ユイに触れたいんだ。こうしていると、とても気持ちがいい。君はとても魅力的だ」
いつの間にか腰に回されていた空也の腕に力がこもる。人肌の温かさがふわりとユイを包んだ。
「それは、……褒め言葉か」
「ああ、もちろん。君は奇麗だ、俺が出会ったどんな女よりも奇麗で素敵な人だ。ユイ、俺の気持ちはもう、わかっているだろう?」
 空也の唇がユイの唇をふさいだ。

 ユイにとって、初めての時間がゆっくりと濃密に過ぎた。
「ユイ、俺は君を愛している。出会ってからの時間は短いけど、そんなのは愛に関係ないことだ。結婚しよう」
「ああ、私も、空也が好きだ、愛していると思う」
 空也の胸に頭を凭れさせてユイは温かさを味わっていた。熱を帯びた空也の首筋が快かった。
「ユイ、本当か? 本当に俺を愛しているのか?」
空也の声は自分を全て包みこむように触れてくる。心地よい声の響きだ。ユイは目を閉じてことことという空也の鼓動に耳を傾けた。こうして、いつまでもこの音を聴いていたい。この暖かさを感じていたい。私を愛していると囁く声を聞いていたい。
「ああ、本当だ。私は空也のことを、きっと愛している」今まで感じたことのない安らかな高揚がユイを柔らかく覆った。
「なら、証拠がほしいな」
 空也の声のトーンが少し高くなった。だが、しっかりとユイの体を抱きしめる男の温もりは失われていない。
「証拠?」
ぴくりとユイの体がその声に反応した。
「どうして証拠など欲しいのだ、必要ないだろう」
愛の証がなんなのか、この男は知っているのだろうか?
地下室の暗がりがユイの脳裏を掠めた。
「ユイが俺を本当に愛しているという証が欲しい。愛し合えば、お互いに証を立て合うのが普通だよ。こんなことを言ったら、きっと、ユイは誤解するだろうなあ」 
「誤解? 何をどう誤解するというのだ」
「いや、実は。実は、俺、曲をリリースすることになっているんだよね。段取りは済んでいるんだが、どうしても資金がたりないんだ。もちろん、CDが出れば売れることは間違いがないんだけど。ちょっとだけ、資金が。……だから、ユイ、俺を愛しているなら、その金を、都合してくれないか」
「え、金?」
ユイの目蓋が見開いた。男を見上げる。その目はなぜか訝しい。
「ああ、金だ、五○○万ほどもあれば、事足りる。たいしたことはないだろう? 神津の家の資産はかなりあるんだから」
「空也、どうして愛の証が金なんだ」