「不思議な夏」 第一章~第三章
「志野さんは好きな男の人がいたのですか?」
「そのような・・・恥ずかしい事を・・・申せませぬ・・・」
「今は女性からも男性に、好き!と言うのですよ」
「本当ですか?信じられませぬ・・・」
「そうでしょうね。男性がすべてを支配していた時代でしたからね。今は何でも自由ですよ。結婚も離婚も同棲も一人でいることもね」
「婚姻も離縁も自由?同棲とはなんですか?」
「一緒に暮らすことです。籍をいれずに」
「男とおなごがですか?」
「はい、好きな間一緒に暮らすことです」
「はしたないとは思われませぬか?貴雄さんは」
「いいえ、本人達の自由意志で決めることですから。両親が認める結婚とは違う形の暮らし方があってもいいと思っています」
「そうなのですか・・・なにやら理解できないことが多すぎます。私は生きてゆけないかも知れませんね、今の時は」
「そんな事ありませんよ。僕が教えますから、ゆっくりと慣れて下さい。焦る必要はないですよ。戦がないのですから」
「そうでしたね、貴雄さんだけが頼りです」
志野は眠りに就いた。ベッドの脇でもたれかかるようにして、貴雄も眠ってしまった。
「貴雄さん、申し訳ありませぬ。私だけが布団で寝てしまって・・・さぞかし熟睡されなかったでしょう?」目覚めて、貴雄の顔を見ながら申しわけなさそうにそう志野は言った。
「なれていますから気にしないで下さい。風邪を引くような季節じゃないしね。それより気分はどうですか?」
「おかげさまで・・・心地よい目覚めになりました」
「それは良かった。もう直ぐ看護士が脈と体温を測りに来ます。異常がなければ退院することになります」
「退院?」
「ここを出ても良いという許しが出ると言うことです」
「それは良かった・・・」
6時半になって看護士がやってきた。
「志野さん?体調はどうですか?脈と血圧それに体温測りますからね。右腕を出してください」
言われるとおりにおとなしくしていた。腕に巻きつけたチューブの感触が初めてだったので、じっと見ていたが体温計も脇に上手く挟み込んで、ピピッと鳴る音に少しビックリした様子が可笑しかった。
「はい、異常無しです。先生に報告して、許可が出たら帰って下さっていいですよ。木下さんに後はお任せしますので」
「ありがとうございました」とだけ志野は言った。
看護士が9時になったら先生が見えるので、その時にお話を聞いて下さい、と貴雄に言った。「解りました」と返事して、その時間まで、朝食を採りながら話をすることにした。
「貴雄さんは朝ごはんを戴かないのですか?」
「病院だからね、患者さんだけに出るんだよ。僕は我慢するから気にせずに食べなさい」
「では、半分ずつ分けましょう。こんなには戴けませんから」
「そう、ありがとう。優しいね、志野さんは・・・」
「甘えてばかりの志野を許してください。優しくなどありませぬゆえ」
「ありませぬ、じゃなく、ありません、と言うようにしましょう」
「ありません・・・ですね。はい、そう言います」
仲良く半分ずつ食べて少し空腹を満たした。十五歳か・・・今の子供とは偉く違うなあ、と感じていた。それに、良く見ると目鼻立ちもよく、色も白く、美人顔をしている。なにやら気になる存在になりそうな予感もした。
「志野さん、大切な事を言いますから良く聞いて下さい」
「はい、承知しました」
「まず、名前は氏を名乗るのが普通です。志野ではなく、今日から木下と名乗って下さい。人に名前を聞かれたら、木下志野といいましょう」
「それは・・・貴雄さんの奥方になるということでしょうか?」
「違います。年の差からいって、当面は兄弟と言うことにしましょう」
「兄上になって頂けるのですね?」
「そういうことです。兄上ではなく、兄さん、と呼んでください。二人きりのときは貴雄、と呼び捨てで構いません。ボクも志野、と呼び捨てにします。妹ですから」
「貴雄ですか・・・失礼ではないのですか?」
「ないです。親しい間ではそう呼び合います。兄弟ということにしますから、そう呼びましょう」
「はい、心得ました」
「次は挨拶です。朝はおはようございます、と言います。昼間はこんにちわ、と言います。夜はこんばんわ、です。言ってみて下さい」
「はい、朝は・・・おはようございます。昼はこんにちわ。夜は・・・こんばんわ。ですね」
「そうです。よく出来ました。飲み込みが早いね」
最低限の挨拶とお礼の返事を教えた。そうこうしているうちに9時になって、宮前医師が部屋に入ってきた。
「木下さん、おはようございます。ご苦労様でしたね。志野さん?気分はどうですか?」
「はい、優れております。お世話になりました」
「ほう・・・挨拶が出来るのですね。昨日はやはり動揺していたようだったのですね。ご両親とかご兄弟とかに連絡は取れましたか?」
「いいえ、両親は亡くなっています。兄弟もいません。貴雄さんだけが頼りです」
「そうですか・・・じゃあ、その木下さんと少しお話がありますので、帰る支度をしてここで待っていて下さい」
「支度ですか・・・何も持ってはおりませんが・・・」
貴雄は少し待つように言って、宮前医師と医務室に入っていった。
「木下さん、彼女は身体に異常は見当たらないので心配ないのですが、精神状態が不安定に思います。あなたに身元引受けをお願いして、ご負担にはなられませんか?」
「大丈夫だと思います。志野は精神不安定なんかではありません。説明が難しいので省きますが、きっとうまくやれると思います」
「そうですか。では退院の手続きをしましょう。保険がないので治療費は3万円ほどかかりますが大丈夫ですか?後日お振込でも多分大丈夫かとは思いますが、事務局に一度相談してみて下さい」
「先生、カード払いが出来るようでしたら、お支払いは出来ます。必要な手続きとって下さい。それと、折り入ってご相談があります」
「カード払いは出来ますよ。では、事務局に治療終了の電子カルテを送信しておきますから、後で精算窓口に寄って下さい。それで、相談とはなんですか?」
「志野は今病院の寝巻きを着ていますよね。中には何も着けてないと思います。あのまま外に出るのは無理ですから、院内の女性の方からジャージかスポーツウェアーのようなものを借りていただけないでしょうか?お願いできませんか?」
「そうでしたか。では、体付きが似ているので私のトレーニングウェアーをお貸ししましょう。家に戻られたら、宅配便でここに返してください」
「はい、ありがとうございます。助かります。それともう一つお願いがあります。志野の着ていた着物が乾きましたら、こちらの住所まで着払いで送っていただけないでしょうか?」
「はい、引き受けましょう。仕事外ですが、あなたの気持にお答えしましょう」
貴雄は宮前医師の好意に深く感謝をした。そして、部屋に戻り早速志野に渡した。
「先生に着る物を借りてきた。これに着替えてここを出よう。申し訳ないけど下着は無しになるよ」
「下着?それはなんですか?」
「そうか・・・着物だったね、いつも・・・洋服の場合は肌が透けて見えるから、下にもう一枚大切なところを隠すように身につけるんだよ」
作品名:「不思議な夏」 第一章~第三章 作家名:てっしゅう