ノブ ・・第3部
「お母さんね、あれからワインで酔っちゃってさ、今リビングのソファーで寝てるの」
「風邪引かない様に、一枚毛布はかけといたから・・大丈夫でしょ!」
そうか、夏だしな・・とボクはトンチンカンな事を考えた。
「分かった、待ってるよ」
「駅まで迎えに行こうか?大体の時間が分かれば・・」
「ううん、いい。シン、シャワー浴びちゃったんでしょ?」
「また汗かかせちゃうから、1人で行く!」
じゃ、待っててね?シン・・リエ坊の明るい声で、電話は終わった。
チン・・と電話を切った後、ボクは天井を向いてため息を吐いた。
ボクという人間は・・本当にどうなっているんだろう。
恭子という彼女がいながら、さゆりさんと・・そして今度はリエ坊とも。
「オレこそ、淫乱ってヤツなのか?」
そう自問自答しながら、心のどこかではリエ坊が来る事に浮き浮きしている自分もいて。
「さゆり、お前は正しいよ・・オトコってほんと、どうしようもない生き物なんだな」
何故かボクは、さゆりさんを思い出していた。
彼女には、お見通しだったのかもしれないな・・こんなボクが。
ボクは考えるのが面倒になり、バスタオルを巻いたまま寝台に横になった。
・・ハ〜ックション!・・ボクはくしゃみで目が覚めた。どうやらあのまま小一時間位、眠ってしまったらしい。
「ちょっと、寒いか」ボクはTシャツを着てトランクスを穿いた。
その時、コンコン・・と硬い音が聞こえた。
「開いてるよ〜、どうぞ!」
「シン?入っていい?」
ドアを少しだけ開けて、リエ坊が顔を覗かせた。
「うん、どうぞ!」
「うわ〜、涼しいね!」
「まだ暑い?外は」
「うん、汗かいちゃった!」リエ坊は肩にベース、両手には大きな袋を提げて玄関で靴を脱いだ。
「どうしたの、なに?それ・・」
「明日の、朝ごはん」ボクはリエ坊から重い袋を受け取って、中を覗いた。
中には卵に牛乳、食パンにハムに野菜・・タッパーまで入っていた。
「家の冷蔵庫から持ってきちゃった!」
「タッパーには、お昼のスープが入ってるの」
「あ、あの・・なんだっけ、ビシ・・?」
「うん、ビシソワース、冷したジャガイモのスープ」
「嬉しいな、あれ美味しかったもん」
良かった、シン・・好きかな〜?って思って・・と、汗いっぱいの顔で微笑むリエ坊がいじらしくて、ボクは思わず抱きしめてしまった。
「有難う、リエさん」
「へへ、ワガママ言っちゃったからね」
「それにシン・・外食ばっかりじゃ、飽きちゃうでしょ?」
「うん、嬉しいよ」
ボクの腕を解いて、それぞれを冷蔵庫に仕舞いながらボクを見ずにリエ坊が言った。
「シンさ、悩まないでね?」
「え?」
「私が好きだから来たの・・」
「ちょっとでいいよ、ちょっとだけ・・好きでいて?私の事」
「リエさん・・」
あ、コーヒー・・貰うね?とリエ坊がテーブルの上のボクの飲みかけを一気に飲み干した。
「美味しい!」
じゃ、私もシャワー浴びちゃうね・・・とリエ坊は浴室のカーテンの向こうに消えた。
「歯ブラシ、貸してね〜!」
「うん、いいよ・・」
ボクは独りで笑いながら、椅子に座って煙草に火を点けた。
こういうのも、ありなのかな・・・。
ボクは咥え煙草で、アイスコーヒーをお代わりした。
「あ、残り少ないな・・・」
いいか、後は明日の朝また淹れれば・・・。
暫くしてバスタオルで髪をゴシゴシしながら、リエ坊が出て来た。
新しいTシャツとトランクス姿で。
「あ、洗濯したヤツ分かった?置いてた場所・・・」
「うん、この辺かなって思ったら、あった!」
いい勘してるよ・・・ボクは笑った。
「ふ〜、まだ酔ってるみたい・・私」
「大丈夫?気分悪い?」
「うん、ちょっとフラフラするだけ・・」リエ坊は笑いながらまた、ボクのアイスコーヒーを飲んだ・・全部一気に。
「あ、ゴメン・・無くなっちゃった!」
ごめんと言うわりには、ちっとも悪びれてないんだな、この人は。
もう・・とボクも笑いながら、冷蔵庫のサーバーから最後の一杯をグラスに入れた。
「もっと飲むんだったら、作ろうか?」
「ううん、平気!あと一口でいい・・」
そう言いながらゴックン・・と、グラス八分目まで入っていたアイスコーヒーは、三分目に一気に減った。
「大丈夫?飲み過ぎじゃん?」
「何かね、電車下りてから歩いて来たでしょ?」
「結構、重たかったから汗いっぱいかいちゃってさ、もう喉が渇いてかわいて・・」
リエ坊は、そう言いながらもグラスをボクの前に置いた。
「美味しいね、シンのアイスコーヒー」
「ありがと、でもさ、お母さんが淹れてくれたのもおいしかったよ?!」
「うん、美味しかったね・・」
「今頃起きちゃって、心配してないかな・・」
「大丈夫よ、リビングのテーブルに書き置きしてきたからね!」
「ちゃんと・・シンの所に行って来ます・・・って書いといたから大丈夫」
シンはもう、信用あるからさ・・とリエ坊が微笑んだ。
そうなんだ・・・とボクは少し複雑な気持ちになった。
まるで、リエ坊の家族を騙してるみたいな。
「リエさん、オレさ」
「なに?」
「うん・・何か、みんなに悪くないのかな・・」
「みんなって・・うちの家族?」
「うん、マサル君もお母さんも、オレを彼氏・・って信じちゃったでしょ?」
「あ、その事か・・そうね、そう言われれば」
でもリエ坊は、至って冷静だった。
「大丈夫よ、私がシンを好きだって事は本当なんだから」
「多少、お互いの気持ちに凸凹があってもいいじゃん?」
「いいの?リエさんはそれで・・・」
「うん、言ったじゃない?」
ちょっとでいいって・・・とリエ坊はボクを見つめて、また微笑んだ。
その微笑みが少し無理っぽく見えたのは、ボクの気のせい・・・なのか?
「今夜だってね・・」
「私さ、自分で驚いてるのよ、自分のしてる事に」
「そうなの?」
「うん、私って実はこんな女だったんだ・・みたいな」
「ちょっと新鮮な驚きなの、自分がね」
「リエさん」
「ね、シン・・」リエ坊は真面目な顔でボクを見た。
「聞きたい事があるんだけど、いいかな・・」
「うん、なに?」
「彼女って・・今、どこにいるの?」
「実家に帰省してるよ、九州の福岡」
「いつ、戻るの?」
「分かんない、オレも」
リエさんは椅子に座って、髪をタオルでグルグル巻きにした。
「もう1つ、聞いてもいい?」
「うん」
「彼女と連絡って、どうしてるの?」
「手紙」
「手紙〜?!」リエ坊は真面目に、大袈裟に驚いた。
「今時・・手紙なの?」
「うん、言いにくいんだけどね、先月オレ達、親に黙って京都に旅行に行ってさ・・」
「その旅先に、彼女の親から電話がかかってきたんだ」
「え、バレちゃった・・ってコト?」
「ううん、旅行は女友達とって事になってたんだけどね、黙って行っちゃったから怒られたみたい」
恭子の成績不良の事は、黙ってた。言わなくてもいい事だし・・・。
「そうなんだ・・それで彼女は今は?」
「実家で軟禁、籠の鳥状態」
軟禁は、ちょっと大袈裟だったかな?
だから向こうの都合のいい時にかかってくる電話と、手紙のやり取りなのだとボクは説明した。



