ノブ ・・第3部
「・はい、ありますけど・・」
「その時、注射したか?麻酔の」
「多分、しました」
情けね〜な、最近の一年坊は・・とブツブツ言いながら、医者は看護婦から受け取った注射器に薬品を吸った。
「局所麻酔するぞ、いいか?」
「・・はい」
「先に麻酔しとかねぇとな、痛くて消毒出来ないだよ、こんな傷は」
「はあ・・・」
でも、麻酔注射の前のアルコール消毒で・・・十分過ぎる位に沁みて痛かった。
「い、痛いっすね・・」
「当たり前だ、パックリ割れてんだからな、全く!」
そして続いて打たれた局所麻酔の注射も・・・痛かった。
「・・・痛い・・んですね、ほんと」
「待ってろ、じきに感じなくなるから!」
そう言いながら医者は、蓋をひっくり返した裏に、カチャカチャと色んな器械を並べた。
「さ、もういいだろ・・」
「おい、ギュっと目を閉じとけ?!」
「間違っても・・開けるんじゃね〜ぞ!」
「え、目に入ったらヤバいんすか?」
「・・黙って言われた通りにしろ・・一年坊!」
はい・・・ボクは観念してギュっと目を閉じた。
どうなっちゃうんだろ、オレ・・あ、そうだタカダは?入院したって?
そんなに酷くやられたのか・・?
「・・ちきしょ〜、あいつ等・・」
「おい、少し黙ってろ!」
はい・・とボクは呟いて黙った。
そして、左目の周りの感覚が無くなった事に気付いた。
「・・イソジン」
「はい」
顔の左半分が冷たくなった。
液体が頬を流れて行くのが分かったから、きっと・・・消毒しているんだろう。
「どうだ?痛みは・・」
「はい、いたくないっす」
「よし!」
「・・ちょっと、我慢しろよ?」
「・・へ?」
次の瞬間、ボクはピリっときた痛みに思わず顔をしかめてしまった。
「痛いか?」
「・・はい、ちょっと」
「我慢しろ?今、傷の中を消毒してるからな。」
先生、奥に見えてるのは骨膜ですか・・?リエ坊が医者に聞いた。
「そうだ、眼窩上縁のな・・」
「骨は・・?」
「大丈夫だろ、この程度なら」
良かった・・とリエ坊の安堵した声に、ボクもホっとした。
「さて、ナートするから・・おい、そのしかめっ面やめろ」
「・・え?」
「目を閉じるのはそのままでいいけど、もっと軽くでいいぞ?!」
「・・はい、こんな感じですか?」
「うん、まあ・・いいな」
「マクソン・・出してくれ」
「はい」
カチャっと音がして、次にまた、ピリっと痛みが走った。
どうやら・・縫合が始まったみたいだった。
何回かチクチクした痛みを覚えたが、さほどでもなかったから・・麻酔は効いていたんだろう。
段々と余裕が出て来たボクは、右目をそっと開けてみた。
「こら・・目は閉じてろ!」
「・・はい」
一瞬ではあったが、視界の隅にリエ坊の心配そうな顔が見えて、ボクは目を閉じたまま言った。
「リエ?」
「・・なに?痛いの?シン」
「ううん、オレはいいからさ、タカダさんのトコ・・行ってきてくれないか?」
「・・そうね、いいけどシン、1人で平気?」
「バカ言ってんじゃないよ、大学生だろ?お前ら。これ位の傷で・・」医者が呟いた。
そして続けた。
「8階の形成外科の病棟だ、心配だったら行ってこい」
「・・はい、じゃ先生、シンの事よろしくお願いします」
「だから、コイツの方はよろしくお願いされる程の傷じゃね〜って!」
もうすぐ終わるから、そしたらコイツも上に行かせるよ・・・と。
「じゃ、シン・・私先に行ってるね?!」
「うん、お願い」
リエ坊がドアを開けて出て行く気配がした。
「・・そんなに酷かったんですか?タカダさんは」
「多分、顎の骨折ってるな・・分かるか?下顎骨だ・・」
「あご?そんなにやられちゃったんですかね」
「いや、運ばれた時は何も話せない状態だったからな、何とも言えんよ」
「ちきしょ〜、アイツら・・」
「・・よし、じゃ6−0ナイロン出して」
「はい」
「コイツは上皮を縫合する糸だから、一週間したら抜糸するぞ!」
「・・はい、一週間ですね・・」
「あ、先生・・・」
「なんだ?」
「運ばれた・・って、誰が運んできたんですか?」
「多分、やったヤツ等だろうな、オロオロしてたから・・」
「じゃ、キャバーンだ」
そいつらも軽音なんですよ・・とボクは呟いた。
「全く・・・どいつもこいつも!」
「ま、オレがいた昔から軽音楽やってた連中は、どっかネジが一本二本抜けてるのが多かったからな・・」
オレ達の頃はな・・と医者は続けた。
「軽音は留年生が多くてな、楽器なんて何にも出来ないのに留年して肩身が狭い思いしたヤツ等が、ここなら仲間が多いってんで・・」
「何するでもなく溜まり場になってたんだよ、部室がな」
「・・そうなんですか・・」
「ちなみにオレもその1人だ」
「え、先生もダブったんですか?」
「おう、自慢じゃないが二年、親不孝しちまったな」
「先生、何下らないこと自慢してるんですか!手が止まってますよ?!」
「わりい・・」
ベテランらしい看護婦の一言で、医者は苦笑いしながらボクの傷の縫合を始めた。
またちょっとだけチクチクしたが、縫合はさっきよりは早く終わった。
「・・じゃ、ゲンタシン軟膏くれ!」
「はい」
「取り敢えず軽くガーゼを当てて大き目の眼帯しとくから、明日また包交に来い」
「え、ホウコウって・・?」
「包帯交換の事だ、知っとけ、医学生なら・・それ位」
「・・はい」
そうか、包帯交換の事をホウコウって言うんだ・・字は包帯の包に交換の交だな、きっと・・・。
「よし、起きろ!」
「はい・・」ボクは目を開けて起き上った。
「暫くは片目だから、気をつけろ?」
「・・はい」
看護婦が冷たいガーゼで目の下と頬、首を拭いてくれた。
「ひゃ、冷たいっすね!」
「アルコールだから・・・水じゃイソジンは落ちにくいのよ」
「・・そうなんだ」
独眼竜正宗よろしく大き目の眼帯をしたボクは、先輩の医者と看護婦にお礼を言った。
「他に痛むとこは?」
「あ、さっき笑ったら・・ココが痛かったんすけど」ボクは右のお乳の下を押さえた。
「・・肋骨だな、深呼吸出来るか?」
「はい」
ボクは何度か深呼吸したが、痛みはそれほどではなかった。
「じゃ、ヒビ位だな・・・大丈夫だよ、放っといて」
「折れて肺に刺さってたら、痛くて深呼吸なんか出来ないからな」
「そうなんだ」
ボクは右胸を触りながら、何度かまた、深呼吸した。
「うん、大丈夫そうです」
「よし、いいだろ。お前も心配だろうから行ってこい!8階だぞ?間違えるなよ?」
「はい、有難うございます・・あ、お会計は?」
「ばか、学生が気にするな、そんなもん」
「でも・・」
「じゃ、抜糸が終わったら飲みに行くから付き合え!それでチャラだ。」
「大変ね〜、先生に付きあったら間違いなく午前様よ?!」
ホホホ・・と笑いながら看護婦は後片付けをしだした。
「色々と有難うございました、じゃ、また明日来ます」
「おう、来たら外来の受付でオレを呼べ。」
「はい、先生のお名前は?」
「形成外科の原田だ、お前は・・小川だな?」
「はい、小川です」