ノブ ・・第3部
取りだした時すっかり冷えてカチカチになっていたが「はい、これ」リエ坊に1枚渡し、ボクらはそのまま齧った。
「あ、冷めても美味しいね、このピザ」
「うん、お母さん・・ピザの生地はいつも自分で作って冷蔵庫に入れてあるの」
「私も勝も、大好きだからさ」
リエ坊は硬くなったピザを齧りながら、俯いた。
「どうか、した?」
「お母さん、寂しかったんだろうなって」
「私が目を合わせなかったり、一緒に出かけなくなったりしてさ・・」
「だって許せなかったんだもん、浮気なんて!」
リエ坊は、ポロっと涙を流した。
「リエさん・・」
「でも私、もう同じなんだよね、お母さんと」
「え?」
「シンに、彼女・・裏切らせちゃったでしょ?自分の事ばっかり考えてさ」
「お母さん責める資格なんて無いんだ、私・・・」
「・・・・・」
ボクは、齧りかけのピザを持ったまま静かに涙を流すリエ坊を見つめる事しか出来なかった。
「私さ・・」
「さっきまで自分は間違ってないって、思ってた」
「・・うん」
「でもさ、アパートに行く途中、シン・・言ったでしょ?」
「何て?」
「オレが教えるってコトは、彼女を裏切る事になるんだよ?って」
「うん、言ったね」
私ね・・リエ坊はピザを一口頬ばって、ゆっくり続けた。
「自分さえ納得してれば、いいんだと思ってた」
「シンに彼女がいてもいなくても・・ごめんね?!」
「ううん・・」
「でも、自分の我が儘を通す事で人を裏切っちゃう・・裏切らせちゃう事もあるんだね」
「シンとお母さん、同じ立場なんだって、さっき気付いたの」
「リエさん・・」
浮気した母親を責めてたくせに、自分もボクに同じ事をさせて・・母親を責める資格なんてありゃしないとリエ坊は泣きながら冷えたピザを頬ばった。
モグモグと動くリエ坊の頬に涙がまた、一筋流れた。
ボクは、そんなリエ坊を見ながら何故か・・タカダの顔を思い出していた。
「ティア ドロップス・・」
「なに?」
リエ坊は、モグモグしながらボクを見上げた。
「いいよ、リエさん」
「もう、泣かないで?!」
「リエさんだけが悪いんじゃないもん、オレだって・・いや、オレの方だよ、悪いのはさ」
「そんな事ないよ、シンは私の我が儘に付き合ってくれただけなんだから」
「ううん、違うよ?それは」
ボクはキッパリと断って帰る事も出来たし、帰らないまでもリエ坊を送る事だって出来たはずだった。
でも、結局ボクはそうはしなかった。恭子に悪いとは勿論思ったが、でも、あくまでも思っただけ・・・と、リエ坊に言った。
「オレね、弱いんだと思う、自分が」
「・・でもさ、嫌いな人だったら、一晩一緒になんていなかったよ」
「リエさん、いい女過ぎたんだね」
そんないい女に言い寄られたら、男はダメさ・・と。
「じゃ、私達、2人ともダメなのかな」
「うん、もしかしたらね」
ちょっと、悪さ加減はボクの方に傾いてるけどね・・とボクは自嘲しながら続けた。
「このピザ・・」
「うん」
「お母さんの味だよ、シン・・」
お母さん、私が嫌ってても変わらずに作っててくれてたんだね、ピザ・・とリエ坊はピザを全部口に押し込んで泣きながら食べた。
「お母さん、ゴメンなさいって謝りたい」
「リエさん・・」
「おかしいね、私・・」
「泣けてきちゃうんだよ、シン〜!」
リエ坊はボクに抱きついてきて泣いた。
小さな声で、お母さん・・と言いながら。
ボクはリエ坊の頭を撫でながら言った。
「リエさん、やっぱり大好きなんだね、お母さんの事・・」
「・・・・」
言葉は無かったが、リエ坊の頭がコクっと頷いた。
「じゃ、もう・・浮気は許したの?」
「分かんない、でも、もう・・」
どうでもいいのかもしれない・・とリエ坊はボクから離れて、涙を手の甲で拭った。
「ティッシュ!」
ベースアンプの上に置いたあったティッシュで、リエ坊は静かに鼻をかんだ。
「悔しいけどさ、アイツが言ってた事、当たってると思う」
「アイツって?」
「タカダよ、言ってたでしょ?」
「親だって、男と女・・人間なんだから、子供に言えない事情や秘密があってもおかしくないんだって」
「うん、言ってたね」
「そう思う事にする・・」
「多分、お母さん、私が知ってるって分かってないもん」
「そうなんだろうね、きっと」
「だから、もういい」
「お母さんのプライベートは、もういい!」
リエ坊は幾分スッキリとした顔で、ボクに向かって微笑んだ。
「ごめんね、本当に泣き虫なんだね、私・・」
「いいさ、ティアドロップスなんだから」
「うん、浮気しようがしまいが・・お母さんはお母さんなんだよね。私が好きなピザを、いつも作ってくれる・・」
リエ坊は、今度は本当に明るい顔で微笑んだ。
良かった・・ボクもその笑顔に救われた感じだった。
「シン・・のど、渇かない?」
「うん、何か飲みたいね」
私、何か持って来るから待ってて?とリエ坊が小屋を出て行った。
静かに扉が閉まって、小さなウイ〜ンというエアコンの響きだけが耳に付いた。
ボクは、残ってたもう一枚のピザを食べた。
「うん、お母さんの味か」
何故なんだろう、お袋さんのけんちん汁が食べたいな・・と唐突に思って、ボクは笑ってしまった。
「何で、けんちん汁なんだ?」
ピザを食べ終わって一服しながら、ボクはリエ坊の笑顔を思い出していた。
「これからはきっとうまくいくんだろうな、お母さんと」
良かったね、リエ坊。
「でも遅いな・・」
リエ坊はなかなか帰って来なかった。
「1人でやってるか」
帰って来るまでの間、ボクは自主トレする事にした。
クリームのサンシャイン ラブもイーグルスの呪われた夜も大好きな曲だったから、メロディーもリズムも頭に残っていた。
ハイハットの横に譜面台を置いて、スコアを開き・・ボクはタブ譜を拾いながら叩いた。
「フフフ、フフ〜ン・・」頭の中で曲を鳴らして、スコアの歌詞を口ずさみながら。
2曲を繰り返し叩いているうちに段々とノってきたボクは、いつしか大声で歌いながら叩いていた。
小屋の中はクーラーが効いていたが、それでも汗が目に沁みてTシャツの袖で拭いながら・・・。
「・・・・!」
「・・シンってば!」リエ坊はトレーを抱えてボクの前に立った。
ドラムの音と自分の声で、ボクはリエ坊が入って来た事にも気付かなかったらしい。
「あ、リエさん・・」
「もう、何回呼んでも気が付かないんだから!」
「ゴメン、ちょっと気分出し過ぎちゃった」
ボクはスティックを置いて、マイクのスイッチを切った。
「でも、いい感じだったじゃん?!」
「うん、好きな曲だからかな、タブ追っかけるのも楽だよ」
「・・そんな感じ。今までよりも早く仕上がりそうだね、その調子なら」
「だといいけどね」ボクは笑いながら汗を拭いた。
「はい」
リエ坊が渡してくれたグラスには、アイスコーヒーが入っていた。
「サンキュ、有難いよ」
一口飲んでボクは、懐かしい味に驚いた。
「これ、マンデリンじゃない?」
「知らない、お母さんが淹れてくれたの」