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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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ユイがこの地下室に入ることはほとんどない。貯蔵された食物庫の担当の多恵は、幼いお嬢様が自ら食べ物を物色するなぞ、あってはならないと頑なに思っていたようで、ユイを入れてはくれなかった。
暗い階段を降りると、灯りは裸電球が一つ、鳥かごのような鉄枠に収まって頼りなげに灯っていた。案の定、長期保存のきく食品を入れたダンボールが山積になっている。それに酒類の壜が多かった。ダンボールの裏になって見えない部分が怪しかった。あの後ろの隙間に横に寝かせられていたらスキー板は見えないだろう。ユイはいくつかの箱の後ろを覗き見た。暗い。何かがあるように思うが、はっきりしない。
「菊治イ、懐中電灯がいるよ、この裏に何かありそうだけど、真っ暗でよく見えないから」
「はい、今、お持ちします」
重松菊治は狭い階段を前かがみで上がっていった。
ユイは体重をかけて箱のいくつかを移動させた。スキー板の細長い影は見当たらなかったが、代わりに壁を走る妙なくぼみを見つけた。ちょうどユイの目線のあたりに横に続いている。指先でたどってみると直角に下に折れた。それは床まで続いていた。床をたどる。今度は直角に上にあがり、また、直角に折れて最初に戻った。
四角い一枚の板。地下室の物置の壁とはどこか異質だった。何かの飾りだろうか。しかし、なんの目的もなくただの飾りをこんな地下の物置に作るはずはないように思えた。
すうというすきま風が微かに指に感じられた。
――扉だ。
呼吸のように、四角い飾りが冷たい息をしている。ユイのわくわくしていた心が、今度はどくどくと大きく音をたてている。
本当に扉だろうか、ユイは指先でもう一度その輪郭をなぞった。
扉だとしたら自分の身長よりも低い。それに横幅は大人がやっと通れるくらいだろう。
――秘密の扉?
きっと秘密の扉だとユイは思った。こんなところに扉があることに気が付いたのは自分が最初だ。多分、誰も気にとめていなかったのだろう。大人の目線では見逃す高さだった。普通の扉のように取っ手もないようだ。
開くのだろうか。いったい、どうしたら……ユイはいっそうどきどきした。

「ユイさま、懐中電灯をお持ちしました、……どうかいたしましたか」
間延びしてゆったりした重松の声が、暗い物置に密やかに響いた。
「うん、その階段とは別の、扉のようなものがあるんだ、とっても、ヘンだろ? 菊治イは知ってた?」
 体重をかけて移動したダンボールの横から、その四角く彫られた溝を指差してユイは言う。
「いえ、存じません」ちょっとだけ驚いたというかのように普段の声より、二、三音高い。「こんなところに扉など、気がつきませんでしたねえ」重松は答えながら、小さな扉全体に灯りを当てた。光の中に浮かび上がった扉は、地下室の壁材とまったく同じ材質でできているように見える。もう何年も、誰の手も触れていないのだろう、埃が積もっている。
「開けてみよう」
ユイの声は、今にも大空へ飛び去ってしまいそうなほど暴慢に膨らんだ、風船の如き期待に満ち満ちていた。
「開けてみよう!」決意は頑迷で、ちょっとも退く気配がない。
「ですが……本当に開けられるのかどうか、開けていいものなのかどうか、菊治にはわかりかねます」重松の声は躊躇し、尻が重たい。
「いいから、いいから。面白いだろう、本当にどこかにつながっている扉なら。だけど、ちょっと、大変みたいだね……」
扉には取っ手がない。
乱暴に揺さぶってみると、がたがた揺れて埃が舞った。何度か押したり叩いたり扉の上を触っていると、二つの窪みが板の中ほどに現われた。
「わあ! ドアノブじゃないけど、ちょうど、この穴が取っ掛かりになる、かな……」そうは言ってもユイの力では開けることはできそうにない。「菊治イなら外せるよね」重松は仕方なくユイの言うまま、手を貸した。
窪みに両手を入れて、何度か動かすと、何かの拍子に上に数センチ浮いた。すると床に接していた部分に隙間ができた。空気が下へ逃げていく。そろりと一枚板を斜めに持ち上げるように動かすと、底なしの真っ暗な空間が地下室の壁に出現した。
奥行きはかなりあるのだろうか。
饐(す)えた匂いが鼻腔に漂ってくる。ユイは重松の手にあった懐中電灯を奪うと奥を照らした。まるで貯蔵庫の延長のように見えたが、その両側には凍えた石の壁が続いており、道は斜め下へ向かっていた。
不思議な誘惑。奥の闇が招いている。
黒い誘惑。光の届かない地下から粘着性を持った糸で編み出された網が、じわじわと染み出してくるようだった。
ぞくぞくした。
心の奥からじわりと這い上がってくる欲望、今で感じたことのないなんとも言えない感覚にユイはしっかりからめ捕られた。
「ユイさま、お入りになるのですか」
「うん、こんなところ、始めてだ。すごいじゃない。菊治イだって、興味がわくだろ」
暗闇の中の空気は足元に圧縮されて折り重なっている。重さがあるのか、澱んだ水のようだ。足を踏み入れる。空気が動く。ユイの手元から伸びた一条の光が左右の石壁を何度か舐めて、下方の突き当たりで拡散した。
この別荘での日常に、めったにこんな機会はない。淡々と静かな時間が流れるのが常で、びっくり箱を開けるような非日常はなかなか落ちていない。幼い子供といっても、降って沸いたイベントに魅了されないわけがない。この暗闇が、どこか未知の領域に繋がっているような気がしてユイの胸がことこと躍った。
通路は狭すぎるので、重松は背をかがめてユイの後に続いた。五メートルも行くと暗いトンネルは直角に折れて勾配もなくなった。足下には堅い石が敷き詰められている。足元を気にして落とした懐中電灯の光が歪(いびつ)な影を幾つも作るのは、フラットではない地面のせいなのだろう。ユイは懐中電灯を持ち上げた。すぐ上で当たっていた光がふいに距離を持った。
「あ、広くなった」
低かった天井が急に倍ほどになって、左右の壁も手が届かない広さになった。どこか「部屋」のような部分に達したようだった。しかし、すぐ目の前に行く手を阻むものがあった。
鉄格子。
広い空間を分断している。黒い鋼は朽ちているというほどではないが、かなりの年月を感じさせて、重々しく人に沈黙を強いる。
ユイはその格子に手をかけた。力を入れてみる。動かない。はじかれるような冷たい感触。錆びているのか、嫌な匂いが漂っている。
――何か、、、、あるのか? 
懐中電灯を格子の奥へ向けると大きな影が揺らいだように感じた。暗い色の箱状の物が幾つも積み上がっていた。時代物の何かか。時代を違えたような何か、ひどく昔の遺物が取り残されているように見えた。ユイは、光の筋を右に左に、何かを探って振ってみる。
と、遺物の連なるその奥に、何やら白いものがちらりと見えた。
「ひィ」
驚いてユイは小さな声を上げた。
「幽霊……?」
後ろに控えていた重松菊治はのけぞったユイの体を支えた。そしてその手の懐中電灯をユイの腕ごとその白いものにあてた。数メートル先のそれは動いてはいなかった。
「ユイさま、大丈夫です、たぶん、幽霊ではありません。しかし、いったい……なんでしょう」重松の声は狭い空間にゆったりと木霊した。