あなた待ち島
時はさらに流れ、一一七四年五月。
源氏の血を引く十六歳の義経(遮那王)は、これ以上都にいることに危険を感じ始めた。そのために京都鞍馬を下り、六波羅の追っ手をかわして平泉へと向かうこととする。
そのルートは三つあった。
琵琶湖の東ルートか西ルート。それとも人目を避けるために、湖上を船で進むかだった。
義経はこの湖上ルートが一番安全と考え、それを選択した。そして、その途中に立ち寄った所が奥琵琶湖の竹生島。
義経は、その神秘なる島で、しばらく身を潜めることになるのだった。
義経は竹生島で滞在した後、平泉へと旅立った。そして平泉へと入り、藤原 秀衡(ふじわらのひでひら)の庇護を受けて修行の日々を過ごす。
それからまた六年の歳月が流れた。そして、その時がやってきた。異母兄の頼朝が、一一八〇年八月十七日に源氏復活のために挙兵した。
義経は、血を分けた十二歳年上の兄・頼朝を慕っていた。それを知って一時も早く馳せ参じたい。
そして、その願いはやっと叶う。
十月二一日、義経二二歳は駿河の国・黄瀬川(きせがわ)で、頼朝三四歳と対面を果たすのだった。
義経は常盤御前の息子。母親譲りのオ−ラが満ちていて、精魂逞しい若武者。
鞍馬と平泉で文武両道を磨き上げてきた。その上に、平泉では馬術もマスターしている。そのせいか、まったくひ弱ではない。
兄と一緒に、源氏の血の復活と繁栄を願って、天下に打って出ようという強い野心を持っていた。二二歳の使命感に燃え、平泉から馳せ参じて来たのだ。そのためか、その勢いは並々のものではなかった。
頼朝は、自分の腹違いの弟とは言え、正直凄いやつが現れたと思った。
頼朝は伊豆国蛭ヶ小島に流されて、約二〇年間、その青春と青年時代を幽閉されたまま生きてきた。そのためなのだろうか、その心には歪みがあったのだ。頼朝は何事にも疑い深く、管理思考が強い。
野山で心身とも鍛え上げられ、自由な発想で生きてきた義経。今にも組織の枠からはみ出し、組織を乱し、そして壊してしまいそうだ。
頼朝は果たしてこんな勢いの良い義経をコントロ−ルできるだろうか、そんなことを危惧するようにもなった。そして、頼朝自身の野望のためには、邪魔になるのではと考え始めた。
また妻の政子は、女の直感で、義経が自分たちの将来に危険な男になると寝物語で語り始めた。そして、都の匂いのする義経に、嫉妬をも滲ませながら「外せ」とまで助言するようにもなった。
こうして兄と弟のすべての不幸が、この黄瀬川の出逢いから始まったのだった。