ノブ ・・第3部
昼近い靖国通りはジリジリと日差しが強烈だったが、楽器店の名前の入った手提げとスネアの革ケースを持ってボクはいっぱしのドラマー気分だった。
「自分のドラムセットか・・」
「お金貯めて、中古でいいから揃えたいな」
途中のラーメン屋で冷し中華を食べて、ボクはアパートに帰った。
アパートの部屋でボクは、スネアをケースから出して薄汚れてくすんだ胴の部分を磨いた。
専用のクリーナーなんて無かったから、取り敢えず良く絞った濡れ雑巾でゴシゴシ擦った。
すると、くすみが取れて深いブルーメタリックが輝きだした。
「お、お前・・実はいい色だったんだ!」
ボクは輝きを取り戻したスネアをダッコしながら、ニヤニヤしてしまった。
スネアを磨き終わって一服していた時、電話が鳴った。
「ん?もしもし、オガワですけど」
「シン?リエ」
「あ、リエさん、どうも・・」
「うん、練習なんだけど明日の2時から6時、部室ね?!」
「はい、2時からですね?」
「そう、大丈夫?」
「はい、行きます・・って言うか、行かなきゃダメでしょ、オレの場合」
「そうね、時間無いもんね」
「あ、そうそう、バンドスコア、買っときました」
「有難う、お金は言ってね?!頭割にするからさ」
「良かった、実は金欠で・・」
「ははは、スコア高いもんね、意外とさ。大丈夫、ちゃんと払ってあげるから!」
じゃ、明日、部室で・・とリエ坊は電話を切った。
ん?明日って・・・ボクは電話を切った後、さゆりさんとの約束を思い出した。
「確か、チェック・インしたら電話くれるって言ってたよな」
何時頃なんだろ、チェック・インって・・とボクは少々不安になった。
もしもチェック・インが午後2時以降だったら、ボクは部屋を空けてしまうからさゆりさんとの連絡は難しくなってしまう。
「そうか、明日、どうしよう」
と悩んでみても練習をサボる訳にはいかないし・・・とボクは一時、考えた。
ホテルのチェック・イン時間が、仮に午後2時以降だった場合は連絡が取れなくなってしまう。
「そうだ!」
ボクは受話器を上げて、104を回して九段下のグランドパレスの番号を聞いた。
そしてフロントに問い合わせたところ、通常のチェック・インは午後3時以降とのことだった。
「どうするか・・」
「いいや、かけちゃえ!」ボクはさゆりさんの旅館の電話番号も104で調べてもらい、ダイヤルを回した。
短い呼び出し音の後、男性の声が聞こえてきた。
「はい、ことぶき旅館でございます」
「あの〜」
「はい、ご予約でしょうか?」
「いえ、そうじゃないんですが・・」
「さゆりさん、お願い出来ますか?」
「はい?さゆりお嬢様・・ですか?」
はい・・とボクはしどろもどろになった。
そして、やっぱり、お嬢様なんだ・・と変な所で感心してしまった。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「小川と申します、先日お世話になった・・・」
あ、っと、電話の向こうで男性が息を飲んだのが分かった。
「し・少々お待ち下さい!」と慌てて男性は言い、受話器を置いてスリッパの音を響かせて行った。
お嬢様〜?!と電話越しにかすかに男性の声を聞いた時、ボクは苦笑してしまった。
一体、オレは何者だと思われてるんだろう・・お嬢様の婚約者なのかな?
「ま、いいか。仕方ないもんな」
やがて、パタパタと違うスリッパの音が聞こえて「もしもし?ノブさん?!」と、さゆりさんの弾んだ声が聞こえた。
「あ、ごめんね、突然かけちゃって・・迷惑だったかな?」
「ううん、いいんです・・嬉しい!」
「でも、どうかなさいました?」
「うん、明日なんだけどさ、昨日あれから学校に行ってね・・」
「はい」
「ひょんなコトから、バンドやるコトになっちゃったんだ」
「オレ、ドラム叩くんだ」
「ノブさんが、ドラム・・ですか?」
「そう、驚いたでしょ?自分でも似合わないなって思うんだけどね」
「いいえ!そんなコトないです!」
「カッコいいです、ピッタリです、雰囲気が!」
「ノブさんのドラム叩く姿・・見たいな」
あれ?さゆりさんは笑わなかったぞ?とボクはちょっと不思議だった。
恭子は、あんなに受けてたのに。
「でね、秋の学園祭にも出るコトになってさ、明日の2時から6時まで練習が入っちゃったんだよ」
「もう特訓しなきゃいけないんだ、オレ」
「2時から6時ですか・・」
さゆりさんは、電話の向こうで静かになった。
「だからね、さゆりがチェック・インした時って、オレいないんだよね、自分の部屋に」
「どうしようか?」
「ノブさん、その練習の後って平気なんですか?時間・・」
「うん、大丈夫だと思う。昨日は歓迎会って飲みに連れてってくれたけどさ」
まさか歓迎会は一回でしょ、普通・・とボクは答えた。
「もし誘われても断るよ、オレ」
「・・・じゃ、ロビーで待ち合わせでもいいですか?」
「多分、7時前には終わると思うんです、会合も」
「うん、オッケー!そうしよう」
「オレも7時には行けるよ、練習は6時までだからさ」
「じゃ7時にグランドパレスのロビーで」
「はい、わざわざお電話頂いて嬉しかったです」
じゃ、7時にロビーで・・とボクらは電話を切った。
良かった、これでさゆりさんとすれ違いにならなくて済むと思って、ボクはホッとした。
「さて・・」ボクは自主トレの積もりでタブ譜を読んでみようと思い、買ったばかりのキッスのハードラックウーマンのバンドスコアを開いた。
「はは〜、こう叩くんだな」
良く知っている曲でドラムの音も耳に残っていたから、なぞるのは比較的楽だった。
「ここが、サビのフレーズなんだ・・」
いつの間にか・・歌詞を歌いながら右手左手で太腿を叩いて、右足を動かしていた。
そうやってスコアを追っかけていたら、自然に頭の中で音が鳴り出した。
「うん、いいぞ!」
でも、限界は意外に早く訪れた。
「オカズって・・こんなに難しいの?」
タムタム、フロアタム・・それにシンバルの叩く順番は分かるのだが、とても印が多すぎてその通りには手足は動かなかった。
「う〜ん、厳しいな、こりゃ」
確かに、あの長髪の楽器店の店員はスコアを必ずしも完璧になぞる必要は無いと言ってはくれたが、正直・・・少しボクは自惚れていた様だった。
「そうだよな、プロが叩いてる通りになってるんだから難しいのも当たり前だよな」
ボクは独り言を言いながら、自分を落ちつかせようとした。
でも、学園祭に出ると言う事は人前で演奏すると言う事であって・・・と言う事は同時に、恥ずかしい演奏は自分だけではなくてあの2人にも恥をかかせるってコトでもあったのだ。
練習しなきゃ・・・ボクは、いい気になっていた自分を呪った。
「よし、明日までに少しは・・・」
ボクは、買って来たスコアの予定曲全部の基本的な部分だけでも覚えようと、難しいオカズは省略して、とにかく右手左手、右足を動かした。
クーラーはビンビンに効いていたはずだが、程なくボクは汗びっしょりになり、太腿が真っ赤になって両掌もジンジンしだした。
汗が目に入って仕方なかったので、途中でタオルを頭から目の上に巻いてボクは続けた。



