夢の途中8 (248-269)
其々を適正な時期に刈り取り、乾燥させてファームで販売するドライフラワーや香料メーカーへ出荷していた。
納屋に近づいただけで、濃密なラベンダーの香りが漂っている。
入口のドアを開くと、30m程先に丁度【稲のハゼ掛け】のように、刈り取ったラベンダーの幾つもの束を掛けてある場所が在った。
熊田は右腕の脇に松葉杖を挟み歩きながら、一束一束手で具合を見ていた。
ラベンダーを見る熊田の目は優しかった。
『熊田さん、今晩わ♪』
「あ!ママ!」突然香織に声を掛けられ、熊田は驚いて顔を上げた。
『とっても良い香りね♪』
「ああ、今年は先月の初め、雨が多かったからなァ、コイツ等、どうかなァって心配だったが、これ位香りが濃けりゃ、大丈夫だ♪(^。^)y-.。o○
もう2、3日で干し上がるから、出来たら又店に持って行くサ♪」
『ホント?有難う♪(#^.^#) あのね、・・熊田さん・・・・』
「このラベンダーを見てるとなァ、死んだ母ちゃんを思い出すのよ・・・
俺は此処では4代目の百姓だが、俺のひいひい爺さんは青森の出でよ、水飲み百姓の末っ子でな、内地に居たって一生うだつが上がらねぇって一念発起して津軽海峡を渡ったんだとさ・・その時のここいらは全く人出の入らない荒れた原野でなァ、夜になればまだエゾオオカミがうろついてた時代だったそうな・・・
雑木を伐採して、木の根っこを掘り起こして、大石をどけて・・・・
そりゃあ、苦労して・・・飲まず食わずで働いても、農地らしい姿になるのに5年掛かったそうだ・・
それでも此処は砂地が多くて水はけが良すぎっから田んぼにゃむかねぇし、精々が馬鈴薯か麦くれぇしか育たなかったからなァ、家は何時まで経っても貧乏だったそうだ・・
このラベンダーだって、俺のオヤジが若い頃、『貿易の自由化』だなんだで、海外から安い香料が入って来て、一旦寂れた時期もあったんだぜ・・・・
それが細々と作り続けていたラベンダー畑が国鉄のカレンダーに載ってなァ、内地からカメラ抱えた観光客が来るわ来るわ♪(^。^)y-.。o○ オマケにあのテレビドラマのお陰で、一躍この藤野は有名になっちまってなァ♪
そいで、農産物ばかりじゃ無くて、観光客も息長く呼ぶべぇ~、ってなってなァ、当時の町長やら農協の幹部とやらとで藤野の街全体を花でいっぱいにするべぇって事に成ったのよ♪(*^。^*)」
熊田は夢中で話し続けた。
「あん時、そう、25年前だァ~♪俺も母ちゃんも若かったァ~♪ まだ俺のオヤジがシャンシャンしてた頃でよォ、ナニすんのにもオヤジにお伺いをたてねばなんねかった・・・
畑ではラベンダーの他には馬鈴薯、タマネギ、トウキビ、キャベツを中心にやっててなァ、主に関東向けに出荷してた。
野菜はよォ、冷害や長雨で出来が悪けりゃ収入も減るし、
豊作なら豊作で、安く買いたたかれるしよォ・・・
4代前のひいひい爺さんの貧乏から、土地も受け継いだが貧乏まで受け継いだ・・・・
そこにあのドラマがテレビで始まってなァ、一躍この藤野に観光客が大勢押し寄せたんだが、当時はロクに観光客が泊まるような宿もなかってなァ・・・
駅前の常盤ホテルの他に木賃宿が数件ある位でさ、皆旭川や、札幌から来て見るモン見たらさっさと帰って行くんだ・・・
こら、ドラマの人気で一時的なモンだから、ドラマが終われば観光客も減るべ、と思っていたのに、ドラマが2弾、3弾と続くもんだからよォ♪
俺と母ちゃんが話し合って、此処にドラマが終わっても毎年観光客が呼べるものを作んなきゃいけねえ、昔、ラベンダー畑が国鉄のカレンダーに載って有名になったら、俄かカメラマンがごっそり日本中からやって来た事を思い出してよォ、
父ちゃん、ラベンダーの他に色とりどりの花畑をこの藤野に作ったらどうだ?って母ちゃんが言うんだ。
別に写真家だけじゃなくて、一般の女子供も来て楽しめるような花畑が出来たら、観光バス連ねてわんさか客がくるべぇ~ってな♪
だけんど、花畑見るのに入場料でもとんのかよ?って聞いたら、
いや、入場料はとらねぇ、十分楽しんで貰って、この藤野に毎年観光客が来るようになったら、必ず街そのものに活気が出て、回りまわって俺達にも御利益が回って来るって、
母ちゃんはニッコリ笑って云うんだァ♪」
「それからだァ、俺達が二人でこの花畑を作り始めたのは・・・
最初はうまくいかなくてよォ、花の咲く時期がバラバラなもんで、それを揃えたり、畑の色の配色を考げぇたり、毎年毎年、試行錯誤の連続だったなァ・・・
オヤジは、そんな金にもなんねぇことすんな、そんなヒマあったらもっと馬鈴薯やトウキビ植えれぇ~って、俺達の考げえには反対だったしなァ・・・
オヤジに気兼ねしながら続けた花畑だったが、俺達が街の観光課や農協に掛けあってよォ、
街全体を花で溢れさせて観光客を根付かせようってなってな、段々賛同する農家も増えて来た。
ようやく花で人が呼べるようになったのが十年ちょっと前よォ・・・
そんな時、母ちゃんが胃癌になってなァ・・・日に日に痩せて行ったァ・・・・」
熊田が遠くを見て呟いた。
「アレは母ちゃんの死んだ年の3月半ば頃だったぺか、2度目の入院で頭の毛も皆抜けてよォ、もう抗がん剤も手術も無駄だって先生に云われて、
父ちゃん、もうダメならせめて家に帰りたい・・・
せめて今まで育てた花を見ながら死にたい、って云いだしてなァ・・・
先生はもう後1カ月持つかどうか難しいって言ってた。
俺は急いで今の売店の二階に母ちゃんの部屋をこさえてなァ、西向きの壁ぶち破って花畑が一目で見える大きな窓を作ってよォ、その脇に母ちゃんのベッドを置いてやったよォ・・
まだ3月と云えば、此処の畑にはごっそり雪も残っててよォ、畑に花なんぞ咲いてる訳ねぇべ?
だけど母ちゃん、嬉しそうに毎日飽きずに畑の方を観てたァ・・・
母ちゃんには見えるって言うんだ、花が・・・
畑一面に咲く花が母ちゃんの目には見えるって言ってた・・・
俺は何とか一輪でも畑に咲いてる花を母ちゃんに見せたくて、ブルで畑の上の雪を除けて、炭を粉々に砕いた融雪剤をトラクターで撒いたさ・・・
でもよォ、時々思い出したように雪が降りやがって、何度も何度も雪除けて、融雪剤撒いてよォ・・・
ようやく4月の初めには地べたがみえるようになったんだが、母ちゃんは日に日に衰えて行った・・・
勿論4月に咲く花なんて畑にはねえべさァ・・・
だけんど、畑の隅には宿根のケシの株が在ってな、4月上旬から暖かけぇ日が続いて芽を出しやがった。
ケシの若葉が日に日に茂って行くのと逆に、母ちゃんはもう起き上がれない程に弱っていった・・・」
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「でも、母ちゃん、見えるってんだ、その花が・・・
赤いケシの花が母ちゃんには見えるって云うんだ・・・
その畑はよォ、色んな色のひなげしが植わっていてよォ、どんな色が最初に咲くのか分かんねぇのによォ・・・・
咲いたよ、赤いケシの花が・・
たった一輪だけ、母ちゃんが息を引き取った次の日になァ・・・・
ママ、花に詳しいアンタなら知ってるだろ?赤いケシの花・・・・・」
『・・・虞美人草・・・ね?』
作品名:夢の途中8 (248-269) 作家名:ef (エフ)