ノブ ・・第3部
「梨恵子みたいにお医者さんの大学でもいいし、勝が本気で行きたいのなら、お母さんは反対しませんよ」
「いいの?オレ、父さんみたいにならなくても・・」
「勝の人生は勝のものでしょ?気兼ねする必要なんてありませんよ」
「アンタ、本気で言ってるの?」
「うん、結構、本気・・」
「自分の学校の医学部に入る積もり?」
「う〜ん、そこなんだよね、難しいのはさ」
聞けばマサルの通っている高校は、日本の私学の草分けで誰でも知ってるK大の付属校だった。
そこの幼稚舎からの学生であるマサルの今の成績は、全体の中の上位3分の1をウロウロしてるらしい。
で、いくつかある付属校から医学部に入れるのは各付属校の上位2〜3名だけ・・とのコトだった。
「無理じゃん、アンタの成績じゃどう逆立ちしても・・・」
「そう、うちの医学部ははっきり言って無理っぽいんだよ。だからさ、外部を受験しようかな〜ってね」
頑張ってみなさいな・・とお母さんが言った。
「応援するわよ、お母さんは」
「そうね、たまにはアンタが本気になったとこ、見てみたいわね!」
甘くないわよ?受験って・・・とリエ坊はニヤっと意地悪そうに目を細めて、マサルに言った。
そうなんだよな、ずっとぬるま湯ん中だったもんな・・とマサルはまた天井を見てため息をついた。
「シンさん、オレ・・何とかなるかな?」
「うん、大丈夫だと思うよ、オレは」
ボクは昨年の経験を話した。
共通一次のために補講の科目を増やした事、秋から駿台の現役クラスに入って勉強時間を増やした事など。
懐かしい恵子の顔を思い浮かべながら・・・。
「・・頑張ってみようかな、シンさん、有難う!」
「色々教えてくれて」
マサルはボクにビールを注いでくれた。
「ね、飲もうよ!」
「うん、頂く・・」ボクはカレーとラッシーでもうお腹一杯だったが、マサルのお酌を受けた。
ビールを飲みながら理転の話、受験の話・・・ボクは1年前の自分とマサルを比べて不思議な気分だったが、聞かれた事には正直に答えた。
色々あったんだな、ボクなりに・・たった1年の間に。
「そうだよね、シンドいよね・・でも、頑張ってみるよ、オレも」
「うん、やってやれない事は無いんじゃない?」
それまで黙ってボクとマサルの顔を見比べていたリエ坊が、おもむろに言った。
「・・シン、一服しない?」
「あ、うん」リエ坊が立ち上がって、ボクをキッチンに誘った。
あら、ここで吸ってもいいのよ?とお母さんの声が追いかけてきたが、リエ坊はボクをキッチンに引っ張って行った。
「どうしたの?リエさん」
「うん、何かさ・・」
ボクはセブンスターに火を点けてリエ坊に渡し、自分のにも火を点けて言った。
「・・今夜は止めとこうか、オレんちは」
「え、どうして?」
「何となくさ、リエさんもその方がいいんじゃない?」
「お母さんとマサル君とさ、色々話したいだろうなって」
「シン、いい?それでも・・」
「うん、リエさんとお母さんの嬉しそうな顔見てたら今夜は家にいた方がいいかな?って思ったよ」
「・・有難う、何かお見通しだね、シンには」下を向いて煙を吐き出したリエが、ふと目を上げて云った。
「仲直りのきっかけ作ってくれて、有難う・・感謝してる」
「そんな、だから何もしてないって、オレは」
「ううん、シンが私に色んなコト教えてくれたんだよ」
お母さんの事も冷静に考えられる様になったのは、これのお陰だから・・とリエ坊はみんなに見つからない様にキッチンの陰で素早くキスしてきた。
「リエさん・・」
「・・どうしよう、本当に好きになっちゃったみたい」
ボクが何と言っていいのか分からずに立ちすくんでいると、リエ坊は明るく言った。
「さ、もう少しだけ飲もうか・・ね?!シン・・」
「うん・・」
ボクらは煙草を消してダイニングに戻った。
お母さんがそんなボクらをニコニコ微笑みながらまた、迎えてくれた。
「今夜は楽しいわ、お母さん、ワインでも飲みたい気分よ・・」
「いいね、飲もうか・・シンさんもいいよね?!」
うん・・と言いながらボクは、これで良かったんだ・・と席に着いた。
「じゃ私、ワイン取って来るね!」リエ坊が明るく言って、席に着かずにキッチンに引っ込んだ。
・・見上げたダイニングのシャンデリアが、天井に不思議な幾何学模様の影を描いていた。
リエ坊がどこからか持って来たワインは、くすんだラベルの赤だった。
「いいよね、お母さん、これ飲んで・・」
「あら、バローロ?いいわね・・頂きましょ!」
バローロ?また、聞いた事ない名前が出てきたぞ・・とボクはリエ坊に聞いた。
「それ、どこのワインなの?」
「イタリア・・北イタリアね、多分」
「ふ〜ん、イタリアのワインか・・」
リエ坊はボトルを布巾で拭いて、くすんだラベルを見せてくれた。
「Barolo・・」
「ヴィンテージなの?」
「あら、シン・・良く知ってるわね、ヴィンテージなんてさ」リエ坊は微笑みながらコルクの頭を出して、コークスクリューをゆっくりねじ込んだ。
「うん、前に友達がシャブリのヴィンテージ飲ませてくれたからさ・・」
ボクは、さゆりさんの笑顔を思い出していた。
女の人って、みんなワインが好きなのかな。
ゆっくりとコルクを抜いたリエ坊は、そのコルクの先をクンクンと嗅いだ。
「何してるの?」
「ダメになっちゃったワインは、臭いで分かるんだって」
で、どうなの?そのバローロは・・とボクが聞くと「分かんない!」と笑いだした。
「ソムリエじゃないもん、私」
「・・何だ、姉ちゃん、カッコだけかよ!」マサルの突っ込みに食卓は笑いに包まれた。
各々のグラスにバローロが注がれて、4人で乾杯した。
グラスの音がチィーンと上品だったのは、あながち気のせいだけじゃないだろう。
こんな大きな、薄手のワイングラス・・ボクは見た事無かったからね。
「・・」一口飲んで、ボクはその渋みに驚いた。
「うん、美味しい!」
「すげ〜な、これ・・ガツンとくるね!」
「ほんと、美味しいわ、バローロはさすがね・・」お母さんも、ニッコリとご満悦の様子だった。
「・・これ、渋い感じなんだけど、美味しいの?」
「うん、好みにもよるけどね、フルボディの赤ってこんな感じよ」
「フルボディって、なに?」ボクはリエ坊にまた聞いた。
「う〜ん、味わい深い、濃厚なって感じ?ま、要するに濃い感じの事みたいね」
「・・そうなんだ、フルボディって、渋いんだ・・」
私はね、お味もだけどこの色も大好きなの・・とお母さんが、大ぶりのワイングラスをシャンデリアに透かした。
「ほら、ルビーみたいでしょ?この色・・」
「うん、ほんとだ、綺麗!」
リエ坊もマサルも同じ様にグラスを掲げた。
ボクは、そんな3人の様子を見ながら・・ある事を決めた。
「リエさん、ちょっといい?」
「・・なに?」
さっきとは逆に、今度はボクがリエ坊をキッチンに連れて行き、言った。
「オレ・・ボチボチ帰るね。」
「何で?!まだいいじゃない!なんなら泊ってくれても・・」
「ううん、オレ・・いない方がいいよ、特に今夜はさ」
「・・シン」



