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すおう るか
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novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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窓の外が妙に明るい気がして、ユイはカーテンを引き開けた。あっと、声が出た。先日は冷たい雨が降っていたけれど、それが夜のうちに雪に変わったのだろう、うっすら積もるくらいならこんなに驚きはしない。ユイはその真っ白い風景に目を輝かせた。木々の枝が白い綿で覆われてる。松の枝などはその重みで折れそうなほどだ。
「そうだ、お父さんに言って、スキーを出してもらおう」
 ぱたぱたと着替えを済ませると、ユイは自分の部屋を飛び出した。
これだけの降雪だ、裏山の坂はいいスロープになっているはずだ。去年のスキー靴は大丈夫だろうか。この頃、毎年靴を換えているような気がする。身長も去年より五センチは伸びたようだから、足のほうも大きくなっているだろう。ユイの父親はたくさんの靴を買い揃えていた。スキー靴ばかりではない。ユイの成長に合わせて必要になる身の回りのものは全て揃えられている。ユイ自身がどこかに出かけていって服を選んだり、靴を選んだりした記憶はなかった。いつも欲しいと思うときに欲しい物が魔法のように目の前に現われるのだ。それにユイはなんの不都合も感じなかった。それが普通のことだったのだ。
ユイは父親とスキーをすることが冬の一番の楽しみだった。家の中で勉強をするのも楽しいけれど、それ以上に外の山で遊ぶ方が断然楽しいのだ。父親のスキーの腕にユイはなかなか追いつけない。今年こそはと思うけれど、やっぱり手足がもっと長くならなければダメなんだと思う。ユイは八歳であった。

「お父さん、雪がすごく積もっているよ。もう、スキーができるかな」
弾んだ声が広いリビングで反響した。
階段の途中にいるユイを見上げた男の顔はまだ若い。ゆったりとしたグレーのガウンを着て、オッドマンに片足を上げてくつろいでいる。父親はだいぶ前に起きていたらしい。朝食は先に済ませたのか、濃い影を落とすアンティークなサイドテーブルの上にまだ湯気の立ち上っているカップがあった。それに気が付いたのか、ユイの視線が斜に落ちた。
「もう、朝食はすんだかな? また、寝坊してしまった」
彼はふっと微笑むと首を振った。
「いいや、ユイが起きるまで待っていたんだ。食事はまだだよ。だけど、多恵さんの料理が冷めないうちに頂いた方がいいと思うよ」
「良かった……うん。そうする。そうそう、お父さん、雪!」
「ああ、そのようだな。今日の予定はもうスキーで決まっているんだろう、君の中では」
「うん。いいかな。お父さんの都合が悪いなら、仕方ないけど……」
そう言いながら娘には自分の意志を引っ込める気がないのを十分理解しているように、彼はゆっくり大きく頷いた。それを確認すると娘の笑顔が輝いた。
「食事が終わったら、地下室で去年のスキーを探してもいい?」
「ああ、いいよ。去年ので間に合えばいいが。重松さんに一緒に探してもらいなさい」
「多恵さん?」
「いや、菊治さんに頼むといいよ」 
重松菊治、多恵夫婦はこの別荘の管理人として働いていた。妻の多恵は家事一切を切り盛りし、夫の菊治はこの別荘の維持管理に余念が無い。この家の主人であった神津譲(ゆずる)が不幸な死を遂げて以来、神津家の財産管理も担っている。

現在の当主はその譲の弟だが、家の財産には無頓着らしく、この神津家に固定・流動資産がどれほどあるのか大雑把にしか把握していないような男だ。長らく定職に就くことも無かったのは、左手を失ったからという理由もあるのだが、世間をすいすい渡る上策を練る才も持ち合わせなかったのもある。
しかし、こうして天は、仕事らしい仕事はしていなくても暮らせる身分を彼に与えていた。富に執着がないとはいえ、安泰な生活を営んでこれたのは、重松夫婦が信頼に足る実直な人柄であったことも、彼の幸いだったといえるだろう。
別荘と言いながらユイはこの家しか知らない。
裏に所有する山が幾つか連なっているが、辺鄙な田舎に建てられたこの辺ではあまり見られない切妻屋根の大きな洋館がユイの世界の全てだった。
名の聞こえた源泉の湧くこの道央の地域は、広大な土地のほとんどが山野か、農地や牧草地だ。大きなカルデラ湖を中心とした周辺が観光地とはなっているが、土地の価値はそれほど高額ではない。温泉と、火山、農作物、近い漁港からの海の幸、そういったものが観光客を呼びはすれども、この地に、定住しようとするものは、少ない。
昨今は、水資源に狙いを定めた外国の資本投入もあると聞くが、全般、のどかな田舎の雰囲気の土地柄だった。
ユイは学校に通っていない。
幼児期に大病を患ったことが彼女を集団生活から隔ててしまった、つまりは、学校へ行く機会を失わせたのだ。どの時期でも、就学に遅いということはないのだろうが、ユイ自身は学校というところに全く興味を覚えなかった。
長い闘病にともなう隔絶と孤独は、幼い少女の意識になにかしら影をもたらすことも考えられるのだが、彼女は自分の世界に手のひらほどの不安も恐れも、感じなかった。知りえないものに、恐れがあるはずもない。
彼女の父も積極的に就学を働きかけることをしなかった。
初めは病気が障りになって、集団教育を阻まれたのだろうが、次第に、学校教育以上に知育面で見劣りのする教育にはならないと確信がもてるほどに、ユイは聡明な子に育った。
家庭教育だけで十分知育に問題はないと思われた。
だから、父親の教授と一部通信教育の指導だけで、ユイの教育は進められたのだ。

北国の屋外の遊びといえば、幼児期はそり遊び、長じてくればスキーが定番で、降雪の少ない地域ではスケートもそれに加わる。スキーは、板と靴とストックが必要になるが、身長で、ある程度使いやすい長さがある。学童であれば、板は身長ほどの長さ、ストックは持ち手の位置が脇ほどのものが操りやすい。板の金具は靴に合わせて調整できるが、靴の大きさはなかなかそうできるものではないから、成長に合わせて順次大きなものに履き替えねばならない。
神津の屋敷には地下室に下りる階段は二つある。
母屋の吹き抜けに伸びる二階への階段下に、地下室への入り口があった。もう一つの階段はキッチンに続く棟続きの物置にある。
二つの地下室は背中合わせにありながら別個のもので、用途に応じて使い分けられていた。ユイは階段下を探し終わって、めぼしいものがないことにため息をついた。
「菊治イ。ここじゃないよ。どうして靴とスキー板が別々にあるかなあ。ここには靴だけだ」
「そうですね。ユイさま、では物置の地下室を探してみましょう」
 本来、階段下の地下室には普段使わない大きな物が収められている。使わなくなった家具やら、夏季限定、冬季限定などと使用期間の限られているものだ。スキー板も在るとすればここのはずだったのだが、何故か見当たらなかった。
キッチンわきに据えられた物置の地下は、どちらかというと食品関係が多い貯蔵庫だ。頻繁に使う物がうず高く積みあがっている。スキー板があるとはあまり思えなかったが、ユイにとって普段足を踏み入れない地下室を捜すことは、興奮することだった。
――わくわくする。いつだったっけ、この階段を前に降りたのは……。覚えてないなあ。