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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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白い華 ~華の劈開(へきかい)~

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「……う、…そだ」白いワンピースの裾が不安定にゆれている。
「夫に殺されると、お母さんは書き残した。……私は見たんだ、地下室で、あの鉄格子の部屋で、見た」
ユイは飛び出しそうな目をして立ち上がると神津を見つめた。
「ユイ、違う。違うんだ。早苗の夫は、私では、ない。私の兄だ、早苗の夫は、……兄、なんだ」
神津の声は悲痛だった。肺腑の総ての息がいちどきに押し出されて作られた声だった。
「お前の父親は、私では、ない。兄だ。兄が、ああ、……兄が、早苗を殺したんだ、兄は、早苗を愛しているから殺したんじゃない、邪推して、し、嫉妬して、恨んで……殺して、しまったん、だ……」
ようやく階段をよろめきながら降り下って、胸を拳で押さえながら神津はユイに近づきつつあった。左腕の揺れる袖で義手のないことが知れた。
「あ、何? あああ、うそ…だ…、うそだ。……うそだ。……ああ……」
見開かれたユイの眼から驚愕が零れ出た。その驚愕は頬を引きつらせ、顔を覆おうとした指を引きつらせ、肩を震わせ、背を歪ませて床に落ちた。驚愕は足先で凍る。 


父ではない、のか? 目の前の男は。
いつも、お父さんと呼んでいたではないか。いつも、私を助けてくれたではないか。いつも側にいてくれていたこの男は、父ではないのか。叔父、なのか。
父と信じていた男が叔父だった、のか。
本当の父が母を殺した、のか。

ユイは、目の前にあの地下室の幻を見ていた――見知らぬ男の黒い影が目の前に迫ってくる。誰かを追っている。逃げるのは襤褸(ぼろ)切れだ。男が目線を貫いて翻る布を追い詰める。そして、わけのわからぬ声を発して襤褸切れを切り裂いた! 千切れて地下室に散る。黒い地下室に赤い吹雪が舞う。
切り裂かれているのは誰だ? お母さん、なのか? 
お母さんは、夫に殺される……、……でも、お父さんは、お母さんの夫じゃない……なら、
あれは、あれが、本当のお父さん……

愛の証ではなく憎悪の果てに殺した、のか。

足元の床がまるで液体に化して揺らめいたように、ユイの体が斜傾した。
膝を折って倒れこむ寸前に、神津の腕がユイを捉えた。
「本当だ、私は早苗を愛していた。だが、早苗は、兄の妻だった。……早苗も私を愛してくれた。兄は私と早苗を許さなかった。憎んでいたんだ。……だから、私を殺そうとした。狂気に陥った兄の日本刀の手元が逸れて……そうだ、この左腕は、兄が切り落とした。私を殺すつもりだったんだ。私を殺せなかった兄は、早苗をあの地下室に閉じ込めて、そして、自殺した。……ユイ、お前は間違った。いや、間違えさせたのは私だ。すまな…い、ユイ……」
左腕がない理由。なぜ、父の腕がなかったのか、ユイは一度も理由を聞いたことがなかった。
それが真実なのか。
「お…父…さん……の、……腕……」

……千切れた襤褸切れは、お父さんの腕だったのか。

神津の右腕がわなわなと震えるユイの体を抱きすくめた。父親の肩に顎をのせたユイの瞳は乾ききり、虚空を見つめて見開かれていた。


   * * * * * * 

神津の別荘屋敷の地下室から、二体の遺体が見つかった。
一体は長らく行方不明になっていたユイの母親、神津早苗だった。
かなりの年月そこにあったのだろう、朽ち果ててミイラ化していたらしい。外傷は認められず衰弱し、餓死したのだろうということだった。「くの字」に折れた体は縄でくくられていた痕跡があり、猿轡をかまされていたのか、口角は歪んでいた。発見されたとき、戒められた痕跡はあったが縄などは残されていなかった。神津氏らが解いたのだろうことは容易に想像ができた。
重松菊治の供述によると、ユイが幼い時にその遺体は発見されたのだが、死亡が届けられることはなかった。その事実は闇に葬られた。なぜ、届けられることがなかったのか、それは、神津毅の口から聞くことはもうできない。もしこの時この事実が公になっていたら、ユイの殺人はなかったのかもしれないと辰馬は苦く思うしかない。
ユイの本当の父親、神津譲が自殺する前に早苗はここに幽閉され、その譲の自殺で助けだされることは永遠になかったのだ。「夫にコロサレル」という文字は、結わえられた手で、長い時間をかけ一本の釘で刻みつけられたものらしい。あの洋館はそれまではあまり使われていなかった別荘だったというから、幽閉するにはうってつけだったのかもしれない。自らの死を持って、妻をも死に至らしめる、譲の暗い焔(ほむら)のような怨念が感じられた。
神津やユイが移り住んだのは当主が死んで、母親が行方不明になってから数年後だったと言う。
 その当時、かなり地方紙を賑わせた事件だったらしいが、辰馬には記憶がなかった。兄が弟の腕を切り落として自殺し、その妻は行方不明。三文記事にはうってつけのネタだ。それもかなりの資産家だったのだから紙面を長く賑わわせたことだろう。腕を切り落とされた弟が、その時世間から隔絶された隠遁生活を送ろうとしたのも頷ける。幼い姪の行く末を心配し、それであの別荘に隠れ住んだというところか、と辰馬は思う。 
もう一体はナイフの刺し傷のある若い男の死体だった。これは、指名手配されていた江藤空也と名乗っていた男で、資産家の間を渡り歩きながら、主に結婚詐欺を働く住所不定の男だった。初めから神津の資産を当てにしていたのか、迷い込んだのかは今となってはわからない。
ユイはこの男を愛したと、もしくは愛されたと勘違いしたらしい。いや、本当に愛していたのかもしれない。だが、辰馬はそう思いたくなかった。男から愛を告げられたことのない娘が、快い響きの言葉に酔い、愛と錯覚したのだ。詐欺師の手管に簡単にかかってしまったのは仕方のないことのように思えた。
ユイの持つ歪んだ愛の形が詐欺師の息の根を止めたのは、底知れぬ谷底から這い登って来た、実の父の怨念の欠片が一因かと思わせ、父娘(こ)に絡みつく何ものかに、辰馬は悪寒を感じた。

神津毅はあの悲痛な告白の後、激しい発作に見舞われて辰馬の目の前であっけなくこの世を去った。

結局、この事件の告発者になってしまった、無類のお節介焼きの自分の性質を辰馬はしばらく自分の美点とは思えなかった。人の難儀を見捨てては置けない、というのは美点であろうはずだが、今回手を出したことは本当に良かったのか、振り返ってみてもしかとは思えなかった。
もし、自分があの神津を夜の街に見捨てていれば、こんな損な役回りを自分は演じずにすんだのにと思うが、見捨てることができたのかと自問して……否と辰馬は思う。もし、自分があの屋敷に留まらずさっさと辞去していれば、ユイは自分の口から殺人を言っただろうか。外部の人間に彼女の凶行が漏れただろうか。これも、否と思う。
もし別の形で彼女に会えていたら、きっともっと違っていたのにと、悔やむ気持ちが起きる。
もし、もしもと仮想を組み立てるのは空しいことだが、辰馬はやらずにいられなかった。