ノブ ・・第3部
「もう、バカ!スネアなんて・・壊れたって直せるでしょ?シンが怪我しちゃったら、私・・・」
怖かったんだから!と、リエ坊はボクにしがみついて震えながら泣きだした。
「リエ」
「シンのバカ、何であんな無茶するのよ〜!」一頻り、リエ坊は泣いた。
今度は逆に、ボクがリエ坊を慰める番だった。
「大丈夫だよ、ほら・・ピンピンしてるんだからさ!」
「でも、リエ・・凄かったな、重いベース振り回して助けてくれたんだもんな、ありがと!」
「シン、私・・・」
「シンに何かあったらって私、勝手に体が動いちゃった・・」
「うん、有難う、リエ・・」ボクはリエ坊を抱きしめて、頭を撫でた。
リエ坊の髪の匂いが場違いに甘くて、ボクは声を出さずに笑った。
「さ、行こう?」
「へ?行くって、どこへ?」
「決まってるでしょ?救急外来よ!」
リエ坊はそう言うと、ボクの手を引いて立ち上がった。
「シン、しっかりハンカチ当てといてね?瞼に・・」
「うん、でも」
「なに?」
「診てくれるの?こんな傷でも」
そういう傷は、ちゃんと消毒して縫合しなければいけないんだ・・・とリエ坊は言いながらもう、部室のドアを開けていた。
「ごめん、リエ・・」
「なに?」
「一服させて?」
「え?煙草なんて・・どうして?」
「うん、ちょっと・・落ち着きたいんだ。」
仕方ないな・・とそれでもリエ坊は戻ってきて、ボクの前に座ってくれた。
「痛む?」
「ううん、痛みはそうでもないよ、でも・・」
「でも?」
「ごめんね、練習時間減っちゃって・・・」
「バカ、それどころじゃないでしょ、今は!」
だってさ、2人の足手まといにはなりたくないから・・とボクは続けた。
「いいわよ、今日くらいは」リエ坊は微笑みながら言った。
「でもビックリしたわ・・・」
「え、何が?」
「まさか、シンが飛びかかっていくとは思わなかったもん、私」
「そう?」
「うん、そんなタイプには見えなかったな、シンは・・」
それって、ガッカリって事・・?とボクは聞いた。
「ううん、逆よ。無茶だったけど・・男なんだなってね」
そう言ってリエ坊は、ボクの頬にキスしてくれた。
「そろそろ・・行こう?!」
「う、うん」
ボクは、左手でハンカチを傷に当てたままリエ坊の後について行った。
途中の階段で危うく、一段飛ばして転げそうになったが・・・。
「大丈夫?フラフラするの?」
「ううん、片目だからさ・・遠近感がね」
「そうか、そうだよね・・・ゴメンね?!」
リエ坊がボクの手を引いて歩きだした。
「いいよ、リエ・・恥ずかしいじゃん」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ?」
「躓いて転んで、傷増やしてもいいの?」
はい・・とボクは大人しくリエ坊に手を引かれて、大学病院一階の救急外来に行った。
問診表に記入して、待合室のビニールの椅子に腰かけて待った。
そうして改めて待合室を見渡してみると、一見してかなり重傷なんじゃないか?って感じで苦しそうに蹲る患者さんや家族に励まされながらお腹を抱えている患者さん・・明らかに周りはボクより緊急性の高い患者さんばかりに思えて、何だか申し訳ない気分になってしまった。
「ねぇリエ、いいのかな・・オレここに座ってて」
「何で?」
「だって・・みんなオレより具合悪そうな人ばっかだよ?!」
「大丈夫よ、それぞれの科の先生が診てくれるんだから・・シンが心配する事は無いわよ」
「そうか、ならいいけど」
そうなんだな、考えてみれば外科の患者は外科の医者、内科の患者は内科医が診る訳だからボクの心配は的外れだった。
「それに・・」
「それに?何?」
「シンだって傍目には立派な救急患者よ、血に染まった真っ赤なハンカチで顔の左半分隠してるんだからさ」
リエ坊は小声で言った。
「そうか、立派な患者か」ボクは、可笑しくなって笑った。
途端にズキっとした痛みを右の胸に感じて、思わず蹲った。
「・・どうしたの?痛むの?」
「うん、笑ったらズキっときた、なんだろ・・」
「肋骨かもね、そこだったら」
「肋骨〜?折れた・・って事?」
「かもよ?レントゲン撮らないと分かんないけどね」
おいおい・・なんだか大事になってきたぞ?と思ったら、痛みが何割か増した様だった。
「オガワさ〜ん、3番の診察室にお入り下さい!」
「は、はい・・」
ボクらは揃って、3の扉を開けて入った。
「何だ、ケンカか?!」
無精ひげを生やした医者が、ボクを見ずに問診表を見ながら言った。
「全く、バカもんが!さっさと座れ!」
「はい・・」
初めてボクの方に顔を向けた医者は、厳つい熊みたいな顔でボクを睨みつけた。
「お前、うちの一年坊だってな」
「はい」
「クラブは?」
「は?!」
「だから、何部だ?って聞いてんだよ」
「あ、はい・・軽音楽です」
「なに?軽音だと〜?全く!」そう言い捨てた医者は、カルテに何かを記入しながらため息をついた。
「あの・・」
「何だ?」
「軽音だと、何かマズいっすか?」
医者がまた、ボクを睨みつけた。
「オレのな・・」
「・・はい」
「オレの後輩はバカばっかりだ!って情け無くてな」
「え、じゃ・・先生は先輩なんすか?」
「おう、オレは軽音のOBだ・・全く!」
どうやらこの先生は、全く・・が好きらしい。
「でも・・いいすか?」
「なんだ?」
「バカは分かるんですけど・・ばっかりって事は、他にも?」
「・・高田ってヤツ、知ってるか?」
「はい、同じバンドの先輩ですけど・・」
その熊みたいな医者がちょっと険しい目でボクらを見て、言った。
「お前が来るほんの少し前に来てな、さっき・・・入院させたとこだ」
「・・え〜?!ホントですか?」
「でも、何で?」
リエ坊も思わず乗りだしてきた。
「同じだよ、お前と」
「ケンカで袋叩きにあったらしい」
「・・袋叩きって、誰にですか?」リエ坊が抑えた硬い声で聞いた。
「詳しくは聞いてない、なにせ喋れないからな、高田の方は・・」
喋れないって・・そんなに酷くやられたのか?タカダは。
誰に?キャバーンのヤツ等なのか?そうなのか?
ボクは、自分でも頭に血が昇って顔が熱くなるのが分かった。
「ちきしょ〜、あいつ等・・」
「ほら、見せてみろ」
「え?あ・・はい・・」
ボクは血でぐっしょりと重くなったハンカチを外した。
「あ〜あ、全く・・」
「ここに横になれ!」
診察台に横になったボクの左眉の傷を見て、医者は傍に立っていた看護婦に言った。
「・・イソジン瓶ごととナートセット、あと4−0のマクソンと6−0のナイロン・・針付き、持って来てくれ!」
「はい」
看護婦は一度奥に引っ込み、暫くして紙の包みと小さな袋を持って来た。
そしてそれらを受け取った医者が、ボクの頭の横で包みを開いた。
開いた包みの上に、看護婦が手袋を袋から出して落とした。
紙の包みの中には金属製の四角い箱が入っていて、蓋を開けると・・・色んな医療器械が入っていた。
医者は手袋をはめてボクに言った。
「お前、薬のアレルギーは?」
「いや・・分かんないっす」
「・・全く!じゃ、歯医者で歯を抜いた事はあるか?」