ノブ ・・第3部
「・・・・」
何かちょっと安心したな、オレ・・・と、ボクはセブンスターに火を点けた。
ちょっと濃い香りが部屋に充満して、リエ坊がボクを見つめた。
「シン・・」
小屋の中は大分涼しくなってきて、リエ坊にも笑顔が出て・・・ボクはちょっと安心した。
そしてリエ坊に声をかけた。
「・・さ、ぼちぼち練習する?」
「うん、始めようか・・・」
と言いながらリエ坊はまだ、アンプの上から動こうとはしなかった。
「ね、シン・・」
「ん?なに?」
「私・・お母さんを」
「心底、嫌ってなかったのかな・・」
「いや、良く分かんないけど、少なくとも親子なんだから・・」
「どこかで、何かのきっかけで仲直りしたいってのはあったんじゃない?リエさんも」
「勝は知らないと思うんだよね、浮気のコト」
「そうだろうね、きっと」
「うん、だから・・アイツも私の変化って、気になってたのかな」
リエ坊は続けた。
「きっと不思議だったと思うんだ、何で私がお母さんと一緒に買い物行かなくなったのか・・とかね」
「うん」
「変だと思ってたんだろうね、私の事」
それは無理もないだろう、仲の良かった母と娘がある日を境に傍目にも分かる位に距離を置いたら。
父親が不在がちな分、弟も気苦労が絶えなかったのではないか・・とボクは言った。
相談出来る人も身近にいない訳だしね。
「だから・・あんなに怒ったんだね、私とお母さんの事」
「心配だったんだよ、みんな」
ごめんね、オレが気を付けてれば・・と言うとリエ坊は言った。
「ううん、シンの責任じゃないよ、これは・・」
「私が考え無しだったんだよ、昨日はさ」
思ってもみない展開で、慌てたから?とボクは笑いながら聞いた。
リエ坊は、真面目な顔で言った。
「うん、自分でも驚いてる。昨日の私、何か・・今までに無い位に素直だった気がする」
「素直?」
「そう、思ってる事、ちゃんと言えたし」
「あ、我儘言っちゃったって、分かってるよ?シン」
「ごめんね?!でもさ、そのお陰で・・・」
私もセックスに対しての変な考えが・・・とリエ坊が話してる時に、ガチャっと小屋の重い扉が開いた。
「何だ、練習してないじゃん!」ちょっと赤い顔をしたマサルが、暑い空気と蝉時雨と一緒に入って来た。
「うわ、煙いな・・・」
「どうしたの、アンタ」
「いや、どうもしないけど、姉ちゃんが家で練習なんて久々だからさ・・」
どんなのやるのかな〜って思って・・とマサルはボクをチラっと見ながら、リエ坊の隣のアンプに腰掛けた。
「へぇ〜、そう?!」
嘘おっしゃい・・とリエ坊は笑いだした。
「ま、いいわ。じゃ、シン・・始めようか!」
「う、うん」
ボクは緊張してしまった。
いくら練習とは言え、バンドのメンバー外の人の前での演奏は初めてだったからね。
「あ、そうだ・・勝、キーボで音出してくれない?」
「え?何でさ」
「ギターいないからね、メロディー聞きながらやりたいじゃない!」
ほら、コードはこれだから適当に鳴らしてくれりゃいいわ・・とリエ坊はスコアを弟に渡して、キーボードのスイッチを入れた。
「なんだよ・・オレ、勉強中なのに・・」
ブツブツ言いながらだったが、赤い顔で勉強もないだろう・・とボクは笑いそうになった。
お陰で、少し緊張がほぐれたかな?
マサルはそれでもキーボの譜面台を立てて、スコアを広げた。
「これ、キッスじゃん・・これからでいいの?」
「うん、イントロはいいから、ボーカルのとこからでいいよ、音・・」
リエ坊がチューニングを始めて、ボクも自分のスネアをセットして、ハイハットとシンバルの高さを合わせた。
そして、タムタムとフロアタムも調節して「オッケーです!」とバスドラを2・3発踏んで音を確かめた。
リエ坊がマイクスタンドを伸ばしてくれて、ボーカルマイクを入れた。
「じゃ、シン、カウント・・」
ボクはコクっと頷いて、リエ坊とマサルを見た。
リエ坊とは目が合ったが、マサルはボクではなくスコアを見ていた。
カウントに続いてハイハットとスネアを一発づつ鳴らして、ボクは歌いだした。
マサルがコードで音を出してくれたお陰で、歌い易かった。
やっぱりギターがいない寂しさは否めなかったが、それでもメロディーラインが聞こえる事でボクはなんとか歌いながら叩き通す事が出来た。
キッスの後はイーグルス、その後はジミヘンの2曲・・・コードだけのキーボとベース、ドラムスの風変わりなトリオだったが、それなりに楽しくて2巡目位になると音もカチっとしてきた。
2巡目が終わって「ちょっと休もうか・・」とリエ坊がベースを置いた。
「うん」
「やるじゃん!あの、何だっけ?名前・・」
「あ、小川です・・バンドではシンって呼ばれてますけど」
「じゃ、オレより年上だから・・シンさんでいい?」
いいよ、勿論・・ボクはこの率直なもの言いに親しみを覚えていた。
「シンさん、姉ちゃんと同じ医学部の1年?」
「うん、そう・・軽音入ってからはまだ・・1週間経ってないんだけどね」
「え?そうなの?じゃ、前からやってたんだ・・ドラム」
「ううん、この間から始めたばっかだから、ごめんね?下手クソで」
マサルがボクの一言に驚いて、目を剥いた。
「え〜?!ウソだろ?信じらんないよ、初めて1週間だなんてさ!」
「ほんとよ・・シンはこの間初めて、ドラムに触ったんだから」
「そうなんだ、ビックリ」
マサルは、ボクをしげしげと見て言った。
「姉ちゃんの彼氏にしちゃ、随分若いんだなって思ってたんだけどさ」
「始めたばっかで・・・こんだけ叩けりゃ、姉ちゃんが惚れちゃうワケだよな!」
「ちょっとマサル、いい加減にしなさいよ?」
「随分若いって・・何よそれ!シンとはたった二つしか違わないんだからね?!」
「いいじゃん、照れるなよ、お母さんに会わせに来た位なんだから、弟に会わせたっておかしくないだろ?!」
ね、シンさん・・とボクに微笑みかけるマサルは、何だか・・可愛かった。
ボクに対する警戒が、やっと少しは解けたのかな?
そのためなのか、ボクは申し訳ない気持ちを味わっていた。
オレ、彼氏じゃないんだけどな・・・。
家族中に誤解されて朝帰りが既成事実になってしまうと、本当はボクは・・とは、とてもじゃないが言い出せる雰囲気ではなくなっていた。
「勝、ほら、もう1回いくよ?!」
ボクの顔色を伺っていたリエ坊が気を利かせてくれたのか、マサルの話を途中で断ち切った。
「ほいほい、オッケー!」
和解
結局トリオでの練習は「だめ、腹減ったからオレ、もう行くわ!」とマサルがリタイアして出て行った夕方まで続いた。
「しょうがないね、アイツは・・」リエ坊はそう言いながらも、少し疲れた様に見えた。
「大丈夫?疲れたんじゃない?」
「うん、お昼そんなに食べなかったからお腹空いちゃったみたい」
リエ坊はベースをスタンドに立てかけて、またアンプに腰かけて情けなさそうに笑った。
「あ、お母さんが持たせてくれたヤツ」
ボクは、バッグに入れっ放しだったピザを思い出した。