ノブ ・・第3部
「ふ〜」バスタオルを腰に巻いて椅子に座り、ボクは冷蔵庫に入れてあった今朝の残りのアイスコーヒーを飲んだ。
「夜明けのコーヒー・・か」
リエ坊の台詞に思い出し笑いしながら。
一服していると、ジリリ〜ンと電話が鳴った。
誰だ・・?
「はい、もしもし?」
「シン?リエコだけど・・・」
「あ、リエさん、ご馳走様でした!今ね、シャワー上がって涼んでたとこだよ」
「そうなんだ・・」
「・・今日は有難う、シン」
「ほんとに感謝してるの、私」
「いいよ、そんな大袈裟な・・」
「ううん、大袈裟なんかじゃないよ、ずっと気になってたんだもん、お母さんとの事」
「それが、解決したんだから感謝してる、本当に!」
「そっか、そんなら良かった・・オレなんかでも役に立てて」
「うん、シンのお陰だよ、みんな」
「勝がね?聞いてくるのよ・・どこで知り合ったの?とか、シンさんって感じいいよね・・とかさ」
「あはは、リエさん、何て答えたの?」
「うん、いい人でしょ〜?って!」
「でもさ・・・」
「・・なに?」
「私、まだまだ知らないんだよね、シンの事・・」
「知らない事ばっかりなんだよ・・・途中さ、勝に聞かれてしどろもどろになっちゃった」
「なんだ姉ちゃん、恋人なんだろ?しっかりしろよとか言われちゃってさ」
「そうか、無理も無いよね」
「オレもリエさんの事、知らない事ばっかだもんね・・良かった」
「え、何が良かったの?」
「だって、あれ以上オレがお邪魔してたらさ、きっとボロ出してたよ、オレ達」
「そうか、そうかもね・・」
リエ坊は、電話の向こうで静かになった。
「ねぇ、シン・・」
「なに?」
「・・これから行っちゃダメ?」
「え?これから?!」
「うん、ダメ?都合悪い?」
「リエさん・・これからって、遅いよ?もう」
「大丈夫よ、電車はあるから」
「シン?」
「んん?」
「我が儘かな、私」
ボクは迷っていた。リエ坊が来たら、ボクもリエ坊もまた・・。
「リエさん、オレさ・・」
「うん」
「いいや、何でもない」
「お母さんは平気なの?」
「お母さんね、あれからワインで酔っちゃってさ、今リビングのソファーで寝てるの」
「風邪引かない様に、一枚毛布はかけといたから・・大丈夫でしょ!」
そうか、夏だしな・・とボクはトンチンカンな事を考えた。
「分かった、待ってるよ」
「駅まで迎えに行こうか?大体の時間が分かれば・・」
「ううん、いい。シン、シャワー浴びちゃったんでしょ?」
「また汗かかせちゃうから、1人で行く!」
じゃ、待っててね?シン・・リエ坊の明るい声で、電話は終わった。
チン・・と電話を切った後、ボクは天井を向いてため息を吐いた。
ボクという人間は・・本当にどうなっているんだろう。
恭子という彼女がいながら、さゆりさんと・・そして今度はリエ坊とも。
「オレこそ、淫乱ってヤツなのか?」
そう自問自答しながら、心のどこかではリエ坊が来る事に浮き浮きしている自分もいて。
「さゆり、お前は正しいよ・・オトコってほんと、どうしようもない生き物なんだな」
何故かボクは、さゆりさんを思い出していた。
彼女には、お見通しだったのかもしれないな・・こんなボクが。
ボクは考えるのが面倒になり、バスタオルを巻いたまま寝台に横になった。
・・ハ〜ックション!・・ボクはくしゃみで目が覚めた。どうやらあのまま小一時間位、眠ってしまったらしい。
「ちょっと、寒いか」ボクはTシャツを着てトランクスを穿いた。
その時、コンコン・・と硬い音が聞こえた。
「開いてるよ〜、どうぞ!」
「シン?入っていい?」
ドアを少しだけ開けて、リエ坊が顔を覗かせた。
「うん、どうぞ!」
「うわ〜、涼しいね!」
「まだ暑い?外は」
「うん、汗かいちゃった!」リエ坊は肩にベース、両手には大きな袋を提げて玄関で靴を脱いだ。
「どうしたの、なに?それ・・」
「明日の、朝ごはん」ボクはリエ坊から重い袋を受け取って、中を覗いた。
中には卵に牛乳、食パンにハムに野菜・・タッパーまで入っていた。
「・・家の冷蔵庫から持ってきちゃった!」
「タッパーには、お昼のスープが入ってるの」
「あ、あの・・なんだっけ、ビシ・・?」
「うん、ビシソワース、冷したジャガイモのスープ」
「嬉しいな、あれ美味しかったもん」
良かった、シン・・好きかな〜?って思って・・と、汗いっぱいの顔で微笑むリエ坊がいじらしくて、ボクは思わず抱きしめてしまった。
「有難う、リエさん」
「へへ、ワガママ言っちゃったからね」
「それにシン・・外食ばっかりじゃ、飽きちゃうでしょ?」
「うん、嬉しいよ」
ボクの腕を解いて、それぞれを冷蔵庫に仕舞いながらリエ坊が言った。
「シンさ、悩まないでね?」
「え?」
「私が好きだから来たの・・・シンは・・」
「ちょっとでいいよ、ちょっとだけ・・好きでいて?私の事」
「リエさん・・」
あ、コーヒー・・貰うね?とリエ坊がテーブルの上のボクの飲みかけを一気に飲み干した。
「美味しい!」
じゃ、私もシャワー浴びちゃうね・・・とリエ坊は浴室のカーテンの向こうに消えた。
「歯ブラシ、貸してね〜!」
「うん、いいよ・・」
ボクは独りで笑いながら、椅子に座って煙草に火を点けた。
こういうのも、ありなのかな・・・。
ボクは咥え煙草で、アイスコーヒーをお代わりした。
「あ、残り少ないな・・・」
いいか、後は明日の朝また淹れれば・・・。
暫くしてバスタオルで髪をゴシゴシしながら、リエ坊が出て来た。
新しいTシャツとトランクス姿で。
「あ、洗濯したヤツ分かった?置いてた場所・・・」
「うん、この辺かなって思ったら、あった!」
いい勘してるよ・・・ボクは笑った。
「ふ〜、まだ酔ってるみたい・・私」
「大丈夫?気分悪い?」
「うん、ちょっとフラフラするだけ・・」リエ坊は笑いながらまた、ボクのアイスコーヒーを飲んだ・・全部一気に。
「あ、ゴメン・・無くなっちゃった!」
ごめん・・と言うわりには、ちっとも悪びれてないんだな、この人は。
もう・・とボクも笑いながら、冷蔵庫のサーバーから最後の一杯をグラスに入れた。
「もっと飲むんだったら、作ろうか?」
「ううん、平気!あと一口でいい・・」
そう言いながらゴックン・・と、グラス八分目まで入っていたアイスコーヒーは、三分目に一気に減った。
「大丈夫?飲み過ぎじゃん?」
「何かね、電車下りてから歩いて来たでしょ?」
「結構、重たかったから汗いっぱいかいちゃってさ、もう喉が渇いてかわいて・・」
リエ坊は、そう言いながらもグラスをボクの前に置いた。
「美味しいね、シンのアイスコーヒー」
「ありがと、でもさ、お母さんが淹れてくれたのもおいしかったよ?!」
「うん、美味しかったね・・」
「今頃起きちゃって、心配してないかな・・」
「大丈夫よ、リビングのテーブルに書き置きしてきたからね!」
「ちゃんと・・シンの所に行って来ます・・・って書いといたから大丈夫」
シンはもう、信用あるからさ・・とリエ坊が微笑んだ。
そうなんだ・・・とボクは少し複雑な気持ちになった。