ノブ ・・第3部
「はい、すいません・・」
ボクはレジに戻って支払いを済ませ、お財布をリエ坊に返した。
「有難うございます。さ、行きましょう!」
「もう、まだ飲みたいのに〜!」リエ坊はブツブツ言いながらも立ちあがって、入口に向かって歩き出した。
ボクはその後を、リエ坊のベースと自分のスネアケース、布のバッグを抱えて店を出た。
店の外はまだまだ人通りが多かったが、酔っ払いの姿もちらほら・・見かける時間になっていた。
「大丈夫ですか?」
「・・うん、大丈夫」と言いながらも、リエ坊の足取りは危うかった。
ボクは右肩に重いベース、左手でスネアを持っていたから、リエ坊に肩を貸す事は出来なかった。
どうするか、そこらで休むか。
ボクはふと、店の先を曲がった所の公園を思い出した。
以前、真由美さんと来た公園・・・胸がチクっとしたが、この際仕方ないだろうな。
「リエさん、ちょっと座って休みましょうね、公園がありますから」
「え〜?公園?何で公園なんていくのよ・・」
「だから、ベンチで休むんですよ、少しね・・」
「もう、しょうがないな、シンは!」
全く、しょうがないのはドッチだ?とも思ったが、フラフラのリエ坊を放っておく訳には勿論いかないし・・ボクは小走りに公園に行き、ベンチの横に荷物を置いてリエ坊の手を引いてベンチに座らせた。
「さ、少しココで休んでいきましょう」
「ふ〜、何か・・・回ってるね、地球が」リエ坊は、そう言ってボクを見てケラケラと笑った。
「シン、ごめんね・・酔っちゃったみたい、私」
良かった、すこし正気になったな、リエ坊。
「いいんですよ、楽しく飲めたら」
「何かね、自分の事話したらさ、気分が軽〜くなっちゃってね」
「いい気持ちよ、シン、有難う・・」
リエ坊は夜空を仰いで両足を投げ出して、深呼吸した。
その上下する胸が眩しくて、ボクはセブンスターに火を点けた。
ファーストキス
リエ坊は夜空を見上げながら、ゆっくりと言った。
「シンはさ・・・」
「はい」
「初めてのキスって、いくつだったの?」
「ファーストキスってヤツですか?」
「うん、それ!」
ふと見るとリエ坊は、目を閉じていた。
「中2の秋でしたね、オレは」
「そうなんだ、相手は?」
「はい、同級生で、前々からいいな〜って思ってた子です」
「好きだったの?その子の事」
「好きでしたけど、一方的に憧れてたって感じでしたね」
何でです?いきなり・・とボクは言ったが、リエ坊は目をつぶったままボクの質問を黙殺した。
「じゃ、憧れてた子だったら・・ドキドキした?」
「そりゃもう、心臓が口から飛び出るんじゃないか?!って位でしたよ」
「良かったら聞かせてくれない?その思い出」
懐かしい思い出だった。
当時、クラス対抗の合唱コンクールの課題曲が決まって、ギターで伴奏する事になったボクは、放課後・・教室に残って練習していたのだ。
その最中に、体操部の練習を終えたボクの憧れの女子が、クラスに帰ってきた。
ボクは初め気付かずに練習していたのだが、いつの間にか彼女は、ボクの前の机に座った。
袖まくりしたジャージ姿に、首からはピンクのタオルを引っかけて・・・。
「聞いててもいい?」
「う、うん」
誰だって憧れてた女子が小首を傾げて、そんな風に聞いてきたら・・ダメだ!なんて絶対に言えないだろう。
照れくさかったが、ボクは下手なギターを一生懸命、弾いた。
かぐや姫の曲だった・・。
たどたどしいアルペジオで汗かきながらの演奏だったが、終わった後、彼女はパチパチと手を叩きながら言ってくれた。
「ギター、うまいね!」
「そんなコトないよ、下手だよ、オレなんか・・・」
「でも、ちゃんと聞こえたよ?」
「う、うん・・有難う」
ボクは、しどろもどろの受け答えが精一杯だった。
なにせ彼女は・・その春の京都・奈良の修学旅行で、担任がパチパチ撮った写真の中での友人と3人で写ってるスナップの焼き増し希望が、写ってる人数のなんと10倍の申し込みがあった位の人気者だったのだから・・・。
担任がその焼き増し希望人数を書き込む張り紙を見て、呆れて「何だ?こりゃ・・」と呟いたのだった。
真相は、クラスの8割の男子と、噂を聞き付けた他のクラスの男子の分まで・・だったらしい。
「へ〜、そんな可愛い子ちゃんだったんだ」
話を聞いていたリエ坊がセーラムに火を点けて、深く吸いこんだ煙を・・はき出しながら言った。
「いや、可愛いって言うか・・笑顔がいい感じでしたね」
「そうなんだ・・・で?それから?」
当時、ボクらの中学校は下校時間になると決まった音楽が流れる様になっていて、その日ももう、時間だったんだろう・・学校中に「シバの女王」のインストが流れた。
ボクは彼女との時間が終わってしまった事の寂しさと、ひと時とは言え2人っきりの時間を持てたという満足感との2つで、実は複雑な心境だった。
ノロノロと、ギターをケースに仕舞い振り返ると、彼女の顔がそこにあった。
「どうしたの?」
「小川、目閉じて?」
「え・・どうして?」
「いいから、早く!」
ボクは言われた通りに目を閉じて、ドキドキという音が耳のすぐ裏で響くのを感じた。
「これから聞く事に、答えてくれる?」
「う、うん」
「修学旅行の私の写真だけど、小川も買ったの?」
「ごめん、買った」
「どうして?」
「・・・・」
「だって、小川写ってないじゃん!」
「うん、でもアケが・・写ってたから」
「私が写ってたから?チハルとかユキじゃなくて?」
「うん、アケの写真が欲しかったから・・あれ、良く写ってたし」
「そうなんだ・・」
「小川・・いい?」
「え?」
「ダメ、目は瞑ってて」
彼女の柔らかい唇が、ボクの唇に重なった。そう、ただ重なっただけ・・。
そして練習の後なのに、彼女はいい匂いがした。
「目、開けていいよ?」
「・・アケ」
「一緒に帰ろうか」
「うん・・」
ボクは、ギターと肩掛けカバンを下げて昇降口で彼女を待った。
その間、ボクは着替え終わった彼女が降りてくるであろう階段を眺めて、シバの女王を聞いていた。
「へえ〜、いいね・・可愛いファーストキスじゃない」
リエ坊は足元で煙草を踏み消して、また、夜空を見上げた。
「リエさんのは?」
「え?」
「リエさんのファーストキスは?」
リエ坊はゆっくりと体を起こして、ボクの方に体を向けた。
「聞きたい?」
「そりゃ、オレのを話したんですから・・」
「どうしても?!」
リエ坊は、妖しい上目遣いでボクを見た。
「う、うん」
じゃ、目を瞑って?とリエ坊は言った。
「え、それって・・」
「いいから、黙って!目を閉じて?シン」
ボクは予想もしない展開に慌てたが、取り敢えず目を閉じた。
きっと「バ〜カ、その気になったでしょ!」なんてね。
しかし、次の瞬間・・・ボクは抱きしめられて、唇にリエ坊の唇が重なった!
リエ坊の甘い息遣いを感じたが、唇と唇・・・懐かしいキスだった。
唇を離すとリエ坊は、ボクを抱きしめたまま耳元で囁いた。