ノブ ・・第3部
「うん、そうなんだと思う・・でもね?!」
ボクは立ち止まって、リエ坊を見て言った。
「さっき、オレも感じちゃってたんだ、リエさんのキスに」
「オレのオトコが反応しちゃってたの」
「シン・・」
「リエさん、恋人がいる男が他の女性と・・って、どう思う?」
「しかもさ、その女性は知ってるんだよ、彼女の存在を・・」
いつの間にかボクは、リエ坊にさゆりさんを重ねていた。
女の人ってどう思うんだろう、こんなオレみたいな男を。
リエ坊の答えとさゆりさんの考えは同じなんだろうか・・。
さゆりさんは経験者だけど、男性そのモノに傷付いていていた。
そして、ボクとの間には・・恵子という接点があった。
そして、さゆりさんは「・・それでも、いいんです」と言った。
リエ坊は、バージンで・・そして、母親の浮気という思春期に受けた心の傷が、リエ坊を男性から遠ざけていた。
ボクの質問に何と答えるんだろうか、リエ坊は。
リエ坊は暫く下を向いたままだったが、やがて真面目な顔を上げてボクを見た。
「私ね・・いい?」
「うん」
「さっきのキスで多分、シンの事・・好きになったんだと思う」
「可笑しいと思うだろうけどさ、シンは・・」
「でもね、本のページが一気にめくられたみたいに、パーっと開けたんだ、何かがさ!」
「目が開いた?って感じかもしれないの、私」
「そうなの?あの、キスで?」
「うん、だから、スイッチって言ったんだよ、私」
「私ね、さっきの質問には上手く答えられないんだけど・・・シンがさ、ほんの少しでも私の事・・好きな気持ちがあったら嬉しい」
「そりゃ、彼女の存在は・・・私にはどうしようもないんだけど・・」
「だからって、シンが悪い訳じゃないと思う」
「きっと、悪いのは私・・」
「でも、シンに教えて欲しいの」リエ坊はそう言って、下を向いた。
「・・リエさん」
ボクは、下を向いたリエ坊にかけてあげるうまい言葉を探してみたが、そうそう容易く見つかるものではなかった。
「前にね、ある女性に言われた事があるんだよ、オレ・・」
「・・え?」
「男って、どうしようもない生き物なんだって」
「どうしようもない・・生き物?」
「うん、そうらしい・・」ボクは自嘲しながら言った。
「目の前にね?素敵な、好みの女の子が現れたら・・オトコって」
「ヤリたくなっちゃうんだよ、彼女がいてもね?!」
そんな、どうしようもない生き物の1人なんだよ、オレも・・と。
「それで結果的に、色んな人を傷付けちゃうのかもしれない」
「だから、どうしようもない生き物なんだよ]
「ヤリたく・・なったの?シンも」
「え?」
「だから、私と・・」
あれれ?リエ坊は微妙に・・・ボクの言葉を違った風に受け取ったみたいだぞ?
「私に対しても、そう思ったって事?シン!」
「いや、リエさん・・」
「オレが言いたかったのはさ・・」
「いいよ、私!」
リエ坊は今度は、明るく笑いながら言った。
「シンが、その・・どうしようもない生き物でも、彼女がいても・・私の頁を捲ってくれたのはシンだから」
「言い方、下品だけど・・シンに私の最初の男性になって欲しい!」
「大丈夫、私・・・傷付かないよ、絶対・・」
「ダメ?シン」
抱きしめられた右腕に柔らかな胸を感じて、上目遣いにこんな事を言われて・・・振りきって帰る事が出来る男は、そうそういないだろう。
勿論・・ボクもその、帰れない1人に間違いなかった。
「うん、分かったよ、リエさん・・」
「もう、ごちゃごちゃ言わないよ、オレ」
「教えてあげる、知ってる範囲でね、男女の営み・・」
「有難う、シン」
「私さ、約束する!」
「シンに絶対に迷惑はかけない!シンを・・困らせる様な事はしないよ」
「・・リエさん」
「ね、早く行こう?シンの部屋・・・見てみたいな、私」
リエ坊は心なしか元気になったみたいで、足取りも幾分・・軽くなっていた。
明大を過ぎて、斜め右に折れて・・キッチン・ジローの前をボクは、恭子ではない女性と共に家に向かった。
三省堂の交差点で信号を待っている時、リエ坊が言った。
「シン、私の事・・素敵って言ってくれたでしょ?」
「うん」
「あれって、御世辞?」
「違うよ、オレ、お世辞は言わない。本当にそう思ったから言ったの」
「・・思ったの?今も、同じ?」
「今でも、そう思ってるよ・・何でこんな素敵な人が、オレなんかに・・・」
リエ坊はボクの言葉が終わらないうちに、首に両手を回してキスしてきた。
舌を深く差し込んで、ボクの舌に絡みつけてきた。
歩行者用の信号が青に変わり、また・・赤に変わるまで、ボクらはお互いの口を貪りあっていた。
長い髪の女の子
「ふ〜、行こうか・・・」
「・・うん」
何度目かの歩行者用信号の青で、ボクらは交差点を渡り、アパートに帰ってきた。
「初めに言っとくけど、ボロっちいからね?!」
「でも、靴は・・脱げるんでしょ?」
「あはは、当たり前でしょ、アメリカじゃないんだからさ」
「だってボロいなんて言うから・・」
なるほどね、そういう意味か・・ボクは笑った。
「大丈夫、裸足で歩いても平気だよ、怪我はしないな」
「面白いね、リエさんって」
「いいけど、別に・・笑われても」
部屋は、変わらずに暑かった・・というより、熱かった。
「昼間の熱気が籠っちゃってるんだな・・」ボクは独り言をいいながら窓を開け放し空気の入れ替えをして、クーラーのスイッチを入れた。
リエ坊はその間、ズっと黙ったままで玄関に立っていた。いや・・・正確には、目を閉じてドアに凭れていたのだが・・。
「リエさん、どうぞ?散らかってるけど」
「・・う、うん、お邪魔します」
リエ坊は消え入る様な声で、スニーカーを脱いで部屋に上がった。
座ってて?今、冷たいの淹れるから・・とボクがパイプ椅子を勧めて、リエ坊は大人しく座った。
サーバーに冷蔵庫の氷を満たし、お湯を沸かして・・と、ボクがアイスコーヒーの用意をしている間、リエ坊は無言のままだった。
「どうしたの?リエさん」
「う、うん・・」
「気分悪くなっちゃった?ひょっとして・・」
「ううん、違うの・・私、独り暮らしの男の人の部屋って初めてだから・・」
両足をキチンと揃えて、小さくなってるリエ坊が可笑しくて、ボクは笑ってしまった。
「何言ってんの、入ったが最後喰われちゃう悪魔の館じゃないんだからさ!」
「まぁね、そうなんだけどね・・」良かった、リエ坊はやっとボクを見て微笑んでくれた。
「はい、もうお酒はいいでしょ?」ボクはアイスコーヒーのグラスをテーブルに置いた。
「有難う・・シン」
リエ坊は一口飲んで「苦い・・」としかめっ面をした。
「あれ、コーヒーは、苦手?」
「ううん、お砂糖とミルク・・いつも入れるから」
あらら・・困ったぞ?ガムシロもミルクも無いじゃん。
「シン、いつもブラックなの?」
「うん、オレはね」
「その方が、香りが分かるからさ・・」
じゃ、私もこれでいい・・とリエ坊は神妙な顔でまた、一口飲んだ。
「うん、苦いけど・・・ほんと、香りが分かるね、コーヒーの・・」



