ノブ ・・第3部
「・・・有難う、シン」
「さ、行こうか!」ボクを見上げて微笑んだリエ坊は、喫煙コーナーを出て行った。
ボクのTシャツの左肩がほんの少しだけ、濡れた。
リカバリ室のドアを開けて中に入ろうとしたリエ坊が、急に立ち止まった。
「どうしたの?」
「うん・・・」
リエ坊の肩越しにタカダのベッドに目をやると、ベッドを囲む様にキヨさんとタカダのご両親がベンチに座っていた。
振り返ったお父さんがリエ坊に気付き、こちらに来た。
「お見舞い、有難う。お陰で善明も随分と回復しているよ」
「はい、私達も先程・・・」
「何だ、そうだったのか」
すまんが・・と小声で促されて、お父さんが廊下に出てきてドアを閉めた。
「今、善明と清美さんと私らでちょっと混み入った話をしとるんでな、申し訳ないが今日の所はこれで・・・」
「はい、分かりました。私達は引き上げます」
「すまんね」
「あ、おじさん・・」ボクが会釈して失礼しようとした時、リエ坊が言った。
「なんだね?」
「あの・・・まだ勘当は解けないんですか?」
「勘当?」
「はい」
「そんなもん、説教のついでに言っただけだよ」
「善明はかなりのバカ者だが大事な息子だ」お父さんは笑って言った。
「ただ、清美さんとの事はキチンとせにゃいかんだろ・・」
「じゃ、失礼するよ」とリカバリ室に入っていった。
もう知ってるんだね、赤ちゃんの事・・・とリエ坊が呟いた。
「うん、そんな雰囲気だった」
「うまくいくといいね・・・」
「大丈夫じゃない?おじさん笑ってたし」
「うん、おじさんはいいんだけど、おばさんよ、問題は」
「そんなに、難しいの?」
「もうプライドの塊みたいな人だもん」
「そうなんだ」とボクは昨日の強烈な印象を思い出していた。
確かに眼光鋭い人だったもんな。
「帰ろうか・・・」
「うん」
ボクはエレベーターの下へのボタンを押した。
暫くしてチン!と音がして扉が開き、ボクらは乗り込んだ。
エレベーターの中は2人切りだったが、リエ坊もボクも無言だった。
一階に着いて、広い待ち合いロビーを抜けて玄関に出た。
建物の中から外に出ると、一瞬メマイがする程の眩しい光でボクはしかめっ面になった。
「眩しいの?」
「うん、クラっときそう」
「大丈夫?片目で」
「・・・平気」
「そう、ならいいけど・・・」リエ坊は続けて何かを言いたそうに俯いた。
「・・じゃ、オレ、行くね」
「うん」
「ねぇ、シン・・」
「なに?」
「ごめん、何でもない!」
じゃ、またね・・とリエ坊は軽く手を振り、夏の日射しの中を小走りで駅に向かって行った。
その背中は、瞬く間にアスファルトの陽炎の中に溶けていった。
送り火
ボクは重い足を引き摺りながら明大前の坂を下った。
道々、瞬く間に小さくなっていったリエ坊の後ろ姿を思いながら。
「これで、良かったんだよな・・」
ボクは自分に言い聞かせるように独りごちた。
2人の女性を傷付けてしまった事と、調子の良い自分への嫌悪でボクは今更ながらにさゆりさんに言われた言葉を噛みしめた。
本当にオトコって、どうしようもない生き物なんだ。
「はぁ・・・」
どんな顔して恭子に顛末を報告したらいいんだろう。
頭の中がグチャグチャのまま、ボクは三省堂の前の横断歩道に立った。
仕方ない、ここまできたら正直に話す他ないな・・とボクは半ば開き直って道路を渡り、恭子のマンションに着いた。
部屋のチャイムを押すと、ハーイ・・と声がしてドアが開いた。
「おかえり」
「ただ今・・」
恭子は目でボクを促し、ダイニングに行った。
ノロノロとスニーカーを脱いでボクも続いた。
「のど、渇いとらん?」
「うん、カラカラ」
はい・・と恭子はアイスコーヒーをテーブルに置いて、椅子に座った。
「どうやったと?先輩の具合は」
「うん、大分楽になったみたいで安心したよ」
「そう、良かったっちゃ・・」
恭子はそれだけ言うと俯いた。
きっと聞きたい事は別にあるんだろうが、恭子はそれきり黙ってしまった。
その姿はボクの心にキリキリと自責の念を湧き起こさせた。
「あのさ・・」ボクが口を開くのと同時に、恭子も顔を上げた。
「何て言いよった?あの女は」
「え?」
「アンタ、話してくれたっちゃろ?うちの事」
「あ、うん。ちゃんと話したよ」
分かった・・と恭子は立ち上がって冷蔵庫を開けて、缶ビールを取りだした。
「な、うち、飲んでも良か?」
「え?」
「何か飲みたい気分っちゃ・・」
そう言って恭子はプシュっとプルトップを引いた。
ゴクっと一口飲んで、ボクを見て言った。
「良かよ、もう」
「アンタがちゃんと話してくれたとやったら、もうそれで良かけ」
「良かって・・・恭子」
「あの女は何を言ったか、知りたかけど知りたくなかけん」
「・・いいの?それで」
恭子はもう一口飲んで、今度はニコっと微笑んで言った。
「アンタが戻ってくるまでな、散々考えとったと」
「2人で何を話してくるっちゃろ、アンタに言われてあの女は何て言うとやろ・・とかな」
「でも、もう良か」
「アンタが約束通り戻ってくれたけ、もう良かと」
「きっとな・・・」
「うん」
「アンタ達の細かい話聞いてしもたら、うちも余計な事考えてしまうかもしれんけね」
「余計な・・事?」
「うん、余計な事っちゃ」
「どんな事?」
「やけ、もう良かと。何もかんも」そう言って恭子はビールをボクに渡した。
ボクも一口、飲んだ。
渇いた喉に冷たいビールが転がり落ちて、その気持ち良さにボクは一気にゴクゴクと喉を鳴らして飲み干してしまった。
「あ、ごめん、飲んじゃった」
「大丈夫、まだあるけん」
恭子は笑いながらもうニ本、冷蔵庫から出してテーブルに置いた。
「はい、飲もう?」
「うん、でも・・」
「なん?」
「今日帰るんでしょ?いいの?飲んじゃって」
恭子は今度は大ぶりのグラスにビールを注ぎながら、言った。
「帰らん事にした」
「え?」
「うちに電話してな、勉強の分からん所を東京におる同級生に聞いてから明日帰るっち言うたと」
「それって平気なの?親父さんは」
「ま、勉強っち言うといたけ大丈夫やろ」
そう言って恭子も喉を鳴らせてビールを飲んだ。
「美味しかね、冷えとるっちゃ!」
凄いな、恭子さんは・・とボクはアングリと恭子を見つめて言った。
「すごかろ?女ってな、平気で嘘つけるっちゃ!」
恭子は微笑みながらボクの前にグラスを置いた。
「好きな男と一緒におられるんやったら」
「うち、親にも平気で嘘つけるばい」
そう言って恭子は、座ったままのボクを優しく抱きしめた。
「軽蔑せんでね?こんな女やけど」
「そんな、軽蔑なんて・・」
「アンタともうちょっとおりたかけん」
「恭子・・・」
「うちのこと、好いとる?」
「うん、好き」
「本当に?」
「ほんとうに・・」
「なら、もういいっちゃ」
屈んでしてくれた恭子のキスは、懐かしい味がした。
そして恭子は、ボクの頭を胸に抱いて言った。
「抱いてくれん?」
ボクは頷きながら恭子の腰を強く抱いた。



