ノブ ・・第3部
「お店って、ひょっとして銀座・・ですか?」
「お、良く知ってるじゃん!そう銀座のキャバレーで弾いてるんだ、週4位でな」
「でもお前・・それ、誰に聞いた?」
「さっき、キャバーンの連中が言ってたんですよ、タカダさんのコト」
「ハハ、どうせ碌な事言ってなかったろ?」
「いや、その・・・」
いいさ、シンが気にする事じゃね〜からよ・・とタカダは言った。
「オレな、暇な日は銀座のキャバレーでギター弾いてる、これはさっきも言ったけど、ほんとだ」
「でな、多分ヤツ等が言ってた話しの後半・・当ててみようか?」
「はい」
オレの女の事だろ?とタカダはショッポに火を点けた。
「フ〜・・それも本当の事だよ」
煙を吐き出しながら、タカダは上を向いて言った。
「オレ、勘当息子だからな・・帰る家が無ぇから、その女に食わして貰ってる」
「そしてその女のお陰で、オレは学生面してられるしギターも弾ける」
「ま、ヒモだな、はっきり言えば」
はぁ・・ボクは何と言っていいのか分からず、曖昧な相槌しか打てなかった。
「だからよ、いいんだよ、他の連中がなに言っても」
「大体は当たってるんだからよ・・」
でもな・・とタカダは俯いて続けた。
「去年ダブった時は泣かれたぜ、彼女にさ」
「で、心入れ替えて今年は学校に来てるんだ、真面目にな?!」
「なに言ってるのよ、学校に来るのは練習ばっかで授業なんか出て無いくせに!」
リエ坊が、ベースを仕舞いながら笑って言った。
「うん、ま・・そういうコトだ」
「大丈夫、今年は再試、全部クリアしたからよ!」
「そうなんですか」何故だか、ボクは嬉しくなってしまった。
そんなコトをサラっと言えるタカダという男が妙にカッコ良く見えて・・・。
「タカダさん、生き方もロックっすね!」
「ガハハ、そうだろ?オレって・・」
「ま、オレの事なんざどうだっていいさ・・そのうち、詳しく話してやるよ」
「あ、いけね!じゃボチボチ行くわ」そう言ってタカダは、ギターとバッグを抱えて出て行った。
「うん、私達も帰ろうか」
「はい」
部室の鍵を締めて、ボクらは講堂の外に出た。
「シンは?何か予定あるの?」
「・・はい、今日はこの後待ち合わせがあるんです」
「そっか、じゃ明後日ね!」
大学の門を出てボクはリエ坊と別れ、重い足を引きずってアパートに向かった。
「ヤバい、時間・・間に合わないかも」
グランドパレス
明大前の坂を小走りに下ってアパートに着いた時、時計の針はもう6時半をまわっていた。
「急がなきゃ!」
ボクは着ていたTシャツと短パン、トランクスを洗濯機に放り込んで急いでシャワーを浴びた。
サッパリしたところでジーンズを穿いて、ボクにとっては他所いきのラコステの白いポロシャツを着た。
「あと、15分しかないや・・」
スニーカーを突っ掛けて、ボクは九段下を目指して靖国通りを急いだ。
本屋街を抜けて高速の高架下を潜り、古い九段会館の交差点を右に曲がったらもうグランドパレスだった。
「うわ!高級そう・・」
正直ボクは、こんな都内の高級ホテルに来たのは親戚の結婚式で2、3回という感じだったから、自分には全く縁遠いものと感じていて少し気後れしてしまった。
オズオズと正面玄関に向かうと、大げさな服装のベルボーイが恭しく頭を下げて迎えてくれた。
「あ、ども」
ロビーに入ると、フカフカの絨毯で足音が全くしない。
「どうしよう、どこにいれば・・・」
見渡したところフロントの前にはいくつかソファーが置かれていて、数人の人が寛いでいた。
「あそこに座って待ってようかな」
そう、実は一刻も早く座りたかったのだな、ボクは。
練習のお陰で足はツリそうだったし、両手もだるくてしょうがなかったからね。
空いているソファーに座ると、クッションが柔らかくて腰から肩まで・・ふんわりと体を包んでくれた。
次第に汗も引いてきて「いいな、このソファー」ボクは静かに流れるクラシックに耳を傾けて目を閉じた。
時間は丁度7時だったから、何とか間に合ってホっとしてしまったのだろう・・・ボクは、そのまま眠ってしまった。
「・・・さん」
「ノブさん?!」
「ん?」誰だ?ボクを起こすのは・・気持ち良く寝てるのにと薄く目を開けたら、目の前にはスーツに身を包んださゆりさんが腰を屈めて微笑んでいた。
「あれ?!なんで・・?」
「そっか、寝ちゃったんだ」
状況がやっと分かったボクは、起き上ってさゆりさんに言った。
「ゴメン、一瞬寝ちゃったみたい」
「ふふ、お口あけて気持ち良さそうに寝てらしたから」
「起こさないで、このまま寝かせてあげようかな?なんて思っちゃいました。」
「今、何時?」
驚いた!時計を見たらもう、7時半ではないか。
「え、オレ30分も寝ちゃったんだ」
「・・さゆり、何時に来た?」
「私が来たのは15分位前です、少し遅れちゃって・・」
「って事は、オレを寝かせといてくれたの?」
「はい、あんまり気持ち良さそうだったから、起こすのが気の毒で」
さゆりさんは笑いながら言った。
「でも、まさかここでそのままっていう訳にもいきませんでしょ?」
「ですから、可哀そうですが起こしちゃいました!」
「うん、有難う・・でもまさか、30分も寝ちゃうとは・・・ゴメンね?!」
「いいんです、ノブさんが謝る事じゃないでしょ?」
さ、行きましょう・・とさゆりさんは、ボクの手を取って歩きだした。
「う、うん」
ボクはさゆりさんに手を引かれながら、どこに行くのかな?と考えた。
「どこ行くの?」
「お部屋です」とさゆりさんは小声で言って、立ち止まってボクを見上げた。
「お食事は、お部屋で・・ね?!」
「うん、そうなんだ」
「はい」
ここはさゆりさんに任せた方が良さそうだなと思って、ボクは大人しくついて行った。
エレベーターに乗り、さゆりさんが10階のボタンを押した。
ドアが閉まった瞬間さゆりさんが抱きついてきた。
「会いたかったです、ノブさん・・」
「うん、オレも」
それだけ言って、ボクらはキスをした。
さゆりさんは両手をボクの首にきつくまわして、ボクの舌を探して貪った。
ボクもさゆりさんの舌を逃すまい・・と、吸った。
10階に着いてエレベーターのドアが開くまで、ボクらはキスしたままだった。
エレベーターを下りて、さゆりさんはボクの手を引いて左右に別れた廊下を左に曲がった。
2人とも無言だった。
部屋は、廊下の突き当たりの右側だった。
さゆりさんがキーを差し込んでドアを開けた。
「どうぞ、ノブさん・・」
「うん」
部屋の中の照明は点いていたが、大きな窓越しに黄昏の街並が綺麗だった。
空は茜と群青が溶けあった様な色合いで、雲はまだ・・西の方に残照を残していた。
「綺麗だね」
ボクは思わず窓に張り付いてしまった。
「ね、さゆり・・・電気、消してみて?!」
「はい」
部屋の電気が消えると、窓の向こうが一層美しく見えた。
「わぁ・・ほんと、綺麗ですね」
「誰ぞ彼は・・の黄昏時か」
「ノブさん、古いコト知ってるんですね!」