ノブ ・・第3部
「ほんと?」リエ坊は、パっと顔を上げて、花がほころぶ様に微笑んだ。
「いいの?シン・・・」
「だって、いいも何も・・・断れるワケないじゃん、大事な先輩にそこまで言われちゃったらさ?!」
「もう、また先輩っていう・・」
意外と意地悪なんだね、シンは・・・とリエ坊が言った。
「・・でもさ、リエさん?!」
「なに?」
「教わりたいって、どこまで?」
ボクは、この際だからストレートに聞いた。
リエ坊は暫く考えて、笑いながら言った。
「そりゃ勿論・・・私のオッケーが出るまでよ!」
なんか、聞いた事ある台詞だと思ってボクは笑った。
ふ〜、こんなコトって・・・ボクは、小さく独り言を言いながら歩きだした。
リエ坊は変わらずにボクの右手を抱えて、ボクらは駅前の交差点を渡ってから、ゆっくり・・左に折れた。
明大前の坂の歩道を、ボクらは下った。
リエ坊はやはり、かなり酔っているんだろう、時々躓きかけてボクの腕を強く掴んだ。
「大丈夫?」横を向いてリエ坊に声をかけると、リエ坊はニッコリ笑って言った。
「うん、平気」
「・・シンの部屋ってさ」
「その・・彼女も来た事あるんだよね」
「そりゃ、ね」
「でも、何で?」
「私、結構図々しいお願いしちゃってるのかな・・シンに」
「そうかもよ?実は」
ボクはボクで、正直・・さっきから恭子の顔がチラついていたから、隠さずに言った。
「リエさん、オレさ」
「・・うん」
「今夜、リエさんと一緒にいる・・そして恋人同士のコトを教えるって事は・・」
「彼女を裏切る事になるんだよ」
「・・そう、なんだよね、きっと」
「うん、そうなんだと思う・・でもね?!」
ボクは立ち止まって、リエ坊を見て言った。
「さっき、オレも感じちゃってたんだ、リエさんのキスに」
「オレのオトコが反応しちゃってたの」
「シン・・」
「リエさん、恋人がいる男が他の女性と・・って、どう思う?」
「しかもさ、その女性は知ってるんだよ、彼女の存在を・・」
いつの間にかボクは、リエ坊にさゆりさんを重ねていた。
女の人ってどう思うんだろう、こんなオレみたいな男を。
リエ坊の答えとさゆりさんの考えは同じなんだろうか・・。
さゆりさんは経験者だけど、男性そのモノに傷付いていていた。
そして、ボクとの間には・・恵子という接点があった。
そして、さゆりさんは「・・それでも、いいんです」と言った。
リエ坊は、バージンで・・そして、母親の浮気という思春期に受けた心の傷が、リエ坊を男性から遠ざけていた。
ボクの質問に何と答えるんだろうか、リエ坊は。
リエ坊は暫く下を向いたままだったが、やがて真面目な顔を上げてボクを見た。
「私ね・・いい?」
「うん」
「さっきのキスで多分、シンの事・・好きになったんだと思う」
「可笑しいと思うだろうけどさ、シンは・・」
「でもね、本のページが一気にめくられたみたいに、パーっと開けたんだ、何かがさ!」
「目が開いた?って感じかもしれないの、私」
「そうなの?あの、キスで?」
「うん、だから、スイッチって言ったんだよ、私」
「私ね、さっきの質問には上手く答えられないんだけど・・・シンがさ、ほんの少しでも私の事・・好きな気持ちがあったら嬉しい」
「そりゃ、彼女の存在は・・・私にはどうしようもないんだけど・・」
「だからって、シンが悪い訳じゃないと思う」
「きっと、悪いのは私・・」
「でも、シンに教えて欲しいの」リエ坊はそう言って、下を向いた。
「・・リエさん」
ボクは、下を向いたリエ坊にかけてあげるうまい言葉を探してみたが、そうそう容易く見つかるものではなかった。
「前にね、ある女性に言われた事があるんだよ、オレ・・」
「・・え?」
「男って、どうしようもない生き物なんだって」
「どうしようもない・・生き物?」
「うん、そうらしい・・」ボクは自嘲しながら言った。
「目の前にね?素敵な、好みの女の子が現れたら・・オトコって」
「ヤリたくなっちゃうんだよ、彼女がいてもね?!」
そんな、どうしようもない生き物の1人なんだよ、オレも・・と。
「それで結果的に、色んな人を傷付けちゃうのかもしれない」
「だから、どうしようもない生き物なんだよ]
「ヤリたく・・なったの?シンも」
「え?」
「だから、私と・・」
あれれ?リエ坊は微妙に・・・ボクの言葉を違った風に受け取ったみたいだぞ?
「私に対しても、そう思ったって事?シン!」
「いや、リエさん・・」
「オレが言いたかったのはさ・・」
「いいよ、私!」
リエ坊は今度は、明るく笑いながら言った。
「シンが、その・・どうしようもない生き物でも、彼女がいても・・私の頁を捲ってくれたのはシンだから」
「言い方、下品だけど・・シンに私の最初の男性になって欲しい!」
「大丈夫、私・・・傷付かないよ、絶対・・」
「ダメ?シン」
抱きしめられた右腕に柔らかな胸を感じて、上目遣いにこんな事を言われて・・・振りきって帰る事が出来る男は、そうそういないだろう。
勿論・・ボクもその、帰れない1人に間違いなかった。
「うん、分かったよ、リエさん・・」
「もう、ごちゃごちゃ言わないよ、オレ」
「教えてあげる、知ってる範囲でね、男女の営み・・」
「有難う、シン」
「私さ、約束する!」
「シンに絶対に迷惑はかけない!シンを・・困らせる様な事はしないよ」
「・・リエさん」
「ね、早く行こう?シンの部屋・・・見てみたいな、私」
リエ坊は心なしか元気になったみたいで、足取りも幾分・・軽くなっていた。
明大を過ぎて、斜め右に折れて・・キッチン・ジローの前をボクは、恭子ではない女性と共に家に向かった。
三省堂の交差点で信号を待っている時、リエ坊が言った。
「シン、私の事・・素敵って言ってくれたでしょ?」
「うん」
「あれって、御世辞?」
「違うよ、オレ、お世辞は言わない。本当にそう思ったから言ったの」
「・・思ったの?今も、同じ?」
「今でも、そう思ってるよ・・何でこんな素敵な人が、オレなんかに・・・」
リエ坊はボクの言葉が終わらないうちに、首に両手を回してキスしてきた。
舌を深く差し込んで、ボクの舌に絡みつけてきた。
歩行者用の信号が青に変わり、また・・赤に変わるまで、ボクらはお互いの口を貪りあっていた。
長い髪の女の子
「ふ〜、行こうか・・・」
「・・うん」
何度目かの歩行者用信号の青で、ボクらは交差点を渡り、アパートに帰ってきた。
「初めに言っとくけど、ボロっちいからね?!」
「でも、靴は・・脱げるんでしょ?」
「あはは、当たり前でしょ、アメリカじゃないんだからさ」
「だってボロいなんて言うから・・」
なるほどね、そういう意味か・・ボクは笑った。
「大丈夫、裸足で歩いても平気だよ、怪我はしないな」
「面白いね、リエさんって」
「いいけど、別に・・笑われても」
部屋は、変わらずに暑かった・・というより、熱かった。
「昼間の熱気が籠っちゃってるんだな・・」ボクは独り言をいいながら窓を開け放し空気の入れ替えをして、クーラーのスイッチを入れた。