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すおう るか
すおう るか
novelistID. 29792
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目玉屋奇譚

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 宿場の外れに、今はすっかりくすんではいるが、かつての繁盛を思わせる、朱塗りの格子戸を備えた小さな宿屋があった。宿とはいっても一夜の女を世話する女郎宿である。寂れたこの宿場にこういった宿は一軒だけで、それなりに旅の者をくわえ込んで、遅くまで灯りが落ちることはない。都の遊郭とは比べ物にはならないほどの貧弱な有り様で、女郎は部屋も与えられず、下働きの仕事もこなすような代物だった。
 私はそんな場末の、川面に流され浮かぶ塵芥(ちりあくた)と同義の者に過ぎなかった。

「姐さん、ねえ、紫(むらさき)姐さん、そんな顔して、客がみんな逃げちまうじゃないか、ちっとは愛想笑いでも振りまいたら、どうえ?」
 物憂げに首を傾げ、二階家から客を誘うでもなく、外を眺めている私に向かって年若い女が声を投げてよこす。
 宿の下の草むらには蛍だろうか、二つ三つと微かな明滅を瞬かせ、ゆうらりと揺らめく光が動いた。仄明るい緑の灯火(ともしび)は、所を移しながら次第に二階家の軒先まで上がり、そうして、濃紺の空に音も無く消えていった。
 開け放たれた障子からは心地よい風がそよいでいる。
 結い上げもせず、紫の絞りでゆるく結わえてある髪を二度三度と撫でる仕草をしながら、外から声の主へ鼻先を向けたっぷり間をおいて、私は深い溜息をついた。
「・・・・そうは言ってもねえ、この時期になると、どうも、あたしは気分がよくないのさ」
 夏ももう終わる。終わるというのがいけない。これからよい季節がやってくるのだという気分にさせてくれない。暑い日ざしが長い影を引くようになって、どんどん、掬(むす)んだ手から何かが零れていく様な気になってしまう。これから始まる秋は宿場も人も豊かになる実りの季節だと思っても、何か物寂しさが身に付きまとった。
「あたしらに季節なんてないのも同じなんだけどねえ、なんだか、この時期になると昔のことを思いだすのさ。茜(あかね)さんはそんなことはないのかえ?」
 問われた茜は、ついと紫色の着物の裾に近寄って、枝垂れかかるように身を寄せた。ふわりと香るその匂い。
 ――おてんとう様の匂いだ。
 ふと、私は思った。
 茜は私より幾つも年下で、この年若い娘(こ)をまるで妹か娘のように感じていたのだが、本人はそれほど私に情を感じてはいないらしい。

「昔ねえ、そんな埒もないこと、あたしらが昔を思い出したって、お飯(まんま)もお足も増えるわけじゃなし、馬鹿だねえ、姐さんは。……そうだ、姐さん、そんなに気分が滅入るなら、裏のお社(やしろ)に露店が立ってるだろ? ちっとは面白いものが見つかるかもしれない、気分直しに覗いて見ちゃあ、どうだろ。」
「露店?」視線をあげて私は茜を伺った。「今年はどんな、露店だえ?」
「難波あたりの剣使いやら、蛇使いの物見。それに、目玉屋が来てるって」
「目玉屋ねえ……」
 気乗りのしない私の言をそうすれば打ち砕けるかのように、茜は瞳をめいっぱい見開いて、私の顔を覗き込む。
「姐さんは、目玉を取り替えたことがあるのかえ?」
 茜は自分の目を指さして、よく動く瞳で私を見つめた。
 そう言えば、この子はよく替えているらしい。ちょくちょく目を取り替えるこの娘の気持ちが私には掴みきれなかった。目の前に見えるものがすっかり変わってしまうことに、どんな思いも沸かないというのだろうか。私がすっかり年を取ってしまったから、この子の気持ちが見えないのかもしれない。
「いいや、無かったねえ、ここ数年は……。」
 手にした団扇を胸の辺りで煽ると、茜は私の肩を叩いて、大口を開けて笑った。
「姐さん、姐さん、それって、本当? よく飽きが来ないものだよねえ。」
 飽きが来る……。過去の記憶をそう易々と、飽きたといって手放すことが人にはできるのだろうか……。本当に持ち続けたいと思っている記憶が無いのだろうか。この娘の言うことが世間様のありようなのだろうか。
 手放したくても、手放さなければならなかった記憶が私にはあった。

「いや。取り替えたことが無いわけじゃないわな。うんと昔に一度、両目を取り替えたことがあった、女衒(ぜげん)さんに言われて取り替えて……、このお商売に身を売られたころだったえ……」
 その人買いの女衒の顔はよく覚えている。この目が最初に見た顔だったから。人の良さそうな赤ら顔に薄い唇が怖かった。唇は笑っているのに、目はどこを見ているのかわからない凍えたさまで、つかみ所のない顔だった。

 2

「さ、さ、ここが新しいお前のお店(たな)だ、しっかり働きなせえ。年季が明けるまで間違っても故郷(くに)に帰ろうなんて思わねえことだよ、あ、ああ、あ、そんな、泣きそうな顔してちゃ、お客がつかねえよ、笑って、笑って」
 女衒は幼い私の肩を乱暴に揺すって、せっかく堰き止めていた涙を溢れさせた。
「でも、女衒さん。あたし、おっかあが恋しい。家が恋しいよお」
「そりゃア、いけねえな。思い出しちゃいけねえ、目の奥におっかあの顔があるから、いけねえのかねえ。そうさな、目玉を取替えなせえ。そうすりゃ、もう、あんたの目から、昔のことはきれいさっぱり消えるというもんだ」
 優しい作り声で幼い私をなだめながら、女衒は懐から大事そうに白い包みを取り出した。そこにはころころとした小さな丸い二つの目玉があった。目玉を取り替えるなんて話には聞いていたけれど、私はひどく驚いた。こわごわその手の中にある目玉を私は食い入るように見つめていた。
「忘れてしまうの? おっかあのこと……」
「いやあ、新しいものが見えるようになるだけさあね。さ、取替えよう、痛かあねえから」
低い声でそう言うと、女衒は私の目を両目とも取り替えた。いやと、一言、言う間もなく。
 あらかじめ用意されていたものだったのだろう。売られてきた娘が夜な夜な故郷を思い出して、泣いて仕事にならぬじゃ、女衒にとっても商売に差しさわりがあったのだろうと、今は思う。
 私から取り出された黒い目は、きらきらと夜の灯りを煌かせて玉石のようだったのを不思議と覚えている。いや、覚えていると間違って記憶しているだけなのかもしれない。
 取り出された眼(まなこ)を移植されたその目で見ることができたとは思えない。取り替えることはそれほど難しいことではないけれど、それ相応の痛みやらなにやらが不可欠なのだから。

 あれから、私の目から故郷の色が消えたのだ。
 働き者だった母親の顔も、小さい兄弟たちの顔も、狭い家の間取りも、故郷の村の青い山並みも奇麗さっぱり消えてしまった。親や兄弟がいたということは思い出せる。だが、その顔形はまるで初めから無かったかのように像を結ばない。目が覚えていないのだ。
 目蓋の奥に見える、のっぺらぼうの顔に深い郷愁は沸いてこなかった。
 代わりに元は誰の視覚が刻まれていたものか、新しい目は異国の町並みを見せてくれた。深い色の水の流れやら、この宿場ではみたこともない立派なお城のような建物を見せてくれた。背の高い青い瞳の男やら、煌びやかな装いの金の髪の娘やら、なんの記憶もない映像だけが時折白々しく浮かんでは消えた。新しい私の目は夜の帳を迎える前の、静寂(しじま)に映る紫色の瞳だった。

「紫姐さん?」
作品名:目玉屋奇譚 作家名:すおう るか