ノブ ・・第3部
私はアナタの彼女でいたいと心底思いました。アナタを救ってあげられる、そんな思い上がりはもうありませんがアナタと共に歩いていきたい、それをアナタも喜んでくれたらいいなと。
でも、自分がいかにおめでたい自惚れ屋か、久しぶりに訪れたアナタの部屋を見渡して分かりました。
可愛いエプロンにおシャレな食器、テーブルクロス、冷蔵庫の中の食品。きっとあの彼女がアナタのために揃えてくれたものなのでしょう。
初めは部屋でアナタの帰りを待つ積もりでした。でもそんな部屋にいる自分が段々とみじめで情けなく思えてきて、マンションに帰りました。きっとアナタは彼女にシャツを渡されてもう少ししたら自分の部屋に帰って来るのでしょう。そして張り紙を見て私の部屋に来るでしょうね。
会って顔を見てしまったら、きっと言いたい事も聞きたい事も言えなくなってしまいそうな気がして、手紙にしました。
今夜は久しぶりに2人で過ごしたいと思っていましたが、帰る事にします。アナタの事は好きです、しかしもう分からなくなってきています。
思い出を大切にしていたアナタを私が裏切らせた(ケイコさんに対して)からでしょうか、アナタを自分の思い通りに強引に引きずった罰なんでしょうか。
私は慌て過ぎたのでしょうか、教えて下さい。私はアナタを好きでいていいのでしょうか、もうご迷惑なのではないですか?それならはっきりとそう言って頂ければ助かります。
アナタの本当の気持ちはどこにあるのでしょう。ケイコさんですか、それとも彼女ですか、私ですか?
こんな言い方は矛盾していますが私はまだアナタを好きです。でももう二度と今日みたいな思いはしたくないのです。
帰って少し頭を冷して、またお手紙します。アナタの正直な気持ちを聞かせてくれたら嬉しいです。 恭子」
アナタになっちゃった・・ボクは便箋をテーブルに置いて、煙草に火を点けた。
腕を組んで天井を見上げたら、左の頬がズキズキと痛みだした。
「これも、罰なのかな・・・・」ボクの独り言に蛍光灯がチカっと瞬いた気がしたのは、気のせいだったのだろうか。
ふと時計を見ると7時半を回っていたから、恐らく新幹線も飛行機も、もう無いだろう。
寝台車と言っても、京都に行った銀河は確か11時過ぎの発車だった。
しかし銀河は大阪止まりだから、恭子が今日中に九州に帰る事は無理なんじゃないか?と思ったらボクは急にそわそわしてしまった。
「どうするんだよ、恭子」
今更ながらにボクは、自分の間抜けさに腹が立った。
さっき、無理やりにでも引き留めて話をすべきじゃなかったのか?恋人をたった一人放りだして自分だけ涼しい部屋にいるなんて・・。
「どうしたらいいんだよ・・」
そう思いながらもボクは、段々痛みが増してきた頬を取り敢えず冷そうと冷蔵庫から氷を出した。
氷嚢なんて洒落たものは無かったから、適当なビニール袋に氷を入れて水を足した。
それを押し付けていると、少しは痛みも楽になった。
暫くはそうしていたが、次第に居ても立ってもいられなくなってきてボクは東京駅に向かうことにした。
明大前の坂を上りながらボクは考えていた。
もしかしたら、いや・・きっと会えない確立の方が何倍も高いだろう、それを承知で何で行くんだ?東京駅まで。
行く事はただの自己満足なんじゃないか?ここまでやった・・と自分を納得させたいがための。
「いや、違う!」
謝りたい、と思った。しかし同時に少しだけいい訳したい気持ちも捨てきれなかった。
何て言ったらいいんだ?どう言ったら分かってくれるんだろう・・。
いや、分かってなんて貰えないだろうな、きっと。
でも話さなきゃ。
左目に大きな眼帯をして頬を腫らせた男に、オレンジ色の中央線の乗客は無遠慮な視線を寄こした。
「頼むからそんなに見ないでよ・・」
ボクは外を向いた。ドアのガラスには顔の左半分を腫らした情けない男が、片目でうらめしそうにこっちを見ていた。
「はぁ〜」ため息しか出てこない。
神田を過ぎて、東京駅に到着した。
ボクは急いで新幹線の時刻表を見た。博多行きのひかり号は夕方には最終が出てしまっていて、恭子が間に合わなかった事は明白だった。
次に寝台車の時刻を調べた。
九州行きの寝台特急は、長崎行きのさくらが16時30分発、西鹿児島行きの富士が18時発、博多行きのあさかぜが18時25分発でいずれも東京駅を発車してしまっていた。
「羽田か・・」ボクは東京駅のホームを結ぶ地下通路に下りて公衆電話を探した。
と言うのも途中から体のあちこちがズキズキと痛みだして、正直・・歩くのも少し難儀になってきていたのだ。
地下通路の隅に公衆電話を見つけたボクは、電話の台の下からぶ厚い電話帳を取り出して羽田空港の案内番号を探した。
そして日航、全日空、東亜国内航空のそれぞれの案内係に電話をかけて、博多行きの便を聞いた。
時刻はそろそろ8時半近かった。
9時台の博多行きは全日空の便しかなくて、その便は既にもう満席でスカイメイトは利用出来ない・・との事だった。
「恭子、どうするんだよ・・お前」
受話器を置いてボクは、通路に座り込んだ。
頬はズキズキと痛み、ひびが入っているかもしれない脇腹まで痛みだしてボクは壁に凭れて目を閉じた。
「帰ろう・・」独りごちてボクは立ち上がり、中央線に乗ってアパートに帰った。
会えなかった事よりも今夜の恭子の行き先の方が心に重くのしかかっていて、大きなボストンバッグを抱えて失意のままうろつく恭子を想像すると、ボクは言いようの無い気持ちでいっぱいになった。
ボクは、自分のアパートには帰らず恭子の部屋の前で待つ事にした。
多分恭子は、ここに帰って来るだろうと決めて。
壁に凭れて、ボクは部屋のドアの横に膝を抱えて座った。
体中が痛かったが、取り敢えず待つと決めてボクは目を瞑った。
ちゃんと話さなきゃ・・と思いながら、次第に閉じた目の奥がチカチカして耳鳴りがし出して、嫌な冷や汗が噴き出した。
「また、耳鳴りだ・・・・」
耳鳴りと一緒に遠くから蝉の声まで響きだして、ボクは冷や汗を拭うのも忘れて一層目を強く閉じた。
廊下はまだ、日中の熱気が抜けていなくて暑かった。
膝を抱えたままボクは、耳鳴りを聞きながら頬と脇腹の痛みに耐えていた。
「ちきしょ、段々痛くなってきちゃった・・」
暑さによるものなのか痛みによるものなのか、足の間のコンクリートには滴る汗の小さな染みが出来た。
その時、エレベーターがチン・・と開いて、足音が廊下に響いた。
顔を上げたボクの視界の隅に、ボストンを下げた小柄な女の子が映った。
「・・恭子」
恭子はボクに気付くと一旦立ち止まった。
そして、また歩き出してボクの前に立った。
「なんしよると?」
「うん、待ってたんだ」
「なして?」
話たくてさ・・と言いかけたボクの言葉を遮り恭子が言った。
「入り、真っ青やけ、アンタの顔」
そう言いながら恭子は鍵を開けた。
「うん」立ち上がろうとしたボクは、一瞬目の前が暗くなって星がチカチカ見えた気がした。
「あ・・」
腰が砕けて座り込みかけたボクを、恭子が支えてくれた。
「大丈夫?!」
「ゴメン」



