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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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「ほんとう? うん。……動いてないね。なんだ、白いぼろきれか。でも、なんだかおかしいよ、菊治イ。これ……」
 重松に支えられていた体を格子に近づけると、ユイはそれに向かって光を注いだ。
キイ。
「あ、この格子、扉がある。ここ動くみたい」ユイの指先が触れた部分が微かに動いた。
「ユイさま、待ってください、菊治が先に……」
しかし、その声はユイを止めることは出来なかった。鉄格子の一部を押し開けて、ユイはその物体に近寄ってゆく。積みあがった箱の影、鉄格子の向こうの壁にもたれ掛かるようにその白い布は波打ちながら「くの字」に折れて流れていた。布は何かをその中に孕んでいた。
その白い布にそって光をあててゆく。光の先を見て、ユイは凍った。
頭があったのだ。
黒々とうねる髪が白い布からはみ出て零れ落ちていたのだ。

「…ひ、ひ、人、これ、これ、……菊治イ、人だ……」
 引きつれた声がユイの喉から漏れ出た。
「ユイ様、菊治が確かめますので」わななく幼い体を庇うように重松は前に進み出た。光を当てる。腰をかがめて恐る恐る近寄った。元は優雅な白いドレスだったであろう布のひだに、豊かな黒い髪が乱れていた。触れないでもわかった。人だった。
ただし、周囲の遺物たちと同じく、古びた物体でしかなかった。それは、かつては人だった微かな面影を残してはいるが、とうの昔に干からびた遺骸だったのだ。
「これは、まさか、さ、早苗様……、」重松の声が裏返った。「ああ、しかし、このお召し物は……」
「さ、なえ、って、さなえって、お母さん? 菊治イ、お母さんなの?」
ユイの膝ががくんと折れて、ミイラの足元に腰が砕けた。指先が痺れる。懐中電灯が手から滑り落ちて硬質な音を立てた。
――お母さん? さなえってお母さん? 頭が……痛い。頭が……寒い。わからない。よくわからないよ。
光が石の床を舐めた。その石の床に掘られた文字らしきものがユイの視野に飛び込んできた。微妙に間隔を置いた、幾筋かの溝に過ぎないその傷跡が、光の中にはっきりとした文字の陰影を結ぶ。
      夫 ニ  コ ロ サ レ ル 
その文字を読むと同時に、ユイの意識は薄れていった。

眼を覚ますとユイは自分のベッドに寝かされていた。自分を覗き込むように父親が身を乗り出していた。
「ユイ、気が付いたね、大丈夫かい。気分はどうだ」
父の瞳の色はおどおどと揺らめき、暗くおびえているようにも見えた。
「うん。大丈夫。私、人の死体を見た、多分、そうだよね」ユイは父の言葉を待たずに畳み掛ける。そうしないと、見たものがただの夢になりそうだった。「お父さん、あれは、その、お母さんだったの? 菊治イが、そう言ったのを覚えているんだ」
ユイはゆっくりとベッドの上に起き上がると、父の顔を食い入るように見つめた。灯りに照らされた父の眼はよく見ると真っ赤だった。泣きはらした眼だった。まぶたも膨らんで、赤みがかっている。父の顔が、あれが母の遺体であったことを十分に解き明かしていた。が、母は自分が小さい時に死んだと聞かされていたのに、どうしてあれが母だと言うのだろうか。ユイは戸惑う。
父はとても母を愛していたはずだ。母のことを語る父の口調はいつも愛に溢れていた。優しく綺麗で誰よりも父とユイを愛していたと、よく語ってくれた。父は遣る瀬無いようなそれでいて、たまらなく暖かい眼差しをしてユイを見つめて語った。ユイは父の膝で母の姿を夢想した。だが、その母はあんなぼろ切れではなかった。
「ああ、あれは、行方不明だった、ユイの、お母さん、だった」 
重たい口を開き、無理やりねじりだした言葉はいつもの父の声と違って不快だった。何かいつもと違っていた。胸に重たい錘(おもり)でも抱いているかのような、苦しげな息をしていた。ない左腕を抱くように父は背を丸くして震えていた。
「あれが? お母さんは死んだって、お父さんは言っていたじゃないか」
「すまない。すまないユイ。嘘をついていた。お母さんは、ずっと、行方が知れなかったんだ」
「そうなんだ。やっぱり、お母さんなんだ。でも、でも、お母さん…なら、どうして、………、お父さんは、……お母さんを……殺したんだ」
ユイが見た地下室のあの言葉の意味は、そうとしか取れなかった。ユイには、父が母を殺したとしかとれなかったのだ。
      妻ヲ愛スル夫ハ、妻ヲ殺シタ。

「そうかもしれない、私が、早苗を死に追いやった…の…だ」父の声はくぐもっていた。嗚咽を堪えるように残された手で口元を押さえている。
――やっぱりそうなのか、お父さんがお母さんを殺したのだ。
「お母さんの足元に文字があった。『夫にコロサレル』って読めた、だから」
だが、そのユイの声は父には届いていないようだった。
激しい嗚咽が父の喉を振るわせた。
そして、ユイの体を抱きすくめると、喉でつぶされた声をひりだした。
「ユイ、私は、早苗を、お前のお母さんを愛していた。心から愛していたんだ。今も、今も愛している、これからもずっとだ!」
「愛していると殺すのか?」
ユイの小さな声は、抱きしめられた父親の衣服に吸い取られた。
床に残された文字から湧き上がった疑問。それに対する答えをユイは待った。
「私が殺したようなものだ。だが、本当に愛していたんだ」
「愛したら殺さなくちゃならない……」
妻ヲ愛シタ夫ハ、妻ヲ殺スノダ。
ユイの頭にその答えが徐々にしみこむ。
「死んでしまった、早苗は、私が愛したせいで、死んでしまった、あ、あああ……」

八歳のユイは思った。
愛する相手は殺さなくてはならないのだ、自らの手で。
そうすることが愛するということなのだろう、と、幼い心の中に刷り込まれた。
愛と死は同義になった。

神津の夢の中で死者たちが叫んでいた。
闇雲に日本刀を振るいながら、呪詛を撒き散らすように、叫ぶ死者。
床に身を投げ出して血を流しながら、にやけた笑いを浮かべ、叫ぶ死者。
そして、白いドレスの死者。
見開いた暗い眼窩は空洞で、なぜかその目には涙が溢れていた。


 * * * *

外は夕刻から降り出した雨が今も続いていた。重たい雨だ。夜目にもいつもより質量が違って見える。その重たさで、夜という時間がいっそう深みを増している。見えもしない大地が、その重さを受け止めきれるのだろうかと思った一瞬、その重さで沈みゆく大地のイメージがユイの脳裏に浮かんだ。
足元がぬかるんだ泥の中へ吸い込まれるような不快感が、過(よ)ぎる。この不快感の根拠はなんだろう。
濃緑のドレープが幾重にも畳まれた重たいカーテン越しに、暗い外の様子を伺っていたユイは小さく息を漏らした。
父は「心配するな」と言い置いて、あの人の荷物やバイクを積んで出かけて行き、まだ帰らない。どうして荷物を処分しなければならないのだろう。手元に置いておくくらい、別にいいと思うのに。いったいどこまで行ったというのだろうか。「心配する」とは、何をどう心配すると父は思ったのか。
静かだった。広い屋敷にたった一人残されて、まったくの静けさの中にユイはいた。
首の後ろから背中にかけて言いようもなく重たい。右手で左肩を揉み解してみる。堅いラバーを肩掛けにしているようで、何度掴んで揉んでも強張りは取れない。