ノブ ・・第3部
「ま、折れてるのは二本か、でも二本とも骨折部位は多分一か所だけだから心配ない」
「このまま暫くは我慢するんだな」
「・・そうなんですか」
「同じ肋骨が二か所で骨折すると、もっと厄介だぞ?」
「呼吸の度に胸がペコペコしてな・・そんな時はオペになる事もあるんだ」
「はぁ〜、二か所以上だと・・」
「そうだ、覚えとけ?!」
はい・・と頷いてシャツを戻そうとしたら「ちょっと待ってろ」と先生が言った。
「湿布位しといてやるよ、気休めにはなるだろうからな」
湿布を貼ってくれた後、先生が言った。
「もう消毒の要領は分かったろうから、後は自分でやっとけ」
「はい」
「消毒用のイソジンとガーゼは売店で売ってるから」
「で・・抜糸はそうだな、来週の水曜日にするか」
「はい・・」
「明日になったら眼帯は外していいよ、細いガーゼだけなら何とか見えるだろ?」
「はい、嬉しいです。遠近感が分からなくて不便で」
「バカ、自業自得だ!」
笑いながらだったが、この軽音の先輩はチクっと釘を刺す事も忘れていなかった。
有難うございました・・とボクは形成外科の外来を後にして8階の病棟に向かった。
タカダは思いの外、元気だった。
まだリカバリ室の同じベッドにいる事に変わりは無かったが、ボクがスライドドアを開けて恐る恐る中を覗くと、上半身を起こしていた。
そして入って来たボクを肩ごと捩じって見て、眼だけで微笑んだ。
「いいんですか?もう起き上って」
「・・・」コクっと頷いたタカダは、手元の白い板に何かを書き出した。
それは幼児が使うマグネットの筆記用具で、書いては消し・・が自在に出来る便利なモノだった。
さっき、チンチンが楽になった・・と、タカダはさらさらとその板に書いた。
「チンチン?」
オペの時に突っ込んだ管がようやく抜けたんだ・・と続けた。
「あ、ハルンの量を調べるための・・」
お?!っと言う顔でタカダが微笑んだ。
良く知ってるじゃん・・と。
「はい、看護婦さんに昨日聞いたんです」
シン、見られた面じゃないな・・とまた書いた。
「ええ、結構、やられちゃいましたね」
ボクは左目の眼帯を押さえて、苦笑いした。
「右の肋骨も二本折れてるみたいです」
おたがい、ざまぁ無いな・・とタカダが上半身を揺らして笑いながら書いた。
ボクも笑った。
「でも、元気そうで安心しましたよ」
サンキュー・・とタカダ。
明日には話せる様になるらしい・・とボクに白い板を見せながらタカダは気管切開のカニューレを触った。
「抜けるんですか?」
いや、話せるヤツに交換して、もう少し様子を見るんだと・・と。
「はぁ、話せるタイプもあるんですか?」
スピーチカニューレっていうヤツらしいな・・とタカダが書いた時、ゆっくりとドアが開いた。
入ってきたのはリエ坊だった。
「・・シン」
リエ坊はボクに一瞬済まなそうな顔をして、ベッドの横に立ってタカダに声をかけた。
「気分はどう?」
絶好調〜・・とタカダが書いた。
「良かった、安心したわ」
リエ坊が微笑んで、タカダも微笑んだ。
心配するな、この管と傷のドレーンが抜けて、抜糸したらもう退院だ・・と。
「そんなに早く?」
「顎の骨は?くっつくの?」
そっちはワイヤーで何か所も固定してあるらしい・・と続けた。
そして、完全に骨が着くまでは時間かかるけど生活は問題無いらしい・・とも。
「そうなんだ、じゃまた話せる様になるんだね?」
当たり前だろ、骨折しただけなんだから・・とタカダは笑いながら書きなぐった。
だからオレが復帰するまでの間、お前ら二人で詰めとけよ?決めた曲・・とタカダが書いたのを見た時、リエ坊の顔が曇った。
「あんた、出る積もりなの?後夜祭・・」
リエ坊のこの言葉にタカダはキョトンとして首を傾けた。
なんで?やらね〜のか?・・とタカダは書いた。
リエ坊はそれには答えずに、ボクを見て困った顔をした。
「シン・・」
「リエさん、ちょっといいですか?」ボクはリエ坊を部屋の外に出る様に促した。
「ちょっと出てきますね?また戻りますから」とボクはタカダに言い残して、リエ坊と部屋を出た。
喫煙コーナーには幸い誰もいなかった。
ボクは煙草に火を点けて、リエ坊に言った。
「彼女に・・・泣かれちゃった」
「シン、ごめんなさい、私・・」
「ううん、リエのせいじゃないよ、一番悪いのはオレだもん」
「そんな事無いよ、私が我が儘言っちゃったんだし・・手紙だって」
「仕方ないよ、もう」
「彼女、何て言ってた?」リエ坊が下を向いたまま言った。
「うん、バンドだけならいいって」
「え?」
「バンドは続けてもいいけど・・・」
「でもその代り、もう二度とあの子とするなって」
「・・シン」
ボクは、深く吸ったセブンスターを一気に吐き出して続けた。
「オレね、二人にひどい事しちゃったんだなって、思ってる」
「リエにも彼女にもさ」
「シン、それは違うよ、私があんなお願いしたから」
「ううん、いくらお願いされてもさ、付き合ってる人がいるんならきっぱり断るのが本当でしょ?」
「・・・」
オレ・・とボクは煙草を灰皿に押し付けて消した。
「黙ってれば、分からなければいいのかな?って思ったの、あの時」
「でもさ、言われたんだよ、彼女に」
「何て?」
「アンタ、あの人も好きなんやね?って・・・」
「・・・シン」
「否定出来なかったんだよ、オレ」
「顔に書いてあるって言われちゃった」
「ごめん、だからリエだけのせいじゃないんだ・・」
「オレ、リエの事も好きになってたから」
「二人とも好きなんて・・・やっぱダメだよね」
「シン・・私、どうしたらいいのかな」
リエ坊がボクを見つめた。
その目には今にも零れ落ちそうな位に、涙が溜まっていた。
そんなリエ坊を見つめながらボクは、昨日も大切な人を泣かせてしまったんだな・・と思った。
「リエさん・・・」ボクは呼び捨てをやめた。
「オレ、リエさんの事、好き。でも・・・」
「いいの、分かってるから」
リエ坊はボクの言葉を遮って、右手で涙を拭って無理やりに笑顔を作った。
「シンを困らせる様な事はしないって、私言ったでしょ?あの夜に」
「こういう事だったんだよね・・」
「私の我が儘が、シンも彼女さんも傷付けちゃったんだよね」
「だから・・シン、有難う」
「え?」
「さっき言ってくれたでしょ?好きだって」
「うん」
「きっと私、そう言って欲しかったの、シンに」
「でも、横入りは出来ない、いけない事なんだよね、やっぱりさ」
「リエさん・・・」
「夕べね、ず〜っと考えてた、ここ何日かの事」
「酔ってシンに迫って、恋人の気分味あわせて貰ってさ、家族に合わせちゃったり・・」
私ね・・とリエさんは俯き加減に言った。
「お母さんやマサルが誤解した時にね、チクっとしたの、ここが」と、自分の胸に手をあてた。
「でもさ、シンの事が好きになってたんだよね、もう完全に」
「だからあの夜、遅くに無理やり押しかけて、恋人・・たとえゴッコでもいいから続けたかったの」
「・・・・」
「まさか本物の恋人さんがいきなり帰ってくるなんて思いもしなかったから・・」