携帯彼氏6
やっぱお前は変わってるな、彼はぼそりとつぶやくと、店長のデスクの上に腰をかけて、器用にわっかの煙を吐き出した。
「俺って、そんなに変わってますか」
「ああ、変わってる。お前はホストのくせにがつがつしてねえし、仕事はきっちりこなすくせに妙なところでやる気が無い。若い奴らの面倒は見るくせに、派閥を作るわけでもない。ナンバーツーまで上り詰めたくせに、その先にはいきたがらねえなんてどうかしてるぜ」
そうか、彼は俺をそう見ていたのか。俺は今更ながらにこの男の視界の広さに感心していた。あれだけの客をさばいて、尚且つ殆ど話もしていない同僚のこともちゃんと見ているとはね。顔だけじゃない、彼はなるべくしてなったナンバーワンホストだ。
「なんでナンバーワンになりたがらないんだ?」
俺を押しのけたいと思ってないのか、優飛は呆れた顔で俺を見た。顔は笑っているけど黒い瞳は真剣な光を宿している。
今まで誰にも本心を話した事はなかった。そういう仲にまで踏み込む奴は、誰もいなかった。いや、違うな。俺が踏み込ませなかっただけだ。
この仕事は楽しい、やり甲斐もある、俺はホストという仕事を気に入っている、巧くやりこなしている自信がある。
だけど、好きな訳じゃない。
「………めんどくさいから、かな……」
思わずつぶやいた言葉は、俺の本心だった。
「よく言うよ、お前。めんどくさがる奴がホストなんてできるわけないだろう。お前と来たら、来る客来る客、みんなお姫様扱いだ。あんだけちやほやされれば石でも柔らかくなるぞ。それでめんどくさいとか言われても、誰が信用するかっての」
「めんどくさいですよ。女に本気になられるのも、男に本気になられるのも、両方。適当に稼げて、客が気持ちよく帰れれば、それで俺は十分なんだ」
「…………ふーん」
優飛は俺の返事を聞くと、つまらなさそうにわっかの煙を続けて吐いた。事務所の古ぼけた蛍光灯の下で、そいつは暗い輪を描いて昇っていく。
「ま、それでもいいけど。お前この先、苦労するぜ」
「え?」
「なんでも本気になれない奴は、何にも手に入らないってことさ」
彼は灰皿を引き寄せて、口にしていた煙草をぎゅっと押し付けると俺の方を振り返りもせずに事務所を出て行ってしまった。形のいい背中が暗い廊下の向こうへ消えていくのを、俺は黙って見送った。
機嫌を損ねたんだろうか。まあ、いい。元々仲がいいって訳でもない。奴はナンバーワンだが所詮はよそ者だし、俺は古株のくせに力不足のナンバーツー。仲良しこよしで仕事ができるほうが間違いだ。
彼の言葉なんてどうでもいい、そう思う筈なのに、どうして胸が苦しいんだろう。最後の言葉がひっかかって、頭から離れない。
何も手に入らない、そうかもしれない。いつだって俺が手に入れたいと思うものは手に入らなかった。親は俺を捨てた、俺を愛してくれる女は俺が捨てた。押し付けられたり、重い愛はいつだって俺を気まずくさせた。
そして、俺が、ただ一人、たった一度、心の底から望んだ人は………俺を、捨てた。
思い出すとますます胸が痛くなった。息が出来ないほどの痛みに、俺はシャツの胸を握りしめて呻いた。
俺は捨てられた、俺は誰も愛さない、だから傷つくことなんてもうない。ホストの愛なんて仮そめの夢だ、だから俺は傷つかない、これ以上傷つきたくなんてない。
でも、何も手に入らない。
かまうもんか。俺が欲しかったのはたった一人の人間の愛なんだ。他の誰の愛もいらない。あの人の愛が得られないなら何もいらない。ホストにそんなものは必要無い。
だから、俺は永久に愛を手に入れることはできない。そんなことは、わかっていた筈なのに。
優飛が俺に落としていった一言が、俺の胸を締め上げる。
寂しくなんかない。これが俺の生き方だ。今までそう思っていたのに、なんでこんなに苦しいんだ。
誰もいない事務所は薄暗くて、寒い。それが原因ではない寒さで、俺はいつの間にか震えていた。
「ごしゅ……いえ、蘭さま。どうされましたか?」
顔を上げれば俺の世界は暗かった。いやそうじゃない、でかい男が目の前に立っているせいで、視界が暗いんだ。
「ヒロ」
俺は何故かほっとしていた。信じたくはないが、俺はヒロのあったかくて優しい手が伸ばされるのを待っていた。あの大きな手は、俺を温めてくれる手なんだ。俺だけの、俺のために存在する手。
間近に迫ったヒロの顔は情けなく歪んでいて、涙ぐんでいる。ふるふると震えながら俺の手を握り、俺が座ってるパイプ椅子を押し倒さんばかりにしゃがみこんだ。
「ご、ご気分が悪いのですかっ?今すぐ救急車をお呼びいたしますっ!」
「わあ!そんなものを呼ぶな、馬鹿!」
「でっ、でも、なんだか苦しそうです!救急車ならすぐに呼べます、ここは電波状況が良いですからっ!」
「大丈夫、大丈夫だから呼ぶな!」
「本当ですか……?」
くすんと鼻をすすりながら、俺を見る顔は真剣だ。溢れかけた涙のせいで、でっかい目が零れ落ちそうだ。俺の手を握り締める奴の手は想像通りに温かかった。じんわりと彼の体温が肌に沁みる。
「俺を信用しろよ、お前は俺専用の携帯なんだろう?」
「うう。そうです。だから、心配で心配で………」
携帯電話に心配される持ち主ってのもなんだか………こいつ、俺のことをどんな風に見てるんだ?
「何が心配なんだよ、まったく」
「………蘭さまが機能されなくなったら、困ります。私を使っていただけるのは、蘭さまだけです」
「…………」
なんて答えていいのかわからない。確かにこいつは俺のもの……いや、俺の持ち物だ。でも、俺はそんなに愛情深くこいつを使っていたわけではない。愛着はあるから長年使ってきたけど、故障の程度が酷かったら買い換えちまうだろう。
「お前さ」
店はもう開店してる、店長も、他のホストたちも働きはじめている。俺を呼び出しておいた筈の店長も暫らく事務所に戻ってくることはないだろう。いや、いつまでたっても戻ってこない俺を少し苛々しながら待っているかもしれない。それに、同じく戻ってこない新米ウェイターにも。
こんなことを聞いている場合じゃない、呑気に事務所に座って、握られた手を離さずにいるなんて、俺はどうかしている。
「なんで、そんなに俺を心配するわけ?」
「………………なんで、と、言われましても、私はその、蘭さまのものですから」
「たまたま俺がお前を買った、それだけじゃないか。別に他の誰かでもよかったんだ」
「でも、でも、でも」
ヒロは今度こそ本当に泣き出した。でっかい男が子供みたいに、みっともないったらありゃしない。鼻をぐずぐず鳴らして、さっきまで決まっていた真新しいバーテン服も台無しだ。
「でも、あなただけです。世界でたった一人、私の持ち主はあなただけです。いなくなったら、嫌です。他の誰かに使われたくなんか、ないんです」
うええ、と本当に声を出して泣きだした大男に、俺はどうしようもできなかった。俺の両手は奴の手に握り締められたままだ。しようがないから、俺は自分の頭を奴の額にぶつけてやった。ごん、と鈍い音がする。俺も痛いけど、ヒロはもっと痛かったようだ。
「ああっ、痛い!」
「泣くな馬鹿。みっともないんだよ馬鹿。さっさと手はなせ、馬鹿」