ノブ ・・第3部
恭子はそう言ってシャワーを止めて、自分が巻いていたバスタオルを外して風呂場の外に投げた。
「濡れるけね」
裸になった恭子は、スポンジに石鹸を付けてボクの背中を流してくれた。
「何人やったと?」
「え?」
「相手たい、何人にやられたとね」
「うん、四人かな」
「袋叩きっちゅう感じ?」
「うん、その通り・・」
はぁ・・とため息をつきながら恭子は続けた。
「アンタ、喧嘩は弱そうやけね」
「だってさ、頭来ちゃったから」
はい、こっち向いて!と恭子はボクの体を捻った。
「あ〜あ、こりゃ本当にヒビ入っとるね」と脇腹の色が変わってる部分を撫でた。
「いて!」
「しょんなかろ?やられてしもたんやけ」
「そりゃそうだけどさ・・」
泡だらけのスポンジで恭子はボクの胸、お腹、しゃがみ込んで足まで洗ってくれた。
最後にオチンチンも洗ってくれたが、いつもとは違って、クタ・・っとしたままだった。
「は〜、コイツも元気無かばい」しゃがみ込んだ恭子が上目遣いに言った。
「うん、ごめん」
さ、終わりやけ・・と言って恭子がシャワーで石鹸を流した。
「頭洗うけん、椅子に座り?!」
「うん」
ボクは大人しく椅子に座って頭を垂れた。
恭子はボクの頭にシャンプーを垂らして、ゴシゴシ洗ってくれた。
そして流した後、リンスも。
「有難う、サッパリしたよ」
「疲れたばい、二人分体洗って洗髪したんやけね」
「すまん・・」
「良か、うちが好きでしたっちゃけ」
「でも久しぶりっちゃ、アンタの体洗うの」
「うん、そうだね。有難う」
「・・良か」
恭子はバスタオルで左目の上だけは注意深く、他は大雑把に拭いた。
「はい、パンツとシャツはこれ」
「え?オレの?」
「当たり前っちゃ!他に男モノなんて持っとらんけね!」
「あ、あの時の・・」
そう、江の島から帰ってきて洗濯機の放りこんで洗っといてくれたボクの一式。
「良かったばいね、着替えがあって」
「はい、すんません」
ボクはトランクスを穿いて、Tシャツをやっとの思いで着た。
「腕、上げると痛いね」
「暫くは不自由な思いするっちゃろね、きっと」
「さ、ここ座り?」と恭子に促されてボクはキッチンの椅子に腰かけた。
恭子はベッドルームから大き目の救急箱を持って来て、左瞼の傷を手早く消毒してくれた。
そして新しい綺麗なガーゼをして眼帯を緩めにかけた。
「不便やろうな」
「うん、距離感が分からないんだよ」
「でも一時はこれで大人しくするしかないな、アンタも」
恭子はそんなボクを笑いながら見ていた。
「やっぱ、ざまあ見ろって事?」
「ううん、そんな事思っとらんよ?なして?」
「だって笑ってるじゃん」
「目の前におるアンタが本物やけ、嬉しいと」そう言って今度は、そっと抱きついてきた。
「これなら痛くなかろ?」
「うん、ギュっとしなければね」
ボクは丁度顎の下にある恭子の頭に、キスをした。
「さ、サッパリしたところで、今夜は休むっちゃ」
「恭子・・いいの?飲まないで」
「うん、うちも疲れたばい」
今夜はこのまま大人しく寝るけんと言って、ベッドルームに行った。
「オレ、一服してからでいい?」
「良かよ」
ボクはセーラムに火を点けて、深くメンソールを吸った。
ハッカの香りが、爽やかで気持ち良かった。
ボクが煙草を消してベッドルームに行くと「電気、消してな?!」と恭子はタオルケットに潜ったまま言った。
壁のスイッチを押すと、部屋は真っ暗になった。
ボクは暗い中、大きなベッドの端からソロソロと上がった。
そして、恭子とは距離を置いて反対側を向いた。
「ね、聞いても良か?」
「なに?」
「うちとさっきの子・・先輩な」
「うん」
「・・やっぱ良か!」恭子が寝返ったのが分かった。
「恭子?」
「なん?」くぐもった声だった。
「怒ってないの?」
「しょんなかばい、怒ったところでアンタが他の女を抱いたっちゅう事実は消えんもん」
「消えん事実にいつまでもムカムカしちょったら、馬鹿ばかしいけね!」
「・・恭子」
「もう良かけ、寝り?」
「うちも寝るばい」
「うん・・」
ボクは仰向けになって目を閉じた。
でも体中のあちこちがズキズキして、とても寝られそうにはなかった。
「はぁ〜」暫く目を閉じて眠ろうと頑張ったが、一向に眠気は襲って来なかった。
「・・眠れんと?」
恭子が小さな声で聞いた。
「うん、目が冴えちゃった」
「うちもや」
恭子がゆっくりとボクの隣に来た。
「ね、今でもうちの事・・好いとる?」
「うん、好き」
「うちもアンタの事、好いとって良かと?」
「恭子・・」ボクは一瞬、体が痛いのも忘れて恭子をギュっと抱きしめた。
好きでいて欲しい・・と言いながら。
恭子は顔をボクの胸に押し付けた。そしてボクの胸が少し、濡れた。
「一時・・こうしとって」
そう呟いた恭子の頭は、小さく震えていた。
「・・ごめん」ボクはそれしか言えずに、恭子の髪を撫でた。
「アンタは・・・」
「なに?」
「ううん、良か」
「なんだよ」
良かと・・と呟いた恭子はもう、泣いてはいなかった。
「おやすみ」
「うん、お休み・・」恭子はボクの胸から離れて仰向けになった。
ボクも仰向けになって暗い天井を見上げた。
そのうちに小さな寝息が規則正しく聞こえてきた。
その軽く口を開けた無防備な恭子の寝顔は、ボクに楽しかった京都を思い出させた。
「・・ゴメンな」
恭子に言ってボクも目を閉じた。
「いてて・・」翌朝、ボクは寝返りをうった際の痛みで目が覚めた。
隣は既に空っぽになっていて、キッチンからは恭子の鼻歌が聞こえた。
ボクは痛みを堪えてベッドを抜けだした。
「起きたと?」
「うん、お早う」
「どうね、痛みは」
「さっき寝返った時の痛みで起きちゃったよ」
「顔洗ってき」
「うん・・」ボクは洗面所で苦労して歯を磨き顔を洗った。
右手を動かすだけで、脇腹には強烈な痛みが走った。
「参ったな・・」正直、ここまで痛くなるとは思っていなかったからね。
「朝ごはん食べられそうね?」
「うん、大丈夫・・でも、痛いよ」
見ればテーブルの上にはご飯とみそ汁、卵焼きとお漬物が並んでいた。
「凄いね、これ。恭子が作ったの?」
「当たり前ちゃ!他に誰がおるん」
そりゃそうだけど・・とボクはテーブルに着いた。
「はい・・」と恭子は湯のみを差し出した。
一口飲むと、それは冷たいほうじ茶だった。
「おいしい」
「そうやろ?おばちゃんとこで飲んだお茶が美味しかったけね、さっきスーパーで買うて来たっちゃ」
「ほうじ茶でしょ?」
「うん、やけど関西ではお番茶って言うんて」
お番茶か・・ボクもおばちゃんを思い出して思わず微笑んだ。
「やっと笑ったっちゃ」
「え?」
「アンタ、昨日からず〜っと不景気な顔しとったけね」
「そりゃ・・ね」
今も見られた顔やないけどな・・と恭子は笑いながら味噌汁に手を付けた。
ボクも箸を取った。
「・・頂きます」
「はい、どうぞ」
恭子お手製の卵焼きは、ほんのり甘くて美味しかった。
味噌汁も白味噌を使ってて、具はネギと豆腐。
ボクが無言でパクついてると、恭子がしげしげとボクを見て言った。
「はぁ〜、ほんとなんやね」