ノブ ・・第3部
モーニングを食べ終わったボクらも、コーヒーを楽しみながら・・・静かに一服した。
「ね、シン?」
「何?」
「今日は、何か予定あるの?」
「いや、特に無いけど・・あ、練習しなきゃ!」
呪われた夜とサンシャイン ラブ、まだ手付かずだもん・・・とボクは思い出した様に言った。
「そうか、明日・・練習あるしね」
「え?!明日なの?」
「あら、言ってなかった?私」
うん、聞いてなかった・・・とボクは、リエ坊を凝視して言った。
「ごめん、言ってなかったんだ」
「でも、サラっと位はやっときたいよね?シン」
「そりゃ勿論!サラっとどころか、ガッツリやらなきゃ!オレの場合は」
じゃ、うちに来ない?と、リエ坊はコーヒーを一口啜りながら、言った。
「え?リエさんち?」
「うん」
「ドラムならあるよ?弟が使ってたヤツが」
「・・弟さん、いるの?リエさん」
「うん、1人。三つ離れてるから、シンより1つ下だね」
「そうなんだ、ドラムやってるんだ」
「ううん、過去形・・もう、やめちゃった」
「そうなの?せっかくドラムセットあるのに?」
うん、飽きちゃったんだって、音楽に・・と、リエ坊は笑いながら言った。
「今、詩とか小説ばっかり・・読んだり書いたりしてるよ」
「そうなんだ、オレと似てるかもね、趣味」
「アイツはね、昔っからそうなのよ」
「本ばっかり読んでてね」
「・・・私がドラムやらせたんだ、メンバーが足りなくてさ、高校の時」
「うん」
「半分、無理やりだったからね・・・あんまり好きにはなれなかったみたい、音楽ってモノがさ」
「そうなんだ・・初めて叩いて楽しかったオレとは、ちょっと違うのかな、タイプが」
「うん、シンほど嬉しそうじゃなかったもん、初めて叩かせた時も」
でもね、何回かは同じステージに立ってくれたから、もういいの・・!とリエ坊は微笑んだ。
「まぁね、趣味も好みも人それぞれだからさ」
「うん、でも・・」
「でも?」
「リエさん、寂しくないの?それで・・」
「うん、さびしくはないよ、ほんと」
「仕方ないじゃん?姉に言われて嫌々だったみたいだから!」
そんなんじゃ、好きになれなくても仕方ないよ・・と。
「だって、楽しくなかったらやる意味無いでしょ?バンドなんてさ」
「うん、そうだよね」
リエ坊の笑顔は自然だったから、ボクも心配するのを止めた。
「家って、お母さんとか弟さん・・いるの?」
「うん、お母さんはいると思うけど弟はいないよ、昼間は。予備校に行ってるんじゃないかな」
「あ、高校3年か・・受験だもんね!」
そういう事、だから家にいないから、何の気兼ねもいらないでしょ?とリエ坊は微笑んだ。
「そうか、オレが行って迷惑じゃなければ練習出来るのは有難いね」
「本物のドラム叩けるなんて、部室だけって思ってたからさ」
「じゃ、行く?うちに・・」
「うん、お願いします・・先輩!」ボクはちょっと・・いや、かなり嬉しくなって言った。
「もう・・先輩はヤダって言ったでしょ?」
「あれ、そうだっけ・・ごめんね」
三省堂を出たボクらは、一端アパートに戻り、リエ坊は自分のベースと下着・・ボクはスネアとバンドスコアとスティックを入れたバッグを持って、リエ坊の家に向かった。
御茶ノ水から中央線で新宿、新宿で山手線に乗り換えて渋谷まで行き、井の頭線に乗った。
「へ〜、オレ・・初めてだよ、井の頭線」
「そうなの?でも、電車なんてどれも同じでしょ?」
「うん、そうなんだけどさ、何か・・ドキドキするよね、初めてって!」
ボクが吊革に掴まって嬉しそうに車窓を眺めていると、リエ坊が小さな声で言った。
「・・そうよ、ドキドキだったんだから、私も・・」
「え?何か言った?」
何でもないわよ、シンのバカ・・とリエ坊はツンと向こうを向いた。
「あれ、またオレ・・ばか?」
「そう、シンは・・バカなの!」リエ坊が笑いながらボクを見た。
「さ、もう次よ、浜田山」
「降りるんだよね・・」
「うん、駅から少し歩くけど、いい?」
「大丈夫、モーニング食べたから元気だよ!」
リエ坊の家
浜田山は、想像してたより随分と可愛い駅だった。
まるで田舎の・・と言いかけてボクは止めた。
「なに?何か言った?シン・・」
「ううん、何にも。どっち?」
こっち・・とリエ坊はベースを肩にかけて、ボクの前を歩いた。
持とうか?と言ったのに、自分の物は自分で持つわ・・と。
改札を出て、踏切を渡って・・ボクはリエ坊の後をついて歩いた。
浜田山は、田舎なんかじゃなかった。
ボクが育ったガチャガチャした下町とは全く違う、静かで上品な街だったのだ。
そのうちに商店の数が少なくなり、高い塀や生け垣が立派な街並になっていき、ボクはタカダの言葉を思い出した。
そうだ、リエ坊の家は凄い豪邸だって、言ってたもんな・・・。
そして煉瓦塀に沿って角を曲がって、立派な鉄の門の前で、リエ坊は振り返って言った
「ここ」
「・・・はぁ・・」ボクは、言葉を失っていた。
鋳鉄の透かし彫り・・って言うんだろうか、複雑な模様が彫られた重そうな門をリエ坊はギ〜っと押し開けて、ボクを招き入れた。
芝生の上には敷石が緩やかなカーブを描いて、貫禄のある家・・というより、こじんまりとした屋敷に続いていた。
屋根が三角に尖っていて、漆喰の白壁に黒くて太い柱が印象的な西洋建築だった。
「ひゃ〜、凄い家だね、リエさん・・」
「そう?古いってだけよ、この家は」
「いや、カッコいいよ、お屋敷じゃん?!」
「そんな事はいいから・・入って?」
リエ坊は重そうな木の玄関扉に鍵を差し込んで、開けた。鍵だけはやけに現代風だった。
玄関の中に入ると、これまた石を敷き詰めたたたきがあり、床が一段高くなっていた。
「あ、靴は脱ぐんだね?」
「当たり前でしょ?アメリカじゃないんだから・・」
リエ坊は「シンも言ってたね、昨日」と笑いながら言った。
「だってさ、てっきり・・靴の生活なのかな?って思うじゃん、こんなお屋敷みたいな家だったらさ・・」
「何言ってるのよ、さ、上がって?」
リエ坊が洒落たスリッパを揃えてくれて、ボクも上がった。
玄関を上がった廊下の先には、両開きのすりガラスの扉があった。
その扉を開けると、そこは大きな応接間になっていて、立派なソファーが置かれていた。
その向こうには、グランドピアノが鎮座していた。
そして空調が効いているのか、とても涼しい部屋だった。
「すごい、映画に出てくる家みたい・・」ボクは小さく独りごちた。
「シン、適当に座ってて?」
「うん」
部屋の角の壁にはマントルピースが掘られていたから、冬になったら暖炉の灯りできっといい雰囲気になるんだろうな・・等と思いながら、ボクは勧められるままにソファーに腰掛けた。
「いま、冷たいモノ持ってくるからね」
リエ坊はベースをピアノに立てかけて、向こう側のガラス戸を開けて奥に行った。
見れば天井には上品なシャンデリアがぶら下がっていて・・・ボクはあんぐり開いた口が塞がらなかった。