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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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目玉屋奇譚

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 見ると茜が心配顔で覗き込んでいた。物思いから引き戻されて、私はまた肺腑を絞るような溜息を吐いた。
 見たいけれど思い出したいけれど……、見ることなぞできないとわかっている。わかっているのに、望むことは愚かなことだと、私の眼は、そう教えてくれているのに。
「ああ、ああ。今、昔のことを思い出してたえ。話し半分で、すまないねえ。そうだ、茜さんの言う通り、冷やかしにいってみようかねえ」
 私は団扇を手にふらりと立ち上がった。
 何、たいした見世物を期待していたわけじゃなかったが、落ちた気分を拾いに行くだけのことだと思った。

 3

 お社に露店がかかったのは数日前らしい。
 小さな屋台が狭い境内の石畳に脇をぴったり引き寄せて並んでいた。子供が欲しがる獣を模った飴細工やら、ひょっとこ、おか目の白いお面を並べた露店、由来がわかりようもない出物(でもの)を地面にまで並べている古物商。金魚や小亀を水に浮かせて商う店。夢を買いますだとか、よりしろを見立てますなどと、胡散臭いしろものも薄暗い店を構えている。そんな清濁舞い混ぜな、雑多な店々に大人も子供も群がっている。どこからか篠笛やら小太鼓やらの音色も聞こえているようだ。
 首から錦の蛇をぶら下げて、ちろちろ赤い舌を覗かせる口をこちらに持ち上げている、こけおどしの見世物に、観衆に取り巻かれ怒号のような口上を述べ、自らの腕を裂いてみせるひげ面の男。それら他愛もない夜店・見世物の情景が、ふらりふらりと店先を覗き込みながら歩く私の目に、映っては刹那に消えた。
 ふと、「目玉屋」という茜の言葉が思い浮かんだ。そういえば、目玉屋が立っているはずだ。
 
 目玉屋……。
 幼い私の唯一の記憶を失わせた、眼(まなこ)の記憶を、無いものにした。目玉の取替え屋。
 まあ、そうはいっても、実際は目玉を取り替えたのは女衒。その商いに怒りとか哀しみがわいて、わが身を苛むことなど、ないのだけれど。ちょっとは気になる……という、ささくれ立った思いが高じたのだろう。目玉屋は何処にと、それほど意識せずに私は探していたらしい。

 その店は随分境内の外れにあった。

 人通りがまばらになった一角の、灯りが十分に届かないほどの薄暗闇に小さな棚を並べて、薄い灰色の髪を結い上げた男が商いをしていた。おつむの髪が薄いわりに、立派なひげを顎から左右に分けて蓄えている。
 店先に並べられた目玉の数は思ったほど多くはなかった。だいたいが両目を揃えて飾ってあった。透き通った玻璃(はり)の入れ物に納まった目玉は、青いのやら、緑のやら、茶色のやら、まるで色とりどりの飴のよう。溶液の中に漂いながら、何かの拍子に微かに震えた。
こんなものが商売になるのかと思われるほどに濁った目玉もあった。どこから手に入れたのかがわかるように、それらの入れ物には一通りの能書きが添えられていた。
元の持ち主は男か女か、国はどこなのか、たいした説明ではなかったが、それでも大まかなことは読み取れた。
「姐さん、どうだね、お取替えなすったら? 掘り出しもんもありまさあ」
 だみ声が耳になじまない。男は懐手(ふところで)に、紙縒りのように細めた目で私を見ている。私は、並んだ目玉をゆっくりと品定めをするように見回した。
「そうねえ、たいしたものは、なさそうに見えるけど……」
 飾られている目玉を入れ物ごと持ち上げて、真正面に、斜にと眺めてみた。薄い光がその表面を舐めると、涙に潤って泣いているように見えた。
 泣いているのかもしれない。どんな理由で持ち主の元を離れたか、およそまともな理由ではないように思えた。私のように過去を捨てなければならなかった者の目が多いのだろう。また、かつて捨てたことのある者が、再び取り替えるというのも有り得るのだろうと思う。金に困って売りさばいたり、よんどころなく野ざらしになった者の目もあるのかもしれない。昔聞いた話だが、咎人やら晒し首の眼(まなこ)を闇で流している者もいるという。
「あたしはね、この目の異国の景色がなじまなくてねえ、いえ、そんなに不自由という訳じゃないんだよ、なんだか、こう、別のものが……見たい気分になってね……」
 それは嘘ではなかった。気分が塞いでいたのだ。

「そりゃあ、いい眼を持っていなさる。異国の眼はいい値で引き取りましょう。今日日(きょうび)はなかなか異国の目玉は手にはいらねえ、ご時世でね。で、どんな眼がお好みで?」
 慇懃な声だった。本当にそう思っているとは思えない。
「異国のものでなくて、できれば、どっか田舎の山並みを覚えているのがいいねえ。でもね、この異国の目も今まで私の目になってくれたし、今まで見えてたもんが、全部なしになるのもいやでねえ。そうだ、片目っていうのはだめかえ?」
 たいした物を見てきたわけじゃなかったが、それでも、数十年見えていたものが思い出せなくなるのは寂しいものだ。おっかさんの顔も思い出せないことで、どこか自分の奥底にある大事なものが、ぺろりと剥かれた悄愴が、私の中にくすぶるように残っていた。
「そうさなあ、片目ねえ。まあ、それも無いわけじゃない。……待っておくんなさいよ」
 男は、棚の下を何やらごそごそと探り、黄色い包みを引き出してきた。黄色いと見えたのはあまりに古びた包みだったかららしい。男は掌の上で丁寧にその包みを開いた。皺がたたまれたその包みには黒い目玉が一つ入っていた。
「売れ残りなんですがね、随分昔に調達したもんです、これなんかはいかがです?」
 その眼(まなこ)は黒檀の黒だった。
 まるでそれは、私しか映さないとでも言うように、じっと私を射抜く黒で、誘っているかのようだった。私はしばらく入れ物の玻璃を透かして、その目を吟味するように見つめた。汚れた紙包みから出てきた割には、濁りもない。白目は微かに青みがかって澄んでいる。しばらく思案して、私はその目を男の手から受け取って、自分の片目を差し出すことにした。
「確かに異国の左目頂戴いたしました。お客さんのお年では、しばらくなじまぬこともあるかと思いますがね、辛抱はほんの数日でさあ。きっといいもんが見れます、受け合いまさあ」
私の異国の目を受け取った男は、喜色を浮かべてそう言った。言い終わった後、男の片眉がへんに歪んだのを訝しく思ったが、私はその黒い目を自分の左のくぼみにゆっくりと納めた。

 4

 あれからしばらく左目がしくしく痛んだが、これは仕方の無いことだと堪えた。子供の頃とは塩梅が違うのだろう。数日と目玉屋の男は言ったが、なかなか痛みが去らなかった。夏がすっかり過ぎて、秋の紅葉が燃える頃になっても左目は時折痛み、見えるようにならなかった。
だまされたのかもしれないと、半ば諦めかけたある日、私は目の痛みがなくなっていることに気がついた。ようやく目が私の体になじんできたのだろう。
 痛みがなくなると少しずつ物が見えるようになった。ほんの鼻先の距離から次第に見え始めて不自由なく物が見えるようになると、左目は過去の像を結び始めた。
ひょいとした拍子にちらりちらりと目の前に浮かぶ。
 像は人の姿のようだった。
作品名:目玉屋奇譚 作家名:すおう るか