ノブ ・・第3部
「それに、ちっともおかしい事じゃないよ、感じるのって・・」
「じゃ、私が・・・変なんじゃないのね?」
「うん、変なんかじゃないよ」
「良かった・・」リエ坊が安心した顔で、目を閉じた。
「お母さんも、本当に好きだったのかな・・」
「え?」
「さっきね、してる最中に思い出しちゃったの、お母さんのコト」
「リエさん・・・」
「あ、平気よ?もう・・」
「でもさ、やっぱり似てるのかな・・・とか思っちゃって、だから聞いたの」
「似ててもいいんじゃない?」ボクはリエさんを抱きしめて言った。
「あんな素敵なお母さん、滅多にいないよ?!」
「シン」
「リエさん、可愛かったし素敵だった・・最高に感じちゃったもん」
「セックスで感じるのはさ、いやらしいんじゃなくて・・好きな人とだったら、当たり前なんじゃない?」
「そうなのかな・・・そうだよね、好きだから感じるし嬉しいんだよね・・・」
「うん、そう思うよ、オレは」
そうだよね、有難う、シン・・・リエ坊が呟いて、ボクの胸で丸くなった。
そして程なくリエ坊の規則正しい寝息が聞えてきて、ボクはリエ坊にタオルケットをかけてソロソロと起きだしてキッチンに行った。
窓越しのグレーの薄明かりの中で、ボクは煙草に火を点けた。
オレンジ色の煙草の先からは、白い煙がフワフワと天井目指して昇っていった。
そして天井にぶつかって行き場を失った煙は、ただ・・漂うしか出来なかった。
そしてボクも、ただそれを見つめるだけだった。
フィルターぎりぎりのセブンスターを灰皿に押し付けて、ボクは寝室に戻った。
リエ坊は体を丸めて、スヤスヤと健康な寝息をたてていた。
ボクは注意深くリエ坊を起こさぬ様にタオルケットに潜り込み、横向きのリエ坊の隣に仰向けになった。
そして天井を見つめながら、昨日からの出来事を思い返していた。
あんな風に言われて、どうしたら良かったんだろう・・本当にこれで良かったのか・・・。
さゆりさんのコト、リエ坊のコト・・・恭子には何て言えばいいんだ?
いや、いい訳なんて・・どう頑張ってみても出来はしなかった。
「言える訳ないよな」
薄暗い天井を見つめながら、ボクはため息をついた。
堂々巡りの頭を抱えて、ボクは目を閉じた。
そして、クーラーの音に耳を澄ませて・・・寝た。
「・・・て?」
「シン、そろそろ起きて・・」
「うん・・?」ボクは、リエ坊に揺り動かされて目を覚ました。
「・・あ、お早う」
「おはよ!朝ごはん・・出来てるよ!」
ボクは眠い目を擦りながら、リエ坊の姿に驚いた。
「どうしたの、それ」
リエ坊は、可愛いエプロンをしていた。その白いフリル付きのエプロンは、昨日お母さんがしてたヤツじゃなかったか?
ボクがそれを言うと「うん、これも借りて来ちゃった」
舌をチロっと出して微笑むリエ坊は、いつものリエ坊と全く違う雰囲気で・・・ボクは慌てた。
「リエさん、変わるんだね・・感じがさ」
「へへ、どう?変かな?」
ううん、いいよ、可愛い・・とボクは言いながら起きだして、洗面所に行った。
歯を磨きながらボクは、考えていた。
あのリエ坊は一体、いくつ顔を持っているんだろう・・・そうなんだよな、知らない事ばっかなんだな。
ガラガラ・・とうがいを済ませてサッパリした途端、グ〜っとお腹が鳴った。
見ればボクの貧相なテーブルにはテーブルクロスが敷かれていて、朝食の準備がすっかり整っていた。
「ありゃま、何か、豪華な食卓だね・・・」
「ごめん、やり過ぎた?」
「ううん、ビックリしただけ」
テーブルの真ん中にはレースのクロス、上には洒落たパン籠・・中には切ったフランスパンが山盛り。
そして白いお皿にはオムレツと焙ったカリカリのベーコンとサラダ、そしてスープ皿にはあの、ビシソワース・・・。
「シン・・」
「なに?」
「コーヒー、お願いしてもいい?」
「いいよ」ボクはアイスコーヒーを淹れようと立ち上がった。
その時リエ坊が冷蔵庫から袋を出して、ボクに持たせた。
「これも、持ってきちゃった・・・」
「うん?これは?」
「昨日、シンが飲んで美味しいって言ったから」
「あ、マンデリン?」
「うん、ダメ?」
「ダメなんて、そんな・・・有難う・・」
ボクはちょっと複雑な想いでコーヒーを淹れた。
立ち上る香りは、やはり恵子を思い出させた。
「恵子さん・・だっけ?好きだったんでしょ?この豆・・」
「うん、好きだった」
「シン・・・怒ってる?」
「ううん、怒ってないよ、懐かしいなって」
それにオレ、外でコーヒー飲む時はこれなんだよ・・・とボクは微笑んで見せた。
「良かった」
「・・有難う」
そうなんだ・・リエ坊はボクの喜ぶ顔が見たくて、テーブルクロスに食べ物、お皿までふうふう言いながら持って来てくれたんだ。
ムクムクと膨らむ豆を見ながら、ボクは自然に微笑んでいた。
コーヒーをグラスに入れて、テーブルに置いた。
「さ、頂きましょ?」
「うん、頂きま〜す」
スープ、サラダ、オムレツ・・・どれも美味しかった。
「・・リエさん、凄いね!オムレツなんて久しぶりに食べたよ!」
「すごく美味しい!」
「・・良かった。実は私も久しぶりなの、作ったの」
「へ〜、大したもんだよ」
ふふ・・とリエ坊は笑いながら食べた。
ボクもパンを片手に持ったまま、スープとお皿を行ったり来たり・・。
パン籠の中が空っぽになって、リエ坊が言った。
「どうする?もう少し・・パン切ろうか?」
「ううん、いいよ、もう」
「オムレツもベーコンも無くなっちゃったからね」
じゃ、はい・・・とリエ坊は自分の残ったオムレツとベーコンをボクの皿に移してくれた。
「あ、いいよ・・・リエさん」
「自分のなくなっちゃうじゃん!」
「うん、私、朝はあんまり食べないから・・シン、食べて?」
今、パン切ってくるからね・・・とリエ坊は立ち上がって、俎板でパンを切ってくれた。
「はい、お待たせ」
「いいの?」
「うん、食べて?!」
結局ボクは、遠慮なく食べてしまった。
先に食べ終わった・・と言うか、食べるモノが無くなったリエ坊は、そんなボクをニコニコと眺めていた。
「・・今、何時?」ふとボクは聞いた。
「いま?12時半。」
「え〜、お昼じゃん、もう!」
「うん、お昼に朝ごはん食べたんだよね、私達」リエ坊が笑いながら言った。
「リエさんは何時に起きたの?」
「私は・・・9時位だったかな・・」
「そうだったんだ、起こしてくれれば良かったのに」
「だって、すんごい幸せそうな顔して寝てるんだもん・・起こせないよ、可哀想でさ」
幸せそうって・・・どんな顔?とボクが聞くと、リエ坊は「・・こ〜んな顔」とポカンと口を開けて目を閉じてみせた。
「なんか・・・間抜けな顔だな」
「あはは、だって本当なんだもん、可愛かったよ・・寝顔」
リエ坊はテーブルに両肘で頬杖をついて、ボクを見た。
「あ〜あ、恥ずかしいとこ見られちゃったな」
ボクはそんなリエ坊の視線が眩しくて、コーヒーを飲んだ。
「シン、あのね・・」
「うん、何?」
「・・いいや、何でもない!」
「なんだよ・・」